新井淳一の先を読む
4月24日 高齢化・少子化を逆手に取ろう

すでに失ったもの、まだ無いものを数えればきりはなく、意気阻喪するばかりです。失ったものではなく、持っているものを数えてみよう
(山本将信 おとづれ・信州から友への便り2012年1月)
まだお会いしたことはないが、私には月1回の便りと毎週の教会報でつながる心の師がいる。日本基督教団・篠ノ井教会の山本牧師だ。その山本さんが1月の便りでかつて九州の炭鉱町で伝道していた吉田敬太郎牧師の逸話を紹介している。
ある日、吉田牧師のもとに突然の面会者があった。「破産して何もかも失い、死のうと思ったが死にきれず、教会に飛び込んできた」という。訴えを聞いた後、牧師は男に紙と鉛筆を持たせた。そして「あなたの奥さんは」と聞いた。「元気です」。「妻あり健康ですと書いてください」。次いで「お子さんは」。「3人いて元気です」。「それも書いてください」。こうして破産にもかかわらず、男がまだ持っている大事なものを書きつらねていくと、紙一杯になった。「何もかも失ったといいますが、そうじゃないでしょう」と牧師。その後に冒頭の「持っているものを数えてみよう」につながったのである。
「ないものねだり」をしている日本
こんな話を今月の枕に振ったのは他でもない。「持っているもの」を忘れて「ないものねだり」をしているのが昨今の日本ではないかと思ったからである。混迷が続く民主党の経済政策の最大の欠陥も、一言でいえば、この「ないものねだり」である。本来、日本が「持っている」お宝を使いこなしていない気がする。
例をあげよう。生産年齢人口(15〜64歳)の減少の問題である。同人口は1990年代半ばから既に減り始めており、失われた20年といわれる日本経済の潜在成長率低下の一つの要因となっている。今後20年は年平均70万人程度の減少が続き、2010年の8173万人が30年には6773万人まで減るというのが、国立社会保障・人口問題研究所の将来推計だ。
専業主婦の活用を
当面の日本経済は失業率の高止まりなどで労働力の不足はないが、中長期の日本経済にとってこれが暗雲となっていることはたしかだろう。しかし、ものは考え様。日本経済には「持っていて十分活用できていないもの」がある。女性の労働力、中でも専業主婦の潜在能力である。
ざっと見て、現在、専業主婦人口は1200万人だ。これに対し、いま労働市場から退出しつつある団塊世代の有償労働者は500万人。正社員だけではなくパートや派遣であっても、仮に専業主婦の4割が働きに出れば480万人。計算上は団塊世代の労働市場から退場の負のインパクトはほぼなくなる。
むろん、4割は途方もない高い数値である。では2割ならどうか。それでも急には無理というなら10人に1人の1割が労働市場に出てくるとする。保育所の充実、規制緩和による働き方の弾力化などの対策次第で実現可能な目標だろう。年によって生産年齢人口の減り方は違いが出るが、平均は年70万人程度の減少だから、10人に1人、120万人の専業主婦が市場に出てくるだけ2年弱の間、減少をストップできる。2割となれば3年半、4割となれば7年間、生産年齢人口は横ばいだ。大雑把な推論ではあるが、こうした計算から、専業主婦の労働力化が中長期で見た生産年齢人口減少の負のインパクトをある程度防ぐことはよく分かる。要は主婦を家からどうやってひっぱり出すか、その知恵が政府に求められているのである。
豊かな高齢者に着目せよ
需要不足が日本経済の長引く不振の原因であるが、そのひとつの理由は日本経済が供給したいモノやサービスと実際にある需要とがマッチしていないことにある。人々が欲しいモノは十分には供給されておらず、本来は需要が供給を大幅に上回っているはずだ。
(櫨浩一 日本経済がなにをやってもダメな本当の理由 日本経済新聞出版社)
日本経済が「持っている」お宝の第1が専業主婦とすれば、第2は高齢者である。しかも貧しい高齢者ではなく、歴史上、始めて登場した豊かな資産を持つ裕福な高齢者だ。
