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大竹文雄の経済脳を鍛える

2015年12月17日 経済学で「怒り」とつきあう

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日本経済研究センター研究顧問 大竹文雄
感情と意思決定

 私たちは、自分の意思決定がその時の感情に影響されてしまうことをよく経験しているし、他人の感情も意思決定に影響することをよく知っている。上司の機嫌が悪い時に、何か頼み事をしてもうまくいかないから、なんとか機嫌がいいときを狙って頼み事をするというのは、上司の意思決定が感情によって異なることを私たちが知っているからだ。与えられた情報が同じで、常に合理的な意思決定を人間がしているなら、本人の機嫌がいいかどうかは、関係ないはずだ。コンピューターの能力が高まって人工知能によって様々な意思決定が自動化されたなら、意思決定に必要な情報が同じであれば、常に同じ判断をするはずだ。しかし、人間は明らかにそうではない。

 なかでも「怒り」の感情は、私たちの日常生活でトラブルを引き起こすもとになっている。何かに腹を立ててしまって、関係ない人に八つ当たりしたりして、仕事や人間関係で失敗したという経験は誰にでもあるのではないだろうか。そもそも怒りっぽい人は、仕事で損をしているのではないだろうか。感情的になると、私たちは冷静な時と異なる意思決定をしてしまうことが、行動経済学の研究で明らかにされてきている。中でも、怒りという感情については、意思決定に大きな影響を与えることが知られている。

 怒りの感情によって、私たちの意思決定は、論理的な判断ではなく直感的な判断に影響されやすくなる。また、リスクある状況での意思決定が変わったり、人との協力をしなくなったりする。怒りの感情があると、力を出すことはできるようになるが、メンタルな要素が重要な仕事の能力は落ちてしまう。そういうことを、私たちは無意識に知っていて、いろんな場面で利用しているのだ。

怒っている人はリスクを取りやすくなる

 感情が私たちの意思決定に与える影響についての多くの研究結果をまとめたFerreer他(2015)に基づいて、怒りと意思決定の関係を紹介してみよう。怒ってしまうと、私たちは、不確実なことでもより確実に生じるように感じ、周囲のことを自分で統制できるように感じるという。未知の危険や恐ろしい危険をあまり感じなくなる。その結果、リスクのあるものでも受け入れるようになるのだ。また、問題の責任が他人にあるように感じさせる傾向があるともいう。

 対照的なのは、恐怖の感情であり、不確実性を大きく感じ、自分で統制している感覚が減少する。そのため、リスクに対して回避的な行動をとりやすくなる。一方で、直感的な意思決定よりも論理的意思決定を用いる傾向が強くなるという。

 関連した感情として、悲しみを感じると、自分で統制できる感覚を減らす上、利益志向的になり短期的視野をもつようになる。また、他人を信頼しなくなり他者との協力も減ってしまうという。

 怒りの感情のために日常生活で失敗することは多いが、私たちがよい選択をする方向に機能する場合もある。たとえば、がんだと診断された患者が、どのような治療法をとるかという選択を迫られた場合を考えよう。手術をすれば、手術が失敗した場合に命を失うリスクはあるけれど、生存の可能性が高い。手術をしないで放射線療法だけだと放射線による死亡のリスクは小さいが、がんの完治の可能性が下がり、がんそのものによる死亡率が高い。仮に、医学的には手術の方が望ましい場合、治療のリスクそのものを重視すれば、医学的には望ましくない治療法を選択するかもしれない。

 しかし、がんの宣告を受けた患者が、がんになったこと自体に怒りの感情をもっていたとすれば、手術のリスクを小さめにみること、がんを克服できるという統制可能な感覚をもちやすいために、医学的に望ましい治療法を選択できるかもしれない。一方、がんを宣告されて恐怖を感じている患者は、本来はリスクを取った方がいいのに、リスクが小さいがあまり効果のない治療法を選んでしまうかもしれない。恐怖を感じている患者は、論理的な意思決定をより重視するので、医師は論理的な説得をすることが有効になるという。

 逆に、リスクのある治療法をとらない方が望ましい場合は、恐怖を感じている患者は医学的に望ましい選択をしがちだが、怒っている患者は望ましくない選択をしがちということになる。この場合は、患者に少し恐怖感を与えるようにした方が、医学的には望ましい選択がなされるのかもしれない。

 株価が下がった時に、怒りやストレスを感じると、人々はより直感的な判断をしやすく、目立った情報に反応しやすく、危険愛好的になりやすいことになる。一方、悲しみや鬱の感情の場合は、システマティックでバイアスのない情報の取り扱いをして、より合理的な判断をしやすいという。

