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山田剛のINSIDE INDIA

2017年7月28日 インド独立70周年連載 第3回 「軍事大国インドの実像――外資と民活で弱点克服へ」

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 インドの2017年度国防予算は前年度比5.3%増の2兆6239億ルピー(約4.5兆円、軍人年金などの給付を除く)。歳出総額の12.2%を占め、名目GDP比では約1.7%に達している。全体額も2007年度に比べてほぼ3倍。軍事情報サイト、グローバル・ファイヤーパワー(GFP)の2017年軍事力ランキングでは米、ロシア、中国に次ぐ世界4位と評価されている。もちろんインドは今なお世界最大の武器輸入国である。
 対中国シフトの強化もあり、ここ4〜5年の間にインド軍は国産航空母艦や原子力潜水艦の建造に着手、中型多目的戦闘機(MMRCA)の巨額調達でもようやく機種を仏ダッソー・アビアシオン社製ラファールに決めたほか、ステルス・フリゲート艦や攻撃ヘリ「アパッチ」、輸送ヘリ「チヌーク」などの導入計画も動き出しており、今後10年で千数百億ドルの軍事支出が見込まれている。
 (参照:INSIDE INDIA 2013年9月25日 インドの「軍事大国」化を検証する

身近な戦争の記憶

 インド国民にとって「戦争」はかなり身近な存在だ。隣国パキスタンとは3度の戦争を経験し、1962年には国境紛争がらみで中国とも局地的な戦争を経験した。ハイデラバード藩王国や旧ポルトガル領ゴアの武力併合もインド史の1ページだ。
 そして濃淡の差こそあれ、国民は軍や兵士に一定の敬意を払っており、カシミール地方など辺境守備の任務に就く兵士らをボリウッド女優が慰問する特別番組はもはや恒例行事だ。事実上の「第4次印パ戦争」となった1999年のカルギル紛争からまだ20年弱。街で出会う商店主やタクシー運転手らの中には、この戦闘に従軍して負傷した、といったリアルな戦闘体験を語ってくれる人も少なくない。
 そしてモディ政権におけるインド軍の目指す方向性は極めて明確だ。まずは陳腐化や機能不足で近代的戦闘に適さない陸海空軍の装備(兵器)を改善・強化すること、そしてその装備品を可能な限り国産化すること――この2点にほぼ集約されているといっていいだろう。


対潜ヘリの着艦訓練 (インド国防省提供)


 しかし、日本の9倍、約33万平方キロに及ぶ広大な国土と、7500キロに達する長大な海岸線を防衛することは今も容易ではない。マンパワーはともかくカネとテクノロジーがなかなか追いつかないのである。
 インド軍、とりわけ現役だけで約120万人の兵力を抱える陸軍の装備は、中国はもちろん他のアジア諸国と比べても大きく見劣りする。国防の主力である歩兵部隊は、その練度と規律において海外からも一定の評価を得ているが、現地報道によると陸軍では3万人分の暗視装置が未配備で、防弾ベストも18万着が足らないという。通信機も1980年代のものが現役で、カシミール地方に越境してきたテロリストが使っていた無線機の方がインド軍のものより高性能だったという衝撃的な事実も判明している。
 自身の年齢は戸籍よりも1歳若いと主張して定年退官を拒否し、のちに政治家に転じたV・K・シン元陸軍参謀長は2012年、「戦車や航空機の性能が劣っているため、インド軍は戦争への備えができていない」とする書簡をマンモハン・シン首相(当時)以下、閣僚・官僚らに送りつけて物議を巻き起こした。
 2010年には彼の前任者ディーパク・カプール元参謀長も「戦車の80%が夜間戦闘不可能」と指摘しているので、シン元参謀長の発言は決して悔し紛れの妄言ではなさそうだ。実際、戦車の60%以上が旧ソ連あるいはロシア製で、暗視装置などを装備し夜間の戦闘に対応できるのは最新鋭の国産戦車「アルジュン」など計約900両だけという。
 また、火砲に至っては2012年まで約25年間装備の更新が行われず、対空砲も40〜50年モノの装備が今なお現役で稼働している。過去の対外戦争ではインドの主要都市が空爆された経験がなかったため問題は顕在化していないが、インドのレーダー網など防空体制は穴だらけ、といわれて久しい。潜水艦も必要数の40%しか配備されず、戦闘機大隊も保有機数が定数の60%しかない等々、欠点を指摘するのもキリがない。
 「民主主義国」で軍の予算や調達計画には常に国会のチェックが入るとはいえ、装備の近代化は遠い道のりだ。

