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山田剛のINSIDE INDIA

2013年8月26日 変革迫られるインドの大学教育

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 経済・産業政策と並んでインドの経済成長を左右するのが教育、それも高等教育の質だ。入試競争率の高さや各界でのOBの活躍などによって今や日本人でも知っているインド工科大学(IIT)をはじめ、ジャワハル・ラール・ネール大学(JNU)やデリー大学、ムンバイ大学など、伝統に裏付けされた名門校の実力は世界的にも評価されている。

 しかし、高等教育に対する政府支出のGDP比は約0.5%(2010年度)と、中国の約3分の1。大学進学率も約15%(2012年度)で、これも中国の半分だ。また、「国公立至上主義」「非営利主義」を採用してきた長年の教育政策のツケで、私立大学や外国大学の進出も大幅に遅れている。超一流大学に入れない生徒の受け皿となるいわゆる2番手校や中堅大学は質・量ともにまだ不足しており、高等教育の普及・大衆化は道半ばだ。さらには、英語力やスキルの不足で有名大を卒業しても希望する知的職業に就ける人材は2人に1人、あるいはそれ以下という衝撃的な調査結果も続々明らかになっており、教員の質やカリキュラムも改めて問われ始めた。

 その一方で、こうしたギャップを埋めるべく、充実した施設や就職に直結する教育内容をアピールする私立大学の新設や学部増設なども相次いでいる。遅れている法整備が進めば、インドの高等教育は外国の大学・企業にとって大きなビジネスチャンスにもなり得る。

 今回はインドの高等教育、主に大学の現状を見ていきたい。


※図表は会員限定PDFをご覧ください。

 インドの政府機関であり、シン首相も委員長を務めていたことがある大学認証委員会(UGC)によると、2013年2月現在、インドには44の国立大学(デリー大学、JNU、バラナシー・ヒンドゥー大学など)と298の州立大学(ムンバイ大学、カルカッタ大学、オスマニア大学など)、そして148の私立大学が設置されている。また、一定の基準を満たした高等教育機関(主に私立)で大学と同等に扱われる「見なし大学」が130校ある。このほか、IITや医大の最高峰である全インド医科大(AIIMS)などが国家重点大学(INI)として設置されており、その他の高等教育機関も含めたいわゆる「大学」の総数は約700に達している。デリー大やムンバイ大などの伝統校には、英米のようにそれぞれ独立した多くの「カレッジ」があり、デリー大の聖ステファン・カレッジやシュリラーム・カレッジ・オブ・コマース、ムンバイ大の聖ザビエル・カレッジなどの伝統校は、著名財界人や政治家を輩出してきた名門として広く認知されている。2011年度の大学の学生総数(通信制や一部の技術系専門学校なども含む)は約2032万人で、過去10年間でおよそ2.5倍に増加している。

私立大の役割に期待

 インドにおける高等教育部門の急拡大に大きく貢献してきたのが私立大学だ。企業や製品、都市などのランク付けが大好きなインドの各種雑誌などメディアでは、頻繁に大学のランキングが掲載されるが、その中でも最近は上位に歴史の浅い私立大学がランクインするケースが増えている。メディアによってその顔触れには大きなばらつきがあるため、あくまで一つの目安に過ぎないが、有力誌インディア・トゥデイが13年5月に発表した同年度の大学ランキングでは、「授業の質」「就職」「設備」「学生へのケア」「国際化」など13項目で各大学を評価。ビルラ技術科学大学、ジェイン大学、アミティ大学、クライスト大学、マニパル大学の5校がベスト50にランクインした。

 21位に入ったアミティ大学(本部ウッタルプラデシュ州ノイダ)は2010年開校。雑誌やネットでの積極的な広告で知名度を上げている。ハイテクを導入した設備やきめ細かいカリキュラムなどが評価された。西部ラジャスタン州ジャイプルや中東・ドバイにもキャンパスがあり、現在約8万人の学生が学んでいる。29位のマニパル大学(本部バンガロール)は、1993年創立。米イリノイ大や英ランカスター大、東洋大学などと提携・共同研究を実施しており、理科系、技術系、IT関連の学部・大学院のほか、医学部(カツルバ・メディカル・カレッジ)も擁するインド有数の本格的な私立総合大学だ。

