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大竹文雄の経済脳を鍛える

2012年6月15日 レタスを処分する農家の写真の意味

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日本経済研究センター研究顧問 大竹文雄

 レタスを処分している農家の写真やテレビの映像を記憶している人は多いのではないだろうか。例えば、高校の政治・経済の教科書の中で、もっともよく使われている東京書籍の教科書の「市場メカニズム」という節に、「レタスを処分している農家」という見出しの写真がある。その写真の下には「生産過剰で価格が下落するのを防ぐため」と解説されている。

 しかし、これだけの解説で、農家がレタスを処分している本当の意味を理解できる人は少ないだろう。それだけではない。この教科書を使って政治経済を教えている先生たちと話をしてきた私自身の経験からも、この写真から何を教えればいいのか分からないと思っている方が多いようだ。

 理解が難しい最大の原因は、レタスを処分する農家の写真が「市場メカニズム」という節に掲載してあることだ。「市場メカニズム」という節では、完全競争のもとでの価格メカニズムが説明されている。価格メカニズムについて、「価格が上昇すると需要量が減少する一方で供給量は増加し、価格が下落すると需要量が増加して供給量は減少するから、需要と供給量の間にギャップがあるときには、価格の変化を通して品不足や品余りが自然に解消される(価格の自動調節機能)。」という説明がある。その横にレタス処分の農家の写真があり、「生産過剰で価格が下落するのを防ぐため」という説明文が付けられている。

 もしあなたがこれを読んで、「レタスを処分する農家の写真は、市場メカニズムを説明するためのいい写真だ」と納得するのであれば、あなたの経済学の理解は十分ではない。もし農家が完全競争に直面しているのなら、レタスを処分するという農家の行動は完全競争の仮定と整合的ではないからだ。「そんなはずはない、農家は生産にかかった費用とレタスの価格を比較して、レタスの価格の方が低いからレタスを処分しているのであって、完全競争の仮定と整合的だ」と反論する人がいるだろう。

プライステーカー

 この反論は、二つの意味で間違っている。第一に、「生産過剰で価格が下落するのを防ぐため」という説明文は、完全競争の仮定と異なっている。完全競争のもとでは、価格は与えられたものであり、自分の行動は価格に影響を与えないという想定で、供給者は行動している。つまり、供給者は与えられた価格のもとで、どれだけ供給するかを決定するのであって、価格下落を防ぐために供給量を減らすということはしない、というのが、完全競争における供給者の行動だ。いわゆるプライステーカーという仮定である。したがって、この説明文がある以上、この写真は完全競争における価格メカニズムの場所に掲載すべきものではない。

サンクコスト

 第二の間違いは、「農家は生産にかかった費用とレタスの価格を比較して」という部分である。これは、レタスは既に生産されてしまっているということを忘れていることから生じている。レタスを作る前に、レタスの予想価格とレタス栽培にかかる費用との大小関係でレタスを生産するか否かを決定するというのであれば、レタス農家の行動は完全競争と整合的である。

 しかし、レタスは既に生産されてしまっているので、レタス栽培にかかった費用は「サンクコスト(埋没費用)」になっている。そのため、完全競争に直面した農家がレタスを出荷するか処分するかの判断をする際には、影響しない。完全競争に直面している農家がすべき意思決定は、レタスを処分したときの純利益とレタスを出荷したときの利益を比較することだ。その際、レタス栽培にかかった費用は、どちらの場合にも同じ額だけかかっているわけだから、意思決定には影響しないのである。

 具体的に言えば、
レタス1個を処分したときに得られる利益は、
「—(レタス処分費用+レタス栽培費用)」であり、
レタスを出荷したときの利益は、
「レタス販売価格—(レタス出荷費用+レタス栽培費用)」となっている。

 どちらの場合でもレタス栽培費用が同じ額で含まれるので、出荷すべきか処分すべきかの意思決定には無関係になる。それが、「レタスの生産が終わった段階では、レタス栽培にかかった費用がサンクコストとなっている」という意味である。レタスの処分費用とレタスの出荷費用が同じであるか、ほとんど無視できる額であったとすれば、農家は、レタスを出荷しないでおくよりも、いくら安い価格であってもレタスを出荷した方が得になるので、生産されたレタスを全て出荷することが完全競争市場に直面した農家の最適な行動なのである。