※図表「インドと中国の兵力比較」、「インドの国防予算」は会員限定PDFをご覧ください。

2つの外敵、そして内憂

 そうした中で6月上旬、インド陸軍のビピン・ラワト参謀長は地元通信社のインタビューに答え「インド軍は“2・5正面”の戦争に十分対応できる」と明言した。一般には聞きなれない表現だが、これは3度にわたり戦火を交えた隣国パキスタンに備えること(1)、3000キロの国境を共有する中国の脅威に対抗すること(1)、そして同時に国内の治安を脅かすイスラム過激派などのテロ(0.5)の抑止も目指す(1+1+0.5=2.5)、というインド軍のドクトリンを簡潔に示したものである。
 これを実現するためには、カシミール地方はもちろんヒマラヤ山脈沿いの軍用道路などインフラを整備・維持して国境地帯に兵力を展開したうえ、中国の海洋進出に備えてインド洋一円の警戒を強化、さらにテロ対策を行うということに他ならない。予算と技術に限界があるインド軍にとっては、相当困難なミッションである。
 16年度予算で見ると、年金などを除く軍事費の約70%が将兵の給与や手当、軍部隊の食料・訓練費などに充当され、装備品に回るのは3割程度。膨大な軍事費はもっぱら兵員や部隊を維持することに費やされ、装備の近代化にまでとても手が回らないというのが現状だ。
 陸軍には国防予算全体の57%(17年度予算)が割り当てられているが、2007年以降に投じられた装備調達費約250億ドルのうち、高価な航空機や艦船など空、海軍に220億ドル以上が費やされ、回ってきたのは4億ドルのみだった。
 中国やパキスタンとの国境地帯に張り付けた25万人以上の兵力を維持するのも一苦労だ。カシミールやラダック地方を訪れると、水や食料を積んだ無数の軍用トラックとすれ違う。国境の山岳地帯では、冬場の軍展開や補給路を確保するために工兵隊による道路の整備・維持が365日体制で行われている。広大な国土と地理的条件から、インドの国家防衛コストは極めて高くなるのである。

 国防省傘下のインド防衛研究所(IDSA)のレポートによると、16年度、「装備近代化予算」の枠内で新たに結んだ装備品調達計画は同予算総額のわずか12%。17年度の近代化予算を見ても、ヘリや輸送機などの調達分が計上された空軍では前年度予算比12.1%増となっているが、陸軍や海軍では同マイナス。中期的な計画に盛り込まれた火砲2500門や小銃・軽機関銃38万挺、対戦車ミサイル、そして次世代潜水艦などの調達はほとんど具体化していない。

遅れる装備近代化

 インド政府が目指すのは、軍事部門での「メーク・イン・インディア(インドでものづくり)」だ。14年7月、防衛産業における外資上限をそれまでの26%から49%に引き上げ、さらに16年6月には政府による事前承認の条件付きで外資100%も認めた。国内勢も、タタ・グループ傘下のタタ・アドバンスト・システムズやリライアンス・アエロスペース、自動車・農機大手のマヒンドラ・アンド・マヒンドラ、自動車向け鍛造部品大手バーラト・フォージ、そして建設大手パンジ・ロイドなどが自走砲やロケット砲、レーダーなどの生産に名乗りを上げている。ハイテク装備品の生産にはやはり外資の助力が必要となるだろうが、滑り出しは順調と言っていいだろう。
 モディ首相が7月、インドの首相として初めてイスラエルを訪問したのも、米国に比べて軍事技術の供与に寛大と言われる同国との関係を極めて重視しているからだ。