 IITやIIM(インド経営大学)、JNUといった国立の超一流大学に比べると、私大の学費は相対的に高いため中間層以上の子弟が多く、学生の学力という点ではやや見劣りがするが、惜しくも最難関校に届かなかった学生や、激烈な競争よりも充実したキャンパスライフを指向する学生の受け皿としては十分機能している。インドの産業構造が高度化し、ホワイトカラーを大量に養成する必要が高まれば、これら私立大学の役割ががぜん注目されるだろう。米英や豪州などへの留学生として海外流出している毎年20万人以上の学生の一部でも呼び戻せれば、経常収支の赤字削減にも貢献できるかもしれない。

 最近まで新設の私立大学はいささか差別的な「見なし大学」の地位に甘んじていたが、2009年からは各州の法律によって「私立大学」のステータスを得られるようになり、経営の自由度もある程度は広がった。

 各州政府の方針にもよるが、私立大のほとんどは公的補助金に頼らない経営を強いられているため、経営安定のための財源確保や独立性維持などは最重要課題だ。もちろん独自のカリキュラムだけでなく、海外有力大学との提携や内外企業との産学協力なども生き残りには必須だ。

 「インドの東大」に相当するJNUを卒業し、ある有力私大で国際政治を教える若手准教授は「設備や学生へのケアという点では明らかに私立大のほうが優れている。教授陣もコネで決まることが多い国公立に比べフェアに採用しているので、質もそろっている」と話す。学生側もまた、学費の安さや教育の質、就職の実績などを考慮してシビアに大学を選ぶようになっている。3年制が多かったインドの大学(学部)の中で、いち早く4年制を採用してきたのも主に私立大学だ。

 インドでは今、日本の小中学生に相当する6−14歳の年齢階層に2億1000万人がひしめく。大学進学率が30%前後に高まればこのうち6000万人以上が大学生となる計算で、需給ギャップを埋めるために今後大学の数、特に私立大が急増するのは確実だ。富裕層の子弟は海外留学という選択肢があるが、中間層の拡大による大学の大衆化に対応することも主に私立大学の役割といえそうだ。

官主導・国産主義の弊害

 しかしインドの大学教育には様々な問題点が顕在化している。しばしば指摘されるのが官僚主義の弊害で、大学教育の運営が必ずしも公正かつ実効的に行われていない元凶といわれて久しい。人的資源開発(HRD)省=文部科学省に相当=や、50年間にわたって大学・学部の新増設や募集定員などの許認可権限を握ってきた大学認証委員会(UGC)、全インド技術教育審議会(AICTE)、そして学術分野ごとに存在する各種公的委員会など複数の関係機関が存在し、それぞれ影響力を行使しているため。「実績のない大学が官僚の天下りを受け入れていつまでも生き残っている」「私立大学の各種許認可にはいまだに面倒な手続きが必要」という声も多い。

 インドではすでに教育事業への外資100%参入が認められているが、上記のような許認可機関による規制で、海外有名大学の「インド校」や教育機関における外資との合弁などはまだ実現していない。2010年にはついに外国大のインド分校開設を可能にする海外教育機関法案が国会に上程され、有力大学などは「競争によって大学教育が活性化する」と歓迎していたが、担当大臣の交代などもあっていまだに法案は可決されていない。すでに米アトランタ工科大など数校が「インド校」開設を検討中だが、世界景気の低迷などもあり、これ以上法案成立が先送りされれば海外大学のインドへの関心が低下してしまう可能性もある。

