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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

2017年11月15日 ペンは強し−経済白書ができるまで(2)

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日本経済研究センター研究顧問 小峰隆夫

 内国調査課の分析作業は進み。間もなく4人の分担執筆者からの原稿が課長(私)の手元に届くような時期になってきた。その白書執筆について話す前に、ちょっと寄り道をさせていただいて、私にとって「書く」ということがどういう意味を持っていたかについて述べてみたい。

書くことへの比較優位

 経済企画庁で働き始めた当初は気が付かなかったのだが、2〜3年経つと、私は自分が「書く」ということに圧倒的な比較優位を持っていることが分かってきた。

 なぜかというと、まず、私の文章を読んだ人からしばしばお褒めの言葉をいただいた。職場の先輩からは「君の文章は分かりやすい」と言われたし、書くことのプロである新聞記者の方からも「小峰さんの文章はよくこなれていますね」と言われた。他人が褒めてくれるのだから、客観的に見ても、自分は文章がうまい方なのだろうと思った。

 また何よりも、私は、書くことが好きであった。好きだから上手になったのか、上手だから好きになったのか、どちらかはよく分からないが、とにかく書くことは全然苦にならなかった。

 私の本棚の隅に、1冊の赤い表紙のノートがある。若い時、毎日「一つのテーマを1ページで」と分量を決めて文章を書いていたノートである。当時は外部からの原稿の注文などなかったから、自分で勝手に書いていたのである。読み返していると、つい「おや、この人、結構いいこと書いているな」などと思ってしまう。よく考えると、書いた人も読んでいる人も同じなのだから、評価が高いのは当然なのだ。

 今の私は、自宅に自分の部屋があり、大きな机がある。しかしこのノートに文章を書き付けていた若い頃は、自分の部屋などなかった。居間の隅に小さな机を置き、テレビの音や子供の声が飛び交う中で、勉強したり文章を書いたりしていたのだ。でも、全然つらいとは思わなかった。

長期展望プロジェクト

 私は、役人生活を続ける中で、「書くこと」に比較優位を持っていたことは大変な力になった。そのたびに私は「ペンの力は強い」という実感を深めてきたのだが、中でも、極めつけの出来事をお話してみよう。

 内国調査課で課長補佐を勤めた後、私は総合計画局の課長補佐となった。内国調査課では次席の補佐だったが、今度は局の総括課の筆頭補佐である。局の筆頭補佐は、局全体の仕事を仕切る役割を担っており、役所の中では大変重要なポストである。

 総合計画局では、私の着任を待っていたかのように、「長期展望」というプロジェクトが開始された。20年程度先を展望するもので、いわば「21世紀展望」もののはしりとなった作業である。これは約1年をかけて、局全体がほぼ掛かりきりになって行われた大作業だった。経済審議会の下に、大来佐武郎氏を委員長とする委員会が設けられ、六つの分科会を含めると、200人前後の有識者が議論に参加するという大掛かりなものだった。

 各分科会の作業がまとまってきたので、全体のスケルトンを考えようということになった時、私が考えたのは、関係各省の勝手な要求をいかに排除するかということであった。計画局には、分野ごとに10人の計画官がいたが、そのうちの半数は各省からの出向者である。国際経済の担当は通商産業省、財政金融は大蔵省、生活は厚生省、農業は農林省、社会資本が運輸省、地域問題が建設省という具合だ。計画官は課長ポストだから、いずれも私より年次が上である。

 政府が行う展望作業なのだから、当然「出てきた問題に政策的にどう対応するか」が問題になる。各省からの出向者は、親元の意向に沿った政策要求を盛り込もうとするだろう。権威のある経済審議会の報告に盛り込まれれば、アピールする力は強いからだ。しかし、これを全部認めていては、各省の宣伝リストになってしまい、つまらない読み物になってしまう。

 そこで私が考えた作戦は、「つまらない政策の羅列部分を1箇所にまとめてしまおう」というものであった。私は、全体を4章建てとする構成を考えた。第1章で、人口、経済成長などの基本的枠組みを述べる。第2章で、世界経済、経済社会の各分野について、21世紀初頭に予想される姿を描く。第3章で、大きな課題と、それに対する基本戦略を述べる。そして、最後の第4章で、各個別分野の政策を列挙する、という構成にしたのである。担当計画官には、第4章を好きなように作ってもらう。本音を言えば第4章はない方がいいのだが、まあ、つまらないと思えば読者が第4章だけ飛ばしてしまえばいいのだ、と割り切ることにした。

