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大竹文雄の経済脳を鍛える

2015年3月13日 いくら以上の年収ならトップ1%?

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日本経済研究センター研究顧問 大竹文雄
ベストセラー

 トマ・ピケティ教授の『21世紀の資本』が、13万部を超えるベストセラーになっている。728ページという大著で、税込みで5940円という高額な学術書なのにこれほど多くの人が購入するというのは珍しい。この本のメッセージはシンプルだ。長期のデータを使えば、資本収益率の方が所得成長率よりも高いこと、アメリカではトップ1%の所得シェアが第二次世界大戦前の水準にまで高まってきたという事実が示されていることだ。また、注目されている政策提言には、資産家の所得シェアが高まり続ける傾向を抑えるためには、累進的な資産課税を導入すべきだというものがある。

 結論だけをまとめるのであれば、こんなに分厚い本は必要ない。しかし、この本の重要な部分は、どうやってそのデータが作られたのか、データの作り方の長所と限界、高所得者の所得占有率が増えてきた理由についての様々な可能性、格差拡大を抑制するための代替的手段の検討という部分に相当なページ数が使われているところにある。また、歴史的なデータを分析する際に、バルザックやオースティンの小説を引用して、読者に対してイメージを膨らませやすくしているのも特徴だ。経済学の知識を広めるという教養的な意味でも、読者が楽しめる工夫が随所にしてあることが、この本の魅力である。質が高く、工夫がしてあれば、まだ本が売れる可能性があることを示してくれたとも言える。

トップ1%所得占有率

 ピケティのトップx%所得占有率というのは、上位所得者の所得が総個人所得に占める比率である。上位1%所得占有率とは、成人人口の中で上位1%に当たる高額所得者層に、総個人所得の何%が集中しているかを示すのだ。

 所得格差を示す指標には、トップ所得占有率以外にも様々なものがある。広く知られているのは、ジニ係数と呼ばれる不平等度指標である。これは、国民の所得がすべて同じという意味で完全に平等だったときをゼロ、一人の人が一国の所得を独占しているときを1として、どの程度所得が不平等かということを示すものだ。

お金持ちの所得情報

 所得格差を計算するのに、しばしば用いられるのは『家計調査』のような標本調査を用いたデータだ。しかし、お金持ちは少数なので、標本に含まれない可能性も高い。また、調査対象になったとしても、きちんと回答してくれる可能性が低い。その意味で、標本調査では、お金持ちの情報があまり正確ではないことが知られている。

 ピケティ教授は、上位所得者のデータを得るために、税金のデータを用いた。これなら脱税をしていない限り上位所得者をすべて捕捉することができる。国民全体の所得がいくらかは国民所得統計から得られるので、個人所得全体に占める上位所得者の所得が何パーセントかを計算することは可能だ。低所得の人たちは税金を支払っていないため、彼らの所得情報は得られないが、トップ層の所得情報は確実に得られている。しかも、所得税が整備された国であれば、非常に長期にわたってトップ所得占有率を計算できる。また、彼らのデータベースは、インターネット上の"The World Top Incomes Database" というサイトで公開されている。

アメリカのトップ1%所得占有率

 ピケティ教授は、最初、フランスでこの指標を計算した。その結果、第二次大戦前のフランスの所得格差は、非常に大きくて、トップ1%の人たちがフランスの所得全体の約2割を独占していたことを明らかにした。しかし、第二次大戦を契機に、トップ1%の所得占有率は急減し、その後大きな変化がないことを発見した。次に、アメリカのデータで分析すると、第二次大戦前にトップ1%の所得占有率が高く、第二次大戦後そのシェアが急激に低下したところまでは、フランスと共通だった。しかし、その後、フランスとアメリカは大きな違いが出てくる。アメリカでは1980年くらいからトップ1%の所得占有率が上昇を始めていたのだ。そして、2000年代に入ると、アメリカのトップ1%の所得占有率は、アメリカの戦前の水準に戻ってきているのだ。

 ただし、アメリカのトップ1%の所得の人たちの所得の源泉は、戦前と最近では大きく異なっている。第二次大戦前のアメリカの金持ちは、その所得の多くを、資産所得から得ていた。これに対し、1980年以降のトップ1%の人たちの所得の源泉は労働所得である。その中心は、金融機関を中心とした企業経営者である。アメリカの所得格差拡大の特徴は、トップ1%所得占有率の拡大を引き起こしているのは、トップ0.1%の所得占有率の拡大であるということだ。つまり所得上位層ほど所得が増えたのだ。では、なぜアメリカで高所得者への所得集中という現象が発生したのだろうか。

