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林秀毅の欧州経済・金融リポート3.0

2017年1月23日 番外編 Brexit・賽は投げられた―「強硬離脱」の先にあるもの

なぜ今、強硬離脱か

 今年1月11日付の本レポートで、英国のEU離脱交渉について筆者は「時間稼ぎ」と「見切り発車」の2つの選択肢を挙げた。これによれば、メイ首相が17日に明らかにした、単一市場から完全に撤退するという「強硬離脱」の方針は、後者の「見切り発車」に当たる。

 それではなぜメイ首相は、「強硬離脱」を選択したのか。

 第1に、英国内で対立する議論を収拾しようとする狙いがある。国民投票の結果に従い離脱交渉を進め、且つEU離脱の最終決定にあたっては上下院の承認を取り付けると明言している。英国内の意見が依然対立している以上、完全に世論をまとめることは困難だが、現時点で現実的な判断を行おうとしたのではないか。

 EUとの関係で見ると、「時間稼ぎ」は弱気シナリオ、「見切り発車」は強気シナリオと考えることができる。

 EUとの交渉上、英国内の意見が分かれたままという弱みを見せた状態では、交渉そのものを有利に運ぶことはできない。1月の時点で「強硬離脱」を掲げ、強気の姿勢を見せ、EUとの交渉を有利に運ぼうという考えではないか。

 第2に、先ず離脱交渉を開始し、EUを2年間の交渉のテーブルにつかせ、そのなかで、今回示された優先事項をできるかぎり実現しよう、という狙いが考えられる。

 EUが「移民の流入制限と単一市場へのアクセスは二者択一であり、いいところ取りは許さない」という建前を崩していない以上、英国が交渉を開始せず時間稼ぎをしても議論は進展しない。

 強硬離脱を前面に出し、先ず「移民の流入制限」を確保した上で、EUとの交渉により、実質的に単一市場へのアクセスに近い条件を引き出す作戦に転じたといえる。

 筆者は(現時点では少数派かもしれないが)、EUにとっても通商貿易面を中心に英国との関係を維持するメリットは大きい以上、交渉の最終局面でEU側も妥協に転じる余地がある、と考えている。

「12の優先項目」の意味

 それでは、今回の演説でメイ首相が挙げた「12の優先項目」について、どのように考えればよいか。12の優先項目は、グローバルな英国を掲げた上で、「12.円滑で秩序だったEU(以下、この形で各条件を示す)」に挙げられているように、2年間の離脱交渉でできるかぎり有利な条件を引き出そうとするために掲げられた。その意味では、今後の交渉のたたき台として、かなり広範囲に英国の要望を盛り込んだという印象が強い。

 12の優先項目を大別すると、@英国内向けのメッセージに近いもの、AEUとの交渉上、現時点で譲れないもの、BEUあるいはEU域外国との今後の交渉により実質的な内容が変わってくるもの――に分かれる。 

 先ず、英国内向けのメッセージは、先述の英国上下院の承認に言及した「1.交渉の確実性確保」、EU司法裁判所による裁判に拠らないとする「2.英国法の独立」、「3.地域連携の強化」だ。この中では「3.地域連携の強化」に関し、(演説の中では言及されていないが)スコットランド独立運動が、政治的・経済的に有利な条件を英政府から引き出すことが狙いという現実路線から、より強硬な路線に変質するかが焦点になるだろう。

 次に、EUとの交渉上、現時点で譲れないものとしては、先ず「4.往来自由の維持」、「5.移民流入の管理」がある。前者について、アイルランドとの往来の維持は、英国にとっては北アイルランドの安定化のため必須であると同時に、EU側ではアイルランドも強く望んでおり、認められることになるだろう。後者は、先に述べたようにそもそも今回の演説の大前提であり、譲れない部分である。
また「6.市民の権利保障」「7.労働者の権利の保護」は、「2.英国法の独立」を前提にすれば当然盛り込まれる項目である。

 最後に、EUあるいはEU域外国との今後の交渉により実質的な内容が変わってくるものが、「8.欧州市場との自由貿易市場」から「12.円滑で秩序だったEU離脱」まで、掲げられている。

 英国とEUの自由貿易交渉は、2年間の離脱交渉の核心だ。これまで通りの自由貿易は、英国とEU双方にとって利益となるが、英国がEU予算への拠出など負担を払わないという前提で、交渉が進捗するかどうかには疑問がある。

 米国のトランプ新大統領が、就任直後、英国とのFTA交渉を優先的に行う考えを示したことは、英国がEUと離脱交渉を行う上で有利に働く。しかし、EU側の最大の懸念は、英国の負担なきFTAによる「いいところ取り」を認めれば、今後他のEU加盟国に波及しかねないという点にある。そのためEUが英国との自由貿易交渉にどこまで柔軟に取り組むか、という点は、今年春から秋にかけ、オランダ・フランス・ドイツの選挙による、EU加盟国の政治状況の変化に大きな影響を受けるだろう。

 以上のような双方の事情を踏まえながら離脱交渉が始まれば、昨年11月の本レポートで紹介したような、英国・EU間の独自の枠組み作りが、改めて意味を持ってくるのではないか。

 今後の手続きをめぐっては、2年間の離脱交渉後、英国・EU間でFTAなどが締結されるまでの「移行期間」の長さと内容が焦点になる。この点、今回の演説では、「国境や輸出入の管理など実際の新制度への移行は段階的に行いたい」と述べている。

 移行期間については、英国・EU共に「10年以上かかる」と言われる移行期間に時間をかけるのは実務上やむを得ない、と考えているのではないか。但し「単一市場からの離脱」が大前提となる以上、銀行のパスポート制度に代わる早めの対策は必要だ。一方、企業の生産・販売拠点の再配置などについては、2年間の交渉において、その後の「移行期間」でいつ、何が変わるのかについて、慎重に見極める必要があるだろう。

金融市場への影響・ユーロはパリティ割れへ

 最後に、1月11日付の本レポートでは、ECBの量的緩和策を背景としたユーロの下落傾向について述べた。今回のメイ首相の演説によって、今年半ばにかけてはポンドへの下落圧力が一段と強まると同時に、対ドルでは1ユーロ=1ドルを割り込み、対円では1ユーロ=120円から115円の水準へ、ユーロが下落する可能性が高まったのではないか。

 今年3月末までに英国が離脱通告を行い、その後、英国とEUとの交渉が始まった場合、少なくとも最初の数ヵ月間は、EU側が、英国が強硬離脱した上で、改めてFTAによって実質的に単一市場にアクセスできるような内容に応じることはできない。これは英国だけでなくEU側にとっても、貿易・投資による双方の経済的利益を大きく損なう、と理解されるためである。

(2017年1月23日)


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日本経済研究センター特任研究員 林秀毅
欧州は、連続テロ、難民の流入、英国のEU離脱問題など難問が山積し、統合のあり方そのものが問われる新たな段階に入っています。2016年4月よりタイトルを「林秀毅の欧州経済・金融リポート3.0」と改め、グローバルな金融市場動向を踏まえつつ、欧州の今後について的確な展望をご提供します(毎月1回 10日頃掲載予定)。
※本コラムのバックナンバーはサイト右上から、「欧州債務危機リポート」(13年3月まで)こちらからご覧いただけます。


(特任研究員 林秀毅)

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