 新たな動きとして要注目なのは女性軍人の登用だ。インド軍には現在、準軍事組織や沿岸警備隊などを含めて約2万5000人の女性隊員が所属しているが、その大半は軍医・看護師などとして医療部門に配属されている。
 現場に配備されている女性隊員も、輸送機パイロットや通信部隊が大部分で戦闘部隊には皆無。1999年のカルギル紛争では、輸送ヘリの女性パイロットが被弾リスクのある戦闘地域を飛んで「英雄」扱いされたこともある。
 空軍は昨年、戦闘機パイロット養成課程に女性の参加を認めた。現在3人のパイロット候補生が43人の男性隊員とともに訓練中。早ければ年内にも、世界でも実例が少ない女性の戦闘機乗りが誕生する可能性がある。陸軍は6月に戦闘部隊への女性兵士配属を認める方針を表明。海軍も同様に、艦船への女性兵士乗務を認める方向で検討を進めている。
 抱える難題が多すぎるインド軍の近代化・合理化の道のりはまだ途上だが、その軍事力は着実に強化されていると言えそうだ。




 1971年の第3次印パ戦争(バングラデシュ独立戦争)をインドの勝利に導いた「英雄」として国民の間に人気を集めた軍人。73年にはインド軍の歴史で2人しかいない「元帥」に列せられた。
 1914年、英領インド軍の軍医を務めていたパルシー(ペルシャ帝国渡来のゾロアスター教徒コミュニティ)家庭に生まれる。軍士官学校に入校し、第二次世界大戦では大佐として英軍翼下の守備隊を率いてビルマ戦線で日本軍との激戦に参加。ラングーン(現ヤンゴン)郊外パゴダ・ヒルの攻防戦では腹部に7発の銃弾を受ける重傷を負いながら生還。後に「サム・バハドゥール(勇者サム)」のニックネームが定着した。
 1947年の独立直後に勃発した第1次印パ戦争やハイデラバード藩王国の武力併合(1948年)などの作戦立案に参画、1969年6月、インド陸軍の第8代参謀長に就任した。
 陸軍トップとして最初に手掛けたのは、被差別カースト民を優先的に採用していた留保制度を廃止することだった。1971年、東パキスタン(現バングラデシュ)の独立運動が燃え盛る中、パキスタン(当時は西パキスタン)との早期開戦を主張する時のインディラ・ガンディー首相らに対し「開戦準備は不十分、雨季の降雨による河川の氾濫や、中国軍の介入も予想される」として断固反対。辞表を懐に粘り強く説得した。結果的にではあるが、雨季が終わりヒマラヤ山脈の降雪で中国軍の進軍が困難となった12月に開戦したことで、インド軍は戦闘を有利に進めることができた。
 戦争はインド軍の勝利で終わったが、マネクショー参謀長は降伏した9万人に及ぶパキスタン兵捕虜を人道的に処遇、制圧した東パキスタンにおいても略奪やレイプなどを厳しく禁止し、軍の規律維持に細心の注意を払った。

 「軍事クーデターは考えているの?」――。その人気と実力を警戒したインディラから突然問われたマネクショー将軍は顔色一つ変えず、「私は閣下と同様に長い鼻を持っていますが、人の仕事に鼻を突っ込むようなことはしません」とユーモア交じりに切り返した、と語り継がれている。
 彼は退役後にいくつかの企業の取締役などを歴任したが、輝かしい戦果を上げた軍人の割にはポストに恵まれなかった。インディラが終生マネクショー将軍に対する警戒を解かなかったため、といわれている。
 2008年6月、タミルナドゥ州の軍病院で肺炎のため94歳の長寿を全うして死去。

 本コラム内では「不定期連載」として、インド独立70年の歩みと今後の課題、大国インドの未来像を、テーマごとに回顧・分析していきます。

(2017年7月28日)



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山田剛/主任研究員(兼日本経済新聞Nikkei Asian Review 編集委員)



日本経済研究センター主任研究員 山田剛

 発足以来2年半が過ぎ、任期を折り返したインド・モディ政権の経済改革がようやく形になってきました。相次ぐ外資規制の緩和やインフラ整備の加速はもちろん、独立以来の税制改革となるGST(物品・サービス税)の導入にもめどをつけ、内外投資家の関心も再び高まっています。モディ首相は2016年11月に「高額紙幣の使用停止」という荒療治に踏み切り、改革に賭ける不退転の決意を示しました。2017年には日本をはじめ中東、アジア諸国や欧州などとの経済協力も一段と強化されそうで、「トランプのアメリカ」とどう付き合うのかも要注目です。こうした情勢を踏まえ、インド政治・経済の予測と動向分析を詳細かつわかりやすくお伝えしていきたいと考えています。

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