悪意ある外国人患者対策、民間保険会社のノウハウ生かそう

  『医療危機-高齢社会とイノベーション』など、これまでの著書を見ていただければわかることもあると思うが、最初に筆者の立場を明確にしておきたい。

 ①国民皆保険には賛成②日本の医療レベルは世界一である③医療保険制度、医療提供体制ともに改革は必要――である。

 また、ひとつ理解しておいてほしいのは、医療制度改革というのはお金を払う側である医療保険制度の改革と、病院や医師などの医療提供体制の改革の二つがあり、それが相互に関係しあいながら変化がおき、一度おきた変化を修正するのが難しいという点である。これは、年金制度のようにお金を払う側の改革があれば改善されていくという仕組みとは異なる。

 一例を上げれば、急性期病院での看護を手厚くするために、2006年に患者7人に看護師1人(いわゆる7対1看護)という診療報酬改定を行ったところ、とにかく病院がこの診療報酬を取りたいということで看護師の争奪がおきた。その結果、地方の看護師不足がおき、さらには高齢者の看護師もどんどん病院に雇用されてしまうといった事態が起きた。これが、安易な医療保険制度の改革が医療提供体制に大きな影響を及ぼした近年の例であり、2018年になってもこの後遺症は解決していない。

医療保険制度改革の必要性

 苦言を呈しているように見えるかもしれないが、上記の③にあるように、医療保険制度も国民皆保険制度が1961年に導入されてから、57年になるわけで、大幅な改革が必要と考えるのは、筆者だけではないだろう。しかしながら、筆者は特に医療保険側の抜本的な改革は難しいと考えている。

 というのは、現在の国民皆保険制度は改変に次ぐ改変できわめて複雑になっており、後付けで評価することは簡単だが、先程、例を挙げたような、さほど抜本的でない改革でも、複雑系の経済学のように、一カ所をいじるとどこに波及するのかが事前にはよくわからない。したがって、抜本的な改革に手を付けにくくなってなってしまっているのである。

 だからこそ、「ガラガラポンで本当の抜本的な改革を」という話になることもあろうが、ステークホルダーと政治が複雑に入り組んでおり、これこそ難しい。実際に海外の医療保険制度の改革でも、漸進的な改革しかおきていない。

 米国でも皆保険制度の導入という医療保険制度の抜本的改革は頓挫したが、電子カルテの100%近い導入という医療提供体制の抜本的改革には成功している。

 もちろん、だからといって、医療保険制度改革に手をこまぬいていれば医療財政を圧迫し財政難がおきるのは間違いない。

 悪意のある外国人患者問題

 ここにきて、医療保険制度にも改革が必要な事態が起きている。それは、在留外国人による公的医療保険の不正利用や制度の隙間を突いた乱用である。 

 「在留外国人による公的医療保険の不正利用や制度の隙間を突いた乱用が問題視されていることから、厚生労働省は十五日までに、実態把握に向けた全国調査を始めた。公的保険に加入して高額医療の自己負担額を低く抑える目的で不正に在留資格を得た事例の件数などを、市町村を通じて調べる。今秋に結果をまとめ、防止策を検討する。在留外国人は約256万人おり、国籍別では中国が最多。会社で働いている場合、中小企業が対象の全国健康保険協会(協会けんぽ)か大企業中心の健康保険組合に加入し、扶養家族にも適用される。」(東京新聞朝刊2018年7月16日付 )

 

 ここで外国人患者を3つに分類してみたい。1つ目は、医療ツーリズムに代表される自費で医療を受けに来日する外国人である。2つ目は、観光客が訪日中に怪我や病気になって医療機関を受診するケースである。そして3つ目が上述されている在留外国人である。1つ目や2つ目は、医療や観光という目的が明確な渡航であり、問題はもちろんおきえるが、それは外国人患者と医療提供側との問題が大きい。

 実はこの問題は、成長戦略として民主党が取り上げたころから認識されており、厚労省も外国人を受け入れることができる病院の確保が重要だということで、外国人患者受入れに関する認証制度を創設し、観光庁も訪日外国人旅行者受入可能な医療機関を選んで対応しようとしてきた。しかし、それは悪意のある渡航者を対象にしたものではない。

民間保険会社の活用を

 悪意のある外国人患者とは例えば、健康保険証を偽ったりする法的に問題があるケースから、違法ではないまでも、家族を他国から呼び寄せて、自分の健康保険の対象として治療させたり、高額療養費制度が使用できることを利用したり、国民健康保険に加入しおもむろに慢性疾患の治療を始めるなど多くのケースが報告されている、このような問題はどうであろうか?

 日本の国民医療費は 2005年には33兆1,289億円となっていたが、それから10年後の2015年42兆3,644億円と10兆円近く増加している、ここに外国人の医療費が加わったらどうなるのか。 悪意のある医療渡航者のような問題を放置することが医療保険制度全体の崩壊につながりかねない。

 悪意のある渡航者対象には、2回目の渡航を認めないとか海外旅行の保険に加入させるとかの案も出ているようだが、あまり効果があるとは思えない。しかし、この問題はまったく新しい視点で解決できる部分もあるのではないかと思う。

 米国では営利や非営利の民間保険会社がわれわれのような勤労世代の医療保険を提供している。民間保険で問題になるのは、加入者の選別である。言い換えれば民間保険は加入者を選別する力があるのである。これに対して、社会保険にはそのノウハウはない。日本にも米国の民間保険とは異なるが、民間保険会社による医療保険の販売が行われており、加入者に対してリスクに応じた料金設定を行い、場合によっては加入を拒否している。

