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大竹文雄の経済脳を鍛える

2012年9月14日 社会保険料を負担しているのは誰?

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日本経済研究センター研究顧問 大竹文雄

払っている人と負担している人は同じ?

 税金や社会保険料を本当に負担しているのは誰だろうか。一般的には、あるいは法的には、税を支払っている人と税を実際に負担している人は同じだと考えられている。社会保険料の事業主負担と労働者負担のことを考えよう。事業主負担分の社会保険料は事業主が払っていて、実際にも事業主が負担していると多くの人は考えている。雇用保険の事業主負担についての使い方を議論する際に「集められた保険料は事業主に還元されるような使い方をすべきである」という議論がなされることもある。

 「社会保険料の雇用者負担分を減らして事業主負担を引き上げよ」という主張を労働組合が行うこともある。社会保険料の事業主負担分が、労働者の負担になっていないという考え方をしているのは労働組合だけではない。厚生労働省も、事業主負担分は労働者には負担されないという考え方をとっている。例えば、公的年金の保険料負担と給付の関係を世代別に計算する際に、労働者負担分の保険料だけを年金保険料負担とする一方で、年金受取額を全額受益と考えた計算を厚生労働省は行っている(表1)。つまり、事業主負担分の保険料を労働者は全く負担していないというのだ。このような計算に基づいているため、1940年生まれの人は支払った保険料の6.5倍の給付を受け取れることになり、2010年生まれの人でも支払った保険料の2.3倍もの年金給付を受け取れるという計算になる。

※図表をクリックしていただくと、拡大してご覧いただけます。



 同じ日本の政府でも、内閣府は異なる立場をとっているようだ。例えば、『平成15年度年次経済財政報告』でも公的年金の世代間格差を計測しているが、その際には、保険料負担には、労働者負担と事業主負担の合計額が用いられている(図1)。また、鈴木亘、増島稔、白石浩介、森重彰浩の4名の研究者による内閣府のディスカッションペーパーである「社会保障を通じた世代別の受益と負担」(No.281)でも、同様に労働者負担と事業主負担の合計が年金保険料の負担額だと想定されている。経済学の文献では、通常、公的年金の負担として、労働者と事業主の負担額の合計を使う。



厚生労働省の考え方

 事業主負担の社会保険料は、労働者の負担になるか否かについて、厚生労働省では、「第4回社会保障の教育推進に関する検討会(平成24年3月23日)」で「社会保障の正確な理解についての1つのケーススタディ 〜社会保障制度の“世代間格差”に関する論点〜」という資料を出して議論している。

 まず、内閣府の論文では、「厚生年金や健康保険の保険料負担に、“事業主負担”を入れている。一方、厚生労働省の厚生年金における拠出と給付の関係では、“事業主負担”を入れていない」と厚生労働省では、公的年金の事業主負担を労働者の負担だと考えていないことを明記している。

 この理由として厚生労働省は次の2点を挙げている。第一は、労働者は事業主負担を自分の負担だと認識していないというものである。具体的には、「事業主から見ると、“事業主負担”は、従業員に対して負担している額として計上すべきと主張するかもしれないが、従業員からするとその分を負担しているという認識は薄い。」と表現されている。この理屈が成り立つのなら、負担している本人に負担の認識が薄ければ、実質的に負担していたとしても負担していることにならない、ということになる。損害賠償請求なら、損害を受けているという認識が損害を受けた人にないと、損害はなかったということになるのかもしれない。しかし、国の政策として、一種の錯覚によって負担感が少ない人に実質的に負担させるというのは、問題である。負担が少ないと思っていたのに、実質的に負担していたことに労働者が後になって気がついたなら、別の政策を支持していたかもしれない。

 第二の厚生労働省の反論は、事業主の負担は、100%は労働者に転嫁されないのではないか、というものである。その根拠として、「事業主は、社会保険料負担の軽減策として、非正規雇用を増やすような行動をとったり、パート労働の社会保険適用で、現在、適用除外の者が多い企業団体等が強い抵抗を示すのは何故だろうか。さらに、賃金には硬直性があるために、社会保険料の賃金への転嫁には、相当の時間を要するという実証研究はいくつもある」という点を挙げている。最後の社会保険料の賃金への転嫁に時間がかかるという話は、すぐには転嫁されないということを言っているだけで、転嫁されない、という議論をサポートしていない。最初の二つは、社会保険料の事業主負担分の一部は転嫁されない可能性を示唆しているかもしれないが、労働者に全く転嫁されないということを示すものではない。また社会保険料負担の転嫁とは異なる理由で、事業主がそのような行動をとっている可能性も否定できない。