格差拡大の標準的説明

 高所得者の間でより所得が高まるという傾向について、労働経済学では主に2つの理由で説明してきた。第一は、技術革新の影響だ。特に、コンピューターを中心とする情報通信技術(ICT)の発達は、私たちの働き方に大きな影響を与えた。コンピューターは計算力、記憶力では人間の能力をはるかに超える。様々なロボット技術も急速に進歩している。伝統的な事務作業の大半、予約業務、商品の発注などかつて多くの人が行っていた仕事が、今はほとんどコンピューターやネットで行われるようになった。

 技術革新によって、人の仕事は、2つのタイプの仕事に限られてきている。どちらも現在のコンピューターがまだ苦手としている仕事である。第一は、経営のアイデアや戦略を決める仕事や、高度な対人コミュニケーションサービスが必要な仕事といった限られた人間にしかできない仕事である。第二は、人間なら多くの人ができるけれどコンピューターにさせると費用が高くなってしまうような仕事かコンピューターにはまだできない仕事である。コンピューターへの入力作業、清掃、配達、様々な対人サービスといった仕事だ。

 どちらの仕事もコンピューターは苦手である。限られた人しかできない第一のタイプへの仕事への需要が高まるとその能力をもった人たちの所得は高まる。一方、人間なら誰にでもできるけれどコンピューターは苦手という第二のタイプの仕事の需要は確かに高まるけれど、コンピューターに代替されてしまった人たちの多くが、このタイプの仕事に就こうとするので、労働供給も増える。こうしたタイプの仕事はもともと低賃金労働であることが多いが、かつての中間層の人たちもこの仕事に就こうとするので、供給過剰になって賃金が上がりにくい構造になっている。これが様々な国で観察されている賃金格差拡大の理由として労働経済学者は考えているものだ。

 もう一つの有力な説は、グローバル化の進展だ。新興国の成長で、製造業の生産拠点が、先進国から中国、インド、タイといった新興国に移っていった。すると、先進国で製造業において製品の生産に従事していた労働者の需要は減少した。そのため、生産労働者を中心として賃金の低下が先進国で発生したといわれている。

ピケティ教授の説明

 しかし、トップ1%の所得占有率の上昇をこの二つの仮説で説明できるかと言えば、難しいだろう。ピケティ自身も次の理由から懐疑的だ。第一に、技術革新やグローバル化が理由でトップ1%の所得シェアの上昇が発生しているなら、これは世界共通の現象なのですべての先進国でトップ1%シェアの上昇が観察されるはずだという理由だ。しかし、トップ1%の所得占有率の上昇が観察されるのは、アメリカ、イギリスというアングロサクソンの国に集中している。第二に、技術革新によって、ビジネス戦略に優れた企業経営者の需要が増大し、彼らの生産性が上昇したという可能性については、ピケティ教授らが当該企業の生産性の変化とその企業の経営者の給料はあまり相関していないことを示している。ピケティ教授はこうした理由からアメリカやイギリスでみられる経営者層の所得上昇は、経営者に対する所得決定メカニズムに問題があることや最高所得税率が引き下げられたことによって引き起こされていると主張している。

日本のトップ所得占有率

 日本の所得格差の動きはどうなっているだろう。まず、ピケティ教授の指標であるトップ1%の所得シェアの動きは次のとおりである。日本も第二次大戦前はアメリカや他の先進国同様、トップ1%の所得占有率は20%弱という水準にあった。それが第二次大戦で急激に低下し、戦後は7〜8%で推移してきた。2000年代になって少し上昇し9%程度になっている。アメリカではトップ1%所得占有率が約20%にまで上昇してきていることと比べると大きく異なる。

 トップ0.1%所得占有率の動きも似ている。戦前は8%前後であったものが、大戦中に下落し、戦後は2%程度で推移してきた。2000年代になって上昇はしているがまだ3%を超えていない。これに対し、アメリカではトップ0.1%所得占有率は最近では9%に近付いている。日本でもトップ10%所得占有率は2000年代になって上昇している。戦後30%だったものが、近年では40%にまで上昇してきている。この上昇はアメリカと似ている。アメリカでもトップ10%所得占有率は戦後32%程度だったものが近年48%程度に上昇してきている。

 つまり、トップ10%所得占有率の動きは、日米で共通しているもののその中身は日米で大きく異なる。アメリカではトップ10%所得占有率の上昇の原因はその中のトップ層の所得占有率の上昇が大きい。しかし、日本のトップ10%所得占有率上昇の原因は、トップ10%の中での下位層の所得占有率が上昇したことである。