 怒っている人は意思決定において、利得を重視する傾向が強くなるので、怒っている人を説得するには、その選択のベネフィットを強調する方が有効だという。逆に、恐怖を感じやすい人は、損失回避の傾向が強いので、損失局面を強調すれば損失を取らない方向に説得しやすいということになる。こうしたことを知っておくと、怒った顧客や上司に対して、より望ましい意思決定を誘導することもできるかもしれない。逆に、恐怖を感じている人へのアドバイスにも生かせるだろう。

 2014年のサッカーワールドカップ大会で、日本とコートジボワールの戦いは、前半に本田選手のゴールで1対0とリードしていたが、62分(後半17分)にドログバ選手が出てきた途端に連続して得点をいれられ、結局2対1で負けてしまった。サッカーの素人の筆者から見ても、体も大きいスーパースター選手だったドログバ選手に対して、日本の選手が恐怖心をもってしまい、極端にリスク回避的な戦い方に変わったことが敗因ではないか、とその時思った。これは、行動経済学的にも裏付けられた解釈だと言えるかもしれない。

マテラッツィ効果:怒らせる戦術は正しいか?

 スポーツでも選手が怒りを感じて乱闘にまでなることが時々ある。最も有名なのは、2006年のドイツワールドカップのイタリアとフランスの間で戦われた決勝戦だろう。フランス代表のジダンとイタリア代表のマテラッツィが、それぞれ1点のゴールをあげた後、膠着状態が続いた。そして、延長後半5分に、マテラッツィがジダンを侮辱したことが原因で、ジダンが激高しマテラッツィの胸に頭突きをするという事件が起きた。ジダンはこのプレーのために退場になってしまった。結局、PK戦にもつれこんだが、フランスにはPKが最もうまいジダンがいなくなっていたこともあって、イタリアがPK戦に勝利し、優勝につながった。

 このゲームで、マテラッツィはわざとジダンを怒らせたのではないかと言われている。相手を怒らせると、怒った相手はより力を発揮しそうにも思うかもしれない。しかし、Gneezy and Imas(2014)によれば、メンタルな戦術が重要な競技では、力が弱まってしまうということが、彼らの実験で明らかにされている。実際、握力が強い方が勝つというゲームでは、怒ったときの方がそうでないときよりも握力が強くなるが、メンタルなゲームの場合は怒った方の成績が悪くなる。面白いのは、そういう関係を男性の被験者はもともと理解していて、メンタルなゲームでは対戦相手を怒らせるような手段をとり、力勝負の場合は相手を怒らせない戦術をとることが実験で明らかにされているのだ。

怒らせると協力しなくなる

 怒ってしまったときに私たちが取る行動で典型的なのは、協力行動をとらなくなることだ。この点は、いくつかの公共財ゲームと呼ばれる経済実験で確かめられている。公共財ゲームというのは、全員が協力すると一番利得が大きくなるが、自分が協力しなくても他人が貢献してくれた公共財から便益を受けられるのでただ乗りする誘因があるゲームだ。しかも、他人が貢献しない場合には、自分も貢献しないことが得になる。この公共財ゲームという実験では、怒った被験者は、幸福な被験者よりも公共財に寄付しない傾向が強い。その結果、幸福な被験者よりも怒った被験者は低い利得しか得られないのだ。また、このゲームを、他人を罰することができる設定に変更すると、怒った被験者は、幸福な被験者よりも、人を厳しく罰するという。つまり、怒った人は協力行動をとらなくなるのだ。特に職場では、同僚を怒らせないようにしないと、協力が得られず、職場の生産性が落ちてしまう可能性がある。部下をもった人は知っておくべきことだろう。

 怒ってしまうと協力が得られず、重要な場面では生産性が落ちてしまうし、合理的ではない意思決定もしがちである。一方で、力仕事やリスクをとるべき時には怒りの感情は有効になる。怒りという感情をうまく使っていきたいものだ。

文献
Rebecca Ferrer, William Klein, Jennifer Lerner, Valerie Reyna, and Dacher Keltner(2015) “Emotions and health decision making: Extending the Appraisal Tendency Framework to Improve Health and Healthcare,”In C. Roberto & I. Kawachi (Eds.), Behavioral economics and public health. Cambridge, MA: Harvard University Press.

Uri Gneezy and Alex Imas(2014) “Materazzi effect and the strategic use of anger in competitive interactions、”PNAS 111 (4) 1334-1337

(2015年12月17日)


(日本経済研究センター 研究顧問)

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