この高齢者たちはいま社会保障や医療制度の根幹を揺らす存在として給付の削減や負担の増大を求められている。税と社会保障を含むトータルでの世代間所得収支を弾いて見れば、こうした世代間の所得移転は必要なことは分かる。だが、「持っている」お宝の活用という意味では別の賢いやりかたがあるのではないか。規制緩和や公的サービスの民営化などを通じ、高齢者のための新商品、新サービスを開発し、高齢者市場を拡大する。高齢者市場を豊かにすることで高齢者の資産を吐き出させて若者への所得移転をすすめ、日本経済に活路を見出す賢い作戦である。
ところが、実際には人々が欲しいものが欲しいところへ十分に供給されていない典型的分野が高齢者向けの商品やサービスではないかと思う。背景となっているのは、この分野では、公共部門による供給独占や供給に関する厳しい規制のために新規参入が進まないことがある。その結果が医療や介護の慢性的な行列、順番待ちであろう。
加えて、行政の対応の遅れやまずさが需給のミスマッチを加速する。ドラッグ・ラグといわれる医薬品の承認の遅れもそのひとつ。世界の医薬品売上高の上位100品目のうち日本で承認されていないのが2割に及ぶ。国内で治験に応ずる人が少ないことも事実だが、審査官の不足と専門知識の遅れという政策のミスマッチがそれに絡む。高齢者が必要な再生医療の技術向上を阻むのも数々の規制である。必要な規制もあるが、「高齢化社会の日本では2040年には医療・介護産業がGDPの4割を担う」とのドラッカー博士の予言が実現するには、規制をどれだけなくし、民間の活力を高めるかにかかっていることは事実なのである。
シニア世代(60歳以上)の消費支出が昨年は初めて100兆円を突破したという報道があった。個人消費全体の44%という。旅行やスポーツに精を出す元気なシニア像が目に浮かぶ。だが、この100兆円市場をこんなに大きくなったと見るべきなのか、それとも将来の巨大マーケットのほんのはしりで本来ならもっと大きくなるべきと見るべきなのか。私自身は後者と思うが、それには大きな市場につなげる政策の後押しが必要だ。現状の官主導の商品・サービス供給体制を抜本的に改める必要があるのである。
シャッター商店街の活用を
日本が「持っている」といえるし、「持て余している」ともいえる存在が、地方都市の駅前のシャッター商店街だ。日本経済の長期停滞と地方経済疲弊のシンボルと化しているが、これも働きたい女性や高齢者のためにうまく活用すれば、お宝になる。一等地に住居兼用の店を並べるだけでなく中高層のマンションに組み替えれば高齢者や働く女性も喜んで住む。医療センターや保育所・幼稚園などを組み込めば、専業主婦も安心して働きに出るし、高齢者は車なしで生活が可能だ。これも基本は税制のミスマッチなのである。シャッター商店主にとって固定資産税が安いから有効活用の意欲がわかないのである。
専業主婦からシャッター商店街まで日本は有り余るものを「持っている」。まずはその活用。迂遠にも見えるが念願の内需主導型経済への転換はこの道を通る以外、手はないのではないか。
ちなみに、冒頭の山本牧師の話は聖書(マタイ福音書)にあるキリストの「パンの奇跡」という話を下敷きにしている。空腹を抱える大勢の群衆がイエスの施しを待っている。だが、イエスたちが「持っている」のはパン5つと魚2匹だけ。「これしかしない、無理です」という弟子に対し、イエスは「それを持って来なさい」と言い、天を仰いで賛美の祈りを唱え、全員の空腹を満足させた。群集の数は5000人超。まさに宗教上の奇跡である。
日本の経済の建て直しに宗教や奇跡をあてにする気は毛頭ないが、「これしかありません」という弟子たちにイエスが「持っているものでよい」といったことが成功につながったというのだ。リーダーは「ないものねだり」をしてはいけないという教えでもある。我田引水のきらいはあるが、なにせ相手はキリストさま。お許し願いたい。
(2012年4月24日)
(日本経済研究センター会長)
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