 それでも、大手会計事務所デロイト・トウシュ・トーマツのインド法人によれば、2008年から12年までにインドの高等教育の市場規模は年間200億ドルから314億ドルに拡大、今後5年で年平均16%の成長が見込める、としている。成長戦略を立案するインド計画委員会では第12次五カ年計画(2012年度−16年度)期間中に大学6000校(ユニバーシティー傘下のカレッジも含めて)を新設し、学生数を1000万人増やすとしている。インド政府が目指すように大学進学率を30%に引き上げるためには官民合わせて1900億ドルの投資が必要との試算もあり、巨大なビジネスチャンスであることに変わりはない。

即戦力は半分以下

 メディアによっては特異性や後進性ばかりが強調され、その一方で批判精神と検証を欠いた賞賛も今なお散見されるインドだが、教育部門はその最たるものだろう。テレビなどが喜んで取り上げる「2桁×2桁の掛け算を小学校のクラス全員が暗誦している」というエピソードだが、これはあくまで上位中間層以上の子弟が通う大都市の私立学校に限ってのこと。そもそも生徒全員が制服を着ていることからも、親の所得レベルが推測できるだろう。地方都市や農村の公立学校に行けば実に惨憺たる光景が見られる。

 これと同様に、IITなど難関大学の卒業生が米欧の大企業から年俸1000万円を超える高給で採用される、という事例もよく報道される。8月上旬にもインド情報技術大学(IIIT)アラハバード校の卒業生2人がSNS大手の米フェイスブックに年俸600万ルピー(約900万円)で採用された、とのニュースが流れたが、これらはごく一握りの極めて特殊なケース。一流理工系大学の卒業生でさえ、年俸50万ルピー(約75万円)ももらえればかなりの「成功者」の部類に入る。現実はそう甘くはない。

 人材開発会社アスパイアリング・マインズ社が全インドの大卒者約6万人を対象に実施し13年6月に公表した調査によると、大学卒業生のうち実に47%が知的職業に就けていないという。その原因として同社は英語によるコミュニケーション能力や、職業ごとに求められるスキルや専門性の不足、詰め込み教育の弊害による理論と実践のギャップなど様々な理由を挙げている。インド・ソフトウエア・サービス業協会(NASSCOM)などが実施した同様の調査では、もっと厳しい結果が出ている。こうした傾向は、比較的即戦力になりやすい理工系に比べて、経営・商学系の卒業生に目立つという。まさに「インドの高等教育は社会のニーズに応えられていない」(デリー大学のディネシュ・シン学長)ということなのだろう。

 こうした大学卒業生の「エンプロイアビリティ」(雇用されるための能力・資質)の議論は最近にわかに活発化しており、カリキュラムの改善や行政主導での制度改革などに関する様々な論文や提言が出ている。ようやく各大学や行政府、そして企業にも危機感が高まってきたことは間違いない。最近人気が上昇している私立大学がいずれも「実学志向」や「仕事に役立つスキル」などを掲げているのは、まさにこうした既存の高等教育における現状を十分理解しているからに他ならない。

 数多くの起業家や優秀なエンジニア、ビジネスマンを送り出し、インドの経済成長を支えてきたインドの大学教育だが、新たなステージを目指してさらなる質的向上とすそ野の拡大を図るには、各大学の努力はもちろん、政策面においても大きな変革が求められている。

 次回のインド現地調査では、久しぶりに大学教育の現場を歩いてみたい。

(2013年8月26日)


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日本経済研究センター主任研究員 山田剛

 巨額な双子の赤字や歴史的な通貨ルピー安、決め手を欠く外資誘致などに加え、14年春に選挙を控えた政策的な手詰まりで、インド経済は減速が鮮明となってきました。それでも、中・長期的にはなお大きな潜在力を持つインドの政府や企業が、どんな戦略で局面打開を目指していくのか、日本をはじめ世界各国が注視しています。「INSIDE INDIA」では最新のニュース解説をベースに、インドが高成長軌道に復帰するための条件や課題を中心に、政治・経済、産業の動向も踏まえてわかりやすくお伝えしたいと思っています。 ※毎月1回掲載予定



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(日本経済新聞英文編集部編集委員<THE NIKKEI ASIAN REVIEW副編集長> 山田剛)

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