伝統的経済学の考え方

 厚生労働省だけではなく、一般の人も形式的にお金を負担している人と、実際にお金を負担している人は同じであると思っていることが多い。しかし、経済学では、実際に税を支払う人と税を負担している人は別だと考えるのが標準的だ。

 実際に税を支払う人、例えば事業主負担の社会保険料を支払わなくてはいけない事業主は、価格や賃金を調整することで取引相手や労働者にその税の一部または全部を転嫁することができると経済学では考えている。事業主負担の社会保険料がかけられた事業主は、その社会保険料の負担分だけ賃金を引き下げるはずだ。もし、競争的な労働市場に直面していたとすれば、労働者に支払っていた事業主負担の社会保険料を含んだ税込みの賃金額は、追加的に労働者を雇ったときの生産額の増加に等しくなっている。事業主負担の社会保険料が増えたとしても、労働者の生産性が高まるわけではない。生産性が変わっていないのだから、事業主は税込みの賃金額を引き上げることができない。結局、事業主は、事業主負担の社会保険料分だけ賃金を引き下げるしか対応の方法がない。

 賃金額が上がっても、下がっても労働者が同じ時間だけ働いてくれるという状況だと、話は簡単だ。社会保険料の事業主負担が引き上げられた事業主は、労働者の生産性が変わらないので、賃金をその分引き下げざるを得ない。賃金が引き下げられても、労働者が誰も、仕事を辞めたいということがなければ、元の従業員数で、社会保険料の事業主負担分の上昇分だけ、賃金が低下するということになる。事業主負担は、100%労働者に転嫁され、社会保険料を負担しているのは、事業主でも、それを実質的に負担しているのは賃金低下に直面した労働者である。

 ところが、賃金が引き下げられた労働者が、仕事を辞めたり労働時間を短くしたりすれば、話は変わってくる。事業主負担の増加分だけ手取り賃金が下げられた労働者の中には、働くことを止めてしまうものが出てくるとしよう。この場合、企業にとってみれば、今までと同じ数だけの労働力を確保したいと思えば、賃金を減らすことができない。しかし、雇っている労働者の数が変わらない限り、労働者の生産性は変わらない。事業主負担の社会保険料が上がった分、賃金を下げることができないのであれば、少数精鋭にして労働者の生産性を高めるしかない。雇用量の減少が生じるのだ。この場合は、事業主負担の社会保険料によって賃金にはあまり転嫁されなかったかもしれないが、雇用量の減少という意味で、労働者全体の所得は減少している。

 要するに、伝統的経済学では、競争的な労働市場に直面している限り、事業主負担の社会保険料は、賃金低下か雇用減少かどちらかの形で労働者にも負担させられていると考えられるのである。もっとも、労働市場が競争的でなければ、もともと賃金と限界生産性が一致していないので、事業主負担の社会保険料が引き上げられたからといって、そのまま賃金が低下するとは限らない。

行動経済学的な議論と政策

 労働者も企業も合理的に行動しているという状況にはないという厚生労働省の主張も検討しよう。税引き前の賃金は、景気の変動や企業固有の業績変動など社会保険料の事業主負担以外の要因でも常に変動する可能性がある。そのため、事業主負担の社会保険料の増加のために賃金が下げられたとしても、別の理由で引き下げられたことと識別できないため、労働者が実質的な保険料負担に気がつきにくいという可能性はあるかもしれない。逆に、労働者は税引き後の賃金ではなく、税引き前の賃金をもとに労働供給を考えているとすれば、事業主負担を賃金に転嫁することが難しい一方で、税引き前の賃金が変わらない社会保険料の本人負担の増加は受け入れるという可能性もある。こうした議論は、行動経済学的な議論だといえる。

 このような認識のバイアスが現実の労働者にあるのかどうか、ということは政策的に重要な問題である。また、そのようなバイアスがあった場合に、国はバイアスを利用して政策を行うべきかどうか、ということを考える必要もある。労働者の心理的な影響は、まだまだよくわかっていないため、実証研究を進めなければならないことが多いのは事実である。しかし、「労働者が事業主負担の社会保険料を賃金低下で実質的に負担していると認識していない」ということが仮に事実であったとしても、労働者が事業主負担の社会保険料を負担していないことを前提にして政策を進めてよいことにはならない。これは、行動経済学の政策的な使い方として正しくない。実質的に負担しているのが誰か、という事実こそが、政策の根拠となるべきである。人々が病気に効果があると信じているが、医学的には病気を悪化させるような効果しかないことが分かっている薬品があった場合、その薬品を認可すべきか、といえば、そうではないはずだ。

(2012年9月14日)


(日本経済研究センター 研究顧問)

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