トップ1%とはいくら以上の所得か

 それでは、トップ1%とか10%とは、どの程度の所得の人を指すのだろうか。日本だと、2012年では、上位10%は年収580万円以上、上位5%が年収750万円以上、上位1%が年収1270万円以上になる。日本のトップ1%はもっと高いと思っている人が多いと思う。20歳以上人口の中で所得がない人も含めて、所得上位1%目の人というのは1270万円なのだ。格差が拡大しているから金持ちからもっと税金をとるべきだと思っていた人でも、トップ10%で580万円以上だと聞くと、にわかには信じられないかもしれない。ちなみに、日本のトップ0.1%の下限は3200万円、0.01%の下限は8000万円だ。

 アメリカではトップ1%の下限は年収約35万ドルになるので、4000万円以上ということになる。アメリカのトップ10%の下限は、約1200万円なので、日本のトップ1%と同じ水準だ。アメリカではトップ0.1%の平均所得は3億8千万円程度なので、アメリカの金持ちは一生で使い切れないくらいの所得を稼いでいるというのは事実だ。しかし、日本では、トップ1%の人たちの多くは、大金持ちというイメージとは程遠いことがわかる。

 確かに、トップ10%所得占有率でみると日本の所得格差が高まったと言えるが、その中身は年収580万円から1200万円の人たちの所得の比率が高まったことによって引き起こされている。

 トップ1%所得占有率に着目するというピケティ教授の研究手法は、標本調査に含まれにくい大金持ちの所得の実態から格差を計測するという点で優れており、アメリカの所得格差拡大の実態を見事に明らかにした。しかし、日本の場合には、トップ1%の人たちの所得占有率に大きな動きはないことから、標本調査の対象に入るような所得層の間の所得格差の動きをみてもそれほど問題がないことを意味する。

日本の所得格差の変動要因

 日本の所得格差を示すのに伝統的に使われてきたのは、『家計調査』や『国民生活基礎調査』などから計測したジニ係数である。日本の家計所得のジニ係数は、戦後低下を続け、1970年ころに底を打った後、上昇に転じた。その後、2000年代になってその上昇スピードが低下してきている。1970年以降のジニ係数の上昇の多くは人口高齢化で説明できる。日本では年齢階層内の所得格差が若年層では小さく、高齢層では大きいため、人口高齢化の進展とともに所得格差の大きなグループのシェアが高まることによって全体の所得格差も高まるのである。2000年代になって所得格差上昇のペースが弱まったのは、年齢階層内の所得格差に変化があったからである。高齢層の間では所得格差の縮小がみられるのに対し、若年層を中心に年齢内の所得格差の拡大が観察されている。この二つの動きと、高齢化の効果が続いているのが2000年代の日本の所得格差の動きである。若年層では非正規労働者が増えたことが大きい。

 中位所得の半分以下の所得しかない人の比率を意味する相対的貧困率も同様に、高齢者層で低下し、30歳代とその子供の年齢層で高まっている。アメリカでは格差問題は、トップ1%所得層の動きであるが、日本では580万円以上の人たちとそれ以下の人たちとの所得格差の拡大である。貧困率の拡大を止めるには、少数の金持ちへの課税を高めることだけでは十分ではない。日本のトップ10%というのは、安定した職をもっている正社員の多くで構成されている。相対的に恵まれた正社員の税負担を増やすことが、日本の貧困問題を解決するためには不可欠であることが理解できると思う。

アメリカの格差拡大が日本に与える影響

 アメリカのような大金持ちの所得がどんどん増えていくという意味での格差社会には、日本はなっていない。しかし、アメリカ社会の問題なので、格差拡大は日本とは無関係だとは言えなくなってきている。日本のトップのプロ野球選手がアメリカにいけば、何倍もの所得が得られるように、日本のトップレベルのビジネスマンが、アメリカで働けば何倍もの年収が得られるということだ。優秀な日本人が日本企業で働かなくなってくるのであれば、日本企業の収益も低下していく可能性がある。大学研究者の世界でも影響がある。アメリカでは経済学の研究者は、ビジネス界との競争関係から年収が非常に高くなっているため、経済学ではアメリカの教員の給料は少なくとも日本の約2倍になっている。このため、アメリカにいる日本人の優秀な経済学者を日本に呼び戻すことは相当難しくなっている。

 アメリカでトップ所得層の所得が上昇していると、グローバル社会においては、他の国も外部性を受けてしまう。グローバル企業が、トップクラスの人たちの給料を引き上げ始めると、人材獲得競争にさらされている日本企業も対抗せざるを得なくなってくるだろう。日本の人事制度も影響は免れないだろう。日本で、ピケティ教授の本が売れているのは、そういうことを日本人が感じ取っているからなのかもしれない。

(2015年3月13日)


(日本経済研究センター 研究顧問)

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