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林秀毅の欧州経済・金融リポート3.0

2016年9月12日 EU離脱交渉開始の条件は何か−欧州中銀、EU、英政権−

欧州中銀のジレンマは続く

 9月8日に開催された欧州中央銀行(ECB)の政策理事会は、量的緩和の追加に踏み込まなかった。最大の理由は、英国国民投票によるEU離脱決定後、一旦混乱していた世界の金融市場が、落ち着きを見せていることだ。

 しかし現状は、離脱交渉の方向性と時間軸が不透明なまま、金融市場が夏休みモードに突入してしまったという面が大きい。

 同時に、ECBは追加緩和の必要性と自らへの信認維持との間でジレンマに悩むことになる。そのため、限られた政策手段を最も効果的と思われるタイミングで常に小出しにせざるをえない。

 今回の記者会見でドラギ総裁から今後の追加緩和を示唆する発言があった。金融政策について議論される次回の政策理事会は10月20日だが、今回から約1ヵ月半後にすぎないため、市場の予想通り年末12月8日に追加緩和が発表されることになるだろう。

 追加緩和の内容については、量的緩和の終了時期を現在の2017年3月から6ヵ月程度延長することは、ほぼ市場の期待に織り込まれてきた。この点、ユーロ圏景気の下振れ動向を考慮すれば、今後英国要因で金融市場が不安定化しない場合でも、来年春までに量的緩和が不要になることはそもそも考えにくいことからも明らかだ。

 しかしECBは政策を小出しにしながらも、政策変更時にはポジティブサプライズを起こさなければ、政策の効果は生じない。この点もECBが抱えてきたジレンマであり、従来のパターンからすると、年末には量的緩和の期間延長と同時に、資産購入策の拡張が発表される可能性が高まるだろう。

 以上の点に関し、9月9日付のロイターによれば、ECB理事会のメンバーでもあるリムシェービッチ・ラトビア中銀総裁が、資産買い入れプログラムの買い入れ金額規模拡大、買い入れ対象となる国債の国別構成の変更、買い入れ対象債券の最低利回りの引き下げの三点を検討していると発言した。

 これらの内、二番目の「買い入れ対象となる国債の国別構成の変更」については、ドイツ国債などの優良な資産が枯渇する中で、より信用力の低い国債の買い入れを増やすということになれば、冒頭述べたECBの信認への悪影響が懸念されやすい。若干の買い入れ金額拡大に加え、現状の金利水準を考慮し、且つ「今後も円滑な買い入れのオペレーションを実施するために必要」という理由から、最低利回りの引き下げが実施されるのではないか。

 以上のようなECBのジレンマは、ユーロ危機への緊急対応を迫られた時期も、英国のEU離脱が今後の金融市場に与える影響が懸念される現在でも、基本的に変わらない。しかしここで確かなことは、今回については欧州内の政治交渉が進まないかぎりは、ECBとしてもできることは限られている、ということだ。


「EU27」は機能するか

 それでは、欧州内の政治交渉の状況はどうか。ドイツのメルケル首相を中心に、EU各国との間で、「英国なきEU」のあり方を巡って、さまざまな会談が行われた。しかし主要国では、イタリアが国内の銀行セクターに懸念を抱え、スペインでは従来、首相を務めてきたラホイ氏に対する信任投票が否決されるなど、政治情勢が不安定化している。フランスでは次期大統領選に関心が移り、オランド大統領は目立った実績を挙げないまま、レームダック化しつつある。ドイツでも最近の州議会選では難民流入で現政権への支持に陰りがみられるものの、欧州全体ではメルケル氏の指導力に頼らざるを得ない状況だ。

 さらにこの延長線上には、9月16日にスロバキアのブラチスラバで非公式のEU27ヵ国会議が予定されている。しかし8月27日付のフィナンシャルタイムズ紙社説が述べているように、この会議に多くの成果は期待できない。その議題は、難民の流入をどう管理するか、テロにどう対処するかなどといった一般的な内容だ。そこは英国が離脱するという想定で、残る27ヵ国で、当面直面する課題にどう取り組むべきかについて話し合うにとどまるだろう。

EU離脱交渉開始のタイミング

 それでは、EUと英国との交渉はどのような条件が整った時に始まるのか。今のEUは、「英国は早急に交渉を開始すべき」と訴えるのみで、離脱交渉を進めるための手段を持っていない。これに対し離脱の通告という交渉のトリガーを引くのは、メイ首相を中心とした英国の現政権だ。

 先ず英国にとっては、これまでのEU加盟によって、英国政府内に貿易交渉のエキスパートが手薄になった状態を早急に立て直し、EUと交渉できるように時間稼ぎをすることが得策になる。

 次に、メイ首相の立場からすれば、移民の規制とEU単一市場へのアクセス維持という本来は矛盾した目標を、如何に両立させるかということが課題になる。その意味では、EUとの交渉を進める上で、できるだけフリーハンドを確保することが重要だ。

 英国政府は、国民投票でEU離脱が支持されたことにより、離脱を前提としたEUとの交渉を進めざるを得ない、不利な立場に追い込まれた。しかしメイ首相は、EUに対しては「ノルウェー方式」など既存の枠組みにとらわれないことを強調し、交渉の余地を広げようとしている。同時に、英国内では、離脱通告について議会の承認は不要とし、野党との議論を通じて離脱の方式について言質を与えないようにしている。

 以上、第一に英国が対EUの交渉を行う体制を整え、第二にメイ首相が閣内の意思統一を進めると同時に、議会における野党との議論を経てEUとの交渉について、自分が一任された形で交渉を進められると考えることが、交渉開始の条件となるだろう。

 このように考えると、一般に言われるように、年内の実質的な交渉開始は難しいだろう。しかし、以上のような条件さえ整えば、英国は少しでも有利な条件を引き出すため姿勢を一転し、離脱交渉に前向きになる展開が十分に想定できる。

(2016年9月12日)


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日本経済研究センター特任研究員 林秀毅
欧州は、連続テロ、難民の流入、英国のEU離脱問題など難問が山積し、統合のあり方そのものが問われる新たな段階に入っています。2016年4月よりタイトルを「林秀毅の欧州経済・金融リポート3.0」と改め、グローバルな金融市場動向を踏まえつつ、欧州の今後について的確な展望をご提供します(毎月1回 10日頃掲載予定)。
※「欧州債務危機リポート」こちらからご覧いただけます。


(特任研究員 林秀毅)


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