 スケルトンが決まり、いよいよ本文の執筆にかかった。これは全文(第4章以外)を私が書き下ろした。私は、会議室に閉じこもって、ひたすら深夜まで書き続けた。当時はまだワープロがなかったから全部手書きである。第1章から第3章まで、書いたそばから局長、課長、担当計画官に配り、意見を加えて修文していく。ワープロではないから、こうなると切り張りの世界である。

 こうしてほぼ第3章までの部分が完成した頃、M計画官(農林省出身)が、「小峰さん、ちょっとお話があるのですが」と、私のところにやってきた。そして、驚くべき提案をしてきたのだった。

意外な提案

 M計画官は、何と「第4章をそっくりやめることにしましょう」と提案してきたのだ。私はもともと「第4章はないほうがいい」と思っていたので、「そんなうまい話があるのか」と驚いた。続いてM計画官は、なぜそういう提案をするに至ったかの説明を始めたのだが、それは私を更に驚かせるものだった。

 以下に書くことは、にわかには信じられないような話であるし、自慢げに聞こえそうなので、やや書きにくいが、本当のことである。M氏は、「これは、10人の計画官の総意です」といって、次のように話したのだった。

 我々計画官は、自分達の作業結果を、計画課がどうまとめるか、お手並み拝見と見ていたのです。すると、序文と第1章が出てきた。読んでみると、なかなか良くできている。続いて第2章も出てきた。これも良くできていると思ったのですが、驚いたのは筆跡が同じだったことです。誰かが、「これは小峰さんの字だ。小峰さんが全部書いているんだ」と教えてくれた。これにはみんな本当に驚いた。ところがもっと驚いたことに、第3章も同じ字で出てきた。要するに、第3章までは小峰さんが全部書き下ろしているんだということが分かった。

 1人で全部書いているということにも驚きましたが、文章がきれいで読みやすいのにも驚きました。役所の文体とは違って、分かりやすいし堅くない。みんな「文章がうまい」と感心したんですよ。そのうち、誰かが「この小峰さんの文章の後に、我々の格調の低い文章をくっつけるのは気が引けるね」と言い出した。

 小峰さん。あなたは、我々計画官から出て来るであろう政策の羅列を、最後の第4章にまとめてしまおうと考えたんでしょう。我々にもそのくらいは分かりましたよ。でも、最初は、単なる便宜的な章建てだと思っていたのですが、小峰さんが書いた文章を読んでみると、確かに、我々の文章を間に挿入したくなかった小峰さんの気持ちがよく分かりました。

 そんな議論をしているうちに、「小峰さんがこうして立派な文章をここまで書いてくれたのだから、この報告書は全部小峰さんに任せようではないか。我々の政策部分はない方がいい」ということになった。親元は何か言ってくるかもしれないが、我々としては、「細かい政策を書く部分がないのだから仕方ない」と説明した方が楽だ。それでいっそ第4章は全部削ってしまおうということになったのです。

 私は、この話を聞いて、世の中にはこんなことがあるのだなあと呆然とした。私は、「皆さんがせっかくそう言って頂けるのなら」と、遠慮なく第4章を削ることにした。

 M氏は、続けて「小峰さん。私も長い役人生活を送ってきましたが、今回の作業はとても勉強になりました。農林省では体験できないような仕事をさせてもらって、とても良い思い出になりました。我々はこの大作業に参加できたことを誇りに思っています。本当にありがとう」と言った。そして最後に、「一つだけお願いがあるのですが、この報告書を市販するときには、巻末に作業に参加した人たちの名前を載せてもらえないでしょうか。一生の記念になります」と言ったのだった。その後、大蔵省印刷局から市販本が出されたとき、巻末には、作業に参加した局長から新人に至るまでの個人名が掲載された。役所の作業で、個人名を記録するのはほとんど前例がないことだったが、M氏の要請があったのでそうすることにしたのである。

 M氏にとってと同様に、この報告書は、私にとっても、ペンの力を示すものとして一生の思い出として残ったのだった。

 こうして「書くこと」の比較優位を感じるたびに、私は、「この自分の能力を経済白書という場で発揮してみたい」と思うようになった。そしていよいよその白書執筆の時が迫ってきたのだ。

(2017年11月15日)


(日本経済研究センター 研究顧問)


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