 そこで、日本に住む期間が短い外国人に対しては、医療保険の制度は変えず、医療保険加入審査と支払い業務を民間保険会社に委託してはどうだろうか。民間保険会社への委託費用はかかるが、これは保険料に上乗せすることで回収は可能である。 

 そうすれば、現行の制度を変更して従来から疾病がある人(始期前発病)には支払わないといった対応も可能になる。それでもすり抜ける悪意ある外国人患者はいるだろうが、現状よりは明らかにましになるだろう。

 まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京都大博士(経済学)。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

社会的セーフティネットを張り替えよう

 危機(crisis)とは、破局か、肯定的解決かの分かれ道を意味する。誰もが認識しているように、私達は現在、舵を切り間違えると、破局に帰結する危機の時代に生きている。この危機の時代は、社会の運営を市場に委ねさえすれば、「見えざる手」に導かれ、良き社会が実現するとして、ひたすら経済成長を追い求めた結果だと、断じてもいいすぎではない。

 市場社会は、市場と財政を車の両輪として運営されている。つまり、社会を形成して営まれる人間の生活が、市場の致命的欠陥によって磨り潰されないように、財政が社会的セーフティネットを張って、人間の生活を保障してきたのである。

 ところが、第二次大戦後の重化学工業化による「黄金の30年」と呼ばれる高度成長期が終焉すると、「小さな政府」にして社会的セーフティネットを取り外せという新自由主義の主張が闊歩するようになる。つまり、新自由主義は第二次大戦後、国家が社会的セーフティネットを張り巡らせたので、経済が活力を喪失したと主張したのである。

 サーカスの空中ブランコのように強固な社会的セーフティネットが張ってあると、真剣に労働をしなくなり、経済は停滞してしまうと、新自由主義は主張した。しかし、セーフティネットが外されてしまうと、失敗しないような安全な演技しかしなくなり、格差や貧困が溢れ出るだけではなく、経済も停滞してしまったのである。

 確かに、セーフティネットは演技に失敗しても、死なないように張ってある。しかし、それは感動を与えるアクロバット的な演技を、可能にするためである。現在は新産業を創出し、新しい時代の形成に取り組む必要がある時代の転換期である。こうした転換期には、新しき時代にチャレンジするアクロバット的演技が求められる。

 ところが、社会的セーフティネットが取り外されてしまうと、アクロバット的な演技は鳴りをひそめ、格差と貧困が溢れ、現在のような時代閉塞状況に陥ってしまったのである。

 とはいえ、現在の社会的セーフティネットは、張り替えられなければならない。現在の社会的セーフティネットは、重化学工業化が前提になっており、現在の転換期には有効に機能しないからである。重化学工業のもとでの社会的セーフティネットは、社会保険と生活保護を中心とした現金給付を基軸として張られている。

 

 重化学工業では、大量で同質の筋肉労働を必要とするので、主として男性が労働市場に参加し、その賃金と、主として女性に担われた家庭内の無償労働とによって、国民生活が営まれていたからである。そのため主として男性が稼いでくる賃金がなくなったり、不足したりした時に、社会保険と生活保護という現金給付を支給すれば、生活保障が可能になっていたのである。

 ところが、重化学工業を基軸とする工業社会が行き詰り、ポスト工業社会に移行する転換期を迎えると、社会保険や生活保護という現金給付を中心とした社会的セーフティネットから、サービス給付を中心とする社会的セーフティネットに張り替える必要が生じてくる。

 ポスト工業社会では基軸産業が、知識集約産業やサービス産業となり、工業社会のように人間の筋肉系統の能力よりも、神経系統の能力が求められるようになり、女性も労働市場に大量に参加するようになる。

 それは現金給付を中心とした社会的セーフティネットでは、生活保障が困難になることを意味する。現金給付を中心とした社会的セーフティネットは、育児や養老などの相互扶助サービスを無償で担う、主として女性の存在が前提になっていたからである。そのため現金給付を中心とする社会的セーフティネットに、育児や養老などのサービス給付を補強しなければ、生活保障が困難になってしまうのである。

 こうした社会的セーフティネットの張り替えが進まないと、工業社会からポスト工業社会への転換期には、格差と貧困が溢れ出てしまう。育児や養老などという家庭内での相互扶助に代替するサービス給付が、社会的セーフティネットとして提供されていないと、育児や養老という無償労働を担いつつ、労働市場に参加する人と、そうした無償労働から解放されて、労働市場に参加する人とに、二極化する。

 つまり、労働市場がフルタイムとパートタイム、正規と非正規のように、二極化してしまうのである。労働市場が二極化すれば、当然に格差と貧困が溢れ出る。そればかりではなく、社会的セーフティネットの張り替えが進まないと、工業社会からポスト工業社会への転換が困難になり、経済も停滞状況を抜け出せなくなってしまうのである。

 歴史の転換期には舵を切り違えてはならない。しかし、市場には舵の役割は果せない。市場は社会のエンジンの役割を担うだけである。市場社会を方向づける舵は、民主主義にもとづいて運営される財政が握っている。財政が未来を方向づける社会的セーフティネットを張り替え、舵をより良い社会へ向かって切っていく必要がある。

 舵を切っていく転換期には、スピードは重要ではない。舵を切って方向を変えていくために、必要な舵行速度さえあればよい。重要なことは舵を切る方向を、間違えないことである。そのためには、すべての社会の構成員が能力を出し合って共同で意志決定する民主主義に、未来の選択を委ねるしかないのである。

 じんの・なおひこ 1946年、埼玉県生まれ。東大経卒、同大学院博士課程単位取得退学。大阪市立大学経済学部助教授、東京大学経済学部教授、関西学院大学人間福祉学部教授を経て、日本社会事業大学学長。東京大学名誉教授。

 

(写真:AFP/アフロ)