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大竹文雄の経済脳を鍛える

2013年1月11日 利他性と経済学

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日本経済研究センター研究顧問 大竹文雄
 世の中には、経済学や経済学者が嫌いだという人が多い。経済学が嫌いだという理由には、様々なものがあると思うが、中でも一番多いのが、経済学が世の中を損得勘定だけで考えているという点が嫌いだというものだろう。特に、損得の範囲が、いわゆる自分の利己的な損得だけで判断しているという考え方が嫌いなのだと思う。その次に、嫌われている理由は、経済学が想定する人間像が、非常に合理的で計算能力が高い人を想定している点であろう。計算能力が高く、合理的な判断をいつもしているというイメージが現実の人間とかけ離れているため、そのような人間像を想定する経済学の現実的妥当性に疑問を呈する理由となっている。合理性と高い計算能力については、すべての人がそのような能力をもっていると経済学者が考えているわけではなく、裁定取引の結果、市場経済で決定される価格に影響するのは、合理的に行動する人たちの行動が反映されていると考えるからだ。

経済学への誤解

 では、第一の利己的な人間像については、どうだろうか。実は現代の経済学はそのような人間像を想定しているわけではない。経済学の教科書に書かれている人間像は、利己的な動機だけをもったものが多いことは事実である。しかし、経済学は「人は利己的であるべきだ」という価値観をもっているわけではない。むしろ、人々が利己的な動機で動いていたとしても市場メカニズムによって効率的な資源配分が達成されるということを示しているのであって、そうあるべきだという価値観を示しているのではない。この点は、よく誤解される話である。経済学は、多様な価値観を許している。人々が利他的動機をもっていたとしても、経済学の考え方が間違ってくるというわけではない。

 ところが、経済学の入門書や大学の授業では、他人の生活水準や人間関係、自然環境などからは満足を感じないで、自分の消費からしか満足を得ないような人間のモデルをもとに経済学が教えられる。そのため、経済学的な思考をするということが、利己的な行動をとるべきだ、という価値観と誤って理解されている。

 典型的に誤解される例としては、最後通牒ゲームと呼ばれるゲームにおける結果を、「非合理」と解釈することだ。最後通牒ゲームとは、1万円を渡されたAさんが、「見ず知らずのBさんと、あなたが好きなように分ける提案をしてください。もし、Bさんがその提案を受け入れたら、その金額を二人は手にすることができます。しかし、Bさんがあなたの提案を拒否したら、あなたもBさんも金額を手にすることができません。」と言われるものだ。

 もし、Aさんが、自分のことだけしか考えない利己的な人間で、Bさんも同じタイプの人間だということをAさんが知っていたならば、Aさんの提案は、「自分が9,999円で、Bさんに1円」という配分というものだ。なぜなら、Bさんにとっては、1円でももらえば、提案を拒否をして1円もらわないより、満足度が高くなるので、Bさんはその提案を受諾するはずである。そう考えた利己的なAさんは、Bさんに1円しか配分しない提案をすることになって、Bさんは実際に受諾することになる。

 しかし、経済実験の多くの結果は、Aさんの立場にたった被験者は、自分に7割、相手に3割程度の配分を提案し、Bさんの立場にたった被験者も自分への配分が3割未満の場合に拒否するということが多いことを示している。これをもって、私たちは人々が合理的ではない、と判断するのは間違いだ。人々が利己的であるという前提のもとでは、非合理かもしれないが、公平感を大事にするという価値観や、利他性をもった価値観のもとでは、最後通牒ゲームで、相手に3割程度の配分をしたり、3割以下の提案を拒絶するという行動は「合理的」なものである。

経済学の二つの役割

 経済学は、利他的な感情をもっている人がいるという前提でも、議論を組み立てることができるし、そういう人がいないという前提でも議論を組み立てることができる。経済学の役割の一つは、人がどちらのタイプの価値観をとるべきだということをいうのではなく、ある価値観のもとであれば、人々の行動はどうなって、そのもとではどのような制度を作ればいいか、ということを考えることだ。もう一つの役割は、どうしてそのような価値観が広がっていったのかを考えることだろう。

 利他性を考える際には、実は、この二つをよく理解した上で議論する必要がある。経済学において利他性をどう捉えるかに関する一種の「混乱」について、2012年12月に青山学院大学で行われた行動経済学会大会のパネルディスカッション『社会性と利他的行動』での議論でうまく整理されていた(パネルの議事録は近く行動経済学会の学会誌『行動経済学』に掲載予定)。パネルディスカッションでは、亀坂安紀子、川越敏司、藤田和生、山岸俊男という経済学、比較認知科学、社会心理学の専門家が、利他性について議論した。

 パネルでは、川越氏から経済学の専門誌では、1980年代までは、人間の行動は利己性に基づいているという前提で議論しないと論文がなかなか採択されなかったが、90年代以降は、利他性に基づく設定にすることに拒否反応がなくなって、どちらのタイプの人もいるということを受け入れるようになってきているという発言があった。社会心理学者の山岸氏は、人間には利他的な思いやりがあるという話は至近因についての議論であり、なぜそのような利他的動機をもっているのかという話は究極因についての議論なので、それを分けて議論することが大切だという指摘をされた。

 そういう意味では、経済学は1980年代までは、究極因の分析に集中しすぎていて、至近因と究極因のバランスがとれてきたのが現在の状況であるといえる。経済学を教える上で大切なのは、この両者を区別しておくことで、合理的行動とは利己的行動であると学生や読者に誤解させないようにすることだと思う。  

(2013年1月11日)


(日本経済研究センター 研究顧問)

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