 要するに、農家がレタスを処分するという行動は、完全競争市場に農家が直面している場合にはありえないのである。

豊作貧乏と独占

 そもそもなぜ農家はレタスを処分したのだろうか。農家が生産過剰の際に、レタスを出荷せずに処分するのは、「豊作貧乏」と呼ばれる現象を回避するためだ。価格が少し下がったくらいでは、レタスの需要があまり増えない場合には、レタスの生産量が少し増えると、レタスの価格は大きく下落する。農家の所得は、レタスの価格と生産量の積である。レタスの価格が大きく下がって所得が下がる効果が、生産量が増えて所得が増える効果を上回ってしまうと、レタスの生産量が増えたのに農家の所得が下がってしまう。これが豊作貧乏である。

 そこで農家が連帯して、レタスの生産量の一部を処分して出荷しないことで、レタス価格の下落を抑えているのである。実際、レタス処分というのは、個々の農家の意思決定でなされているのではない。これを明確に示しているのが、2005年のレタス廃棄処分に関する質問への長野県による回答である。

 長野県の担当者の回答は、「今回のレタスの産地廃棄につきましては、以下の原因により著しく低迷した販売価格の回復のため、供給過剰となっている市場へのレタス出荷量を適正なレベルまで抑えることを目的に全農全国本部が国(農林水産省)と協議の上、決定し、全農長野県本部がやむを得ず実施しているものでございます」というものだ。つまり、レタス処分は、全農(全国農業協同組合連合会)と国とが協議して決定していると明記されている。個々の農家が自主的に行っているものではないのである。

 「現在は、農家がレタスを栽培するために必要な肥料代や生産したレタスを出荷するためにかかる輸送料などの経費よりも、販売価格のほうが安い状況にあり、生産農家の経営は非常に苦しい状況となっております。このままの価格が続くようでは、次の作付けに必要な種子や肥料の購入などにも影響し、結果として消費者の皆様へレタスを安定してお届けすることも困難となりかねません。・・・(中略)・・・レタスを廃棄しなければならないことは、手塩にかけて大切に育てた生産者であるからこそ非常に悲しく、つらいことでございます。今回は、それでもなお廃棄しなければレタス生産者としての基盤そのものを失いかねない事態になってしまいました。このような事態をなくすことは生産者だけでなく消費者の皆様にとっても重要なことと考えております」

という説明は、心情的には理解できる。ただし、このような政策が経済学的に正当化できるのかはそれほど簡単ではない。

 長野県の説明から農家がレタスを処分していたのは、完全競争市場に直面していたからではなく、全農と国の協議によって独占企業と同じ行動をとっていたからだということがはっきりわかる。要するに、レタス農家が集団として行っていたことは、競争的な市場の場合よりも生産量を減らして価格を吊り上げて利潤を増やしているということであり、それは、独占企業の行動様式と同じなのである。独占によって供給が減らされて価格が吊り上げられることで損失を被るのは消費者である。経済学の基礎では、独占による供給者の利得の増加と消費者の損失の増加は、後者の方が大きいことを学ぶ。実際、高校の教科書でも、「寡占と独占」は「資源の有効な活用がはかられない恐れがある」と指摘されている。レタスを処分している農家というのは、市場メカニズムの被害者ではなく、全農と国とがレタス農家全体をあたかも独占企業のように行動させていて、独占の弊害を受けているのは消費者なのである。

 「レタスを処分する農家」の写真は、教科書で市場メカニズムの場所にあるよりも、「寡占・独占」のところに移すべきなのだ。その上で、生産過剰に直面した農家に対し、国はどのような政策をすべきなのか、を議論することが大切だ。また、消費者の立場からの説明をきちんとしておくべきだろう。

(2012年6月15日)


(日本経済研究センター 研究顧問)

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