
新型コロナウイルス感染症の新規感染者数が7月に入って再び急増している。とりわけ、東京、大阪、兵庫、福岡の大都市圏で増加傾向が顕著になっており、東京都の新規感染者数は7月23日に過去最多の366人になった。西村康稔経済再生担当相は7月26日、新規感染者数が再び増加している状況を踏まえて、時差通勤の推進や大人数の会合自粛、各企業へ社員のテレワーク率70%を目指すよう経済界へ要望する考えを明らかにした。
もっとも、政府首脳は緊急事態宣言の再発令には慎重姿勢を示す。若い世代の感染者が多く、重症者が少ないため、「社会経済活動を全面的に縮小させる状況にはない」(菅義偉官房長官)という。また、「GO TOキャンペーン」で東京都を対象外としたことについては、「客観的にみて、東京の感染者数は突出している。全国の感染者数の約半分を占める状況を踏まえて、東京都の出入りは除外することにした」(菅官房長官)としている。
こうした判断は、新型コロナ対策の予防効果と経済への影響のバランスをとったものと思われる。多くの感染者が軽症、無症状だったとしても、高齢者などが感染すれば重症化する可能性が高い。重症者の集中治療室(ICU)治療には2週間以上かかり、ひとたび重症者が増加すれば、医療崩壊の危機にさらされる。このため、感染者が増えている東京都は「GO TOキャンペーン」から除外せざるを得なかったと思われる。
厚生労働省は7月14日、新型コロナへの耐性の有無を検査した『抗体保有調査における中和試験の結果』を公表した。【1】公表資料によれば、新型コロナの抗体保有率は東京都0.10%、大阪府0.17%、宮城県0.03%だった。抗体保有率が低位であれば、集団免疫による新型コロナ感染症の予防は難しい。新型コロナを根治する治療法やワクチンが開発されるまでの間は、現状の感染予防策を徹底していくしか方法はない。
新型コロナ感染症との先の見えない闘いは、「マスク着用」「手洗い励行」「3密排除」「活動自粛」「移動制限」などの制約をもたらし、人々の暮らしに影を落とすが、一方では社会をプラスの方向に変えていく可能性を感じさせる兆しも現れている。その最たるものが、1961年の国民皆保険制度成立以来、ほぼ右肩上がりに増えてきた国民医療費が今年度は減少する公算が大きくなっていることだろう。
国民医療費が右肩上がりに増えてきた背景には、日本社会の高齢化や医療の高度化の影響があるが、「コンビニ受診」のような冗費も見逃せない。医療機関を24時間営業のコンビニエンスストアになぞらえ、親が子供を時間外診療に連れていくわけだが、時間外診療は本来、救急患者を受け入れるところである。診療報酬も日中より高く設定されているが、コンビニ受診の解消はなかなか困難だった。【2】これには、子供の医療費にかかる自己負担が軽いことが原因との見方が有力だった。
国民皆保険制度が成立する以前は、経済的な理由から医療機関を受診できず、生命を落とす子供が少なからずいたことへの反省もあり、現在、すべての都道府県、市区町村が子供の医療費の自己負担を肩代わりする医療費助成を行っている。【3】都道府県は小学校入学前、市区町村は中学卒業前の子供が対象の場合が多く、小中学生の医療費は無料になるケースがほとんどである。このため、薬局で市販薬を買うより時間外診療を受診した方が経済的に安くつくことが子供のコンビニ受診を促した可能性がある。
新型コロナ感染拡大で子供のコンビニ受診が目に見えて急減しているのは、不要不急の理由で時間外診療を受診して新型コロナに感染した場合のコストが、自己負担なしに診療が受けられるベネフィットを上回ると考える親が増えたためと思われる。さらには、感染症による入院患者が減少していることにも、これと同様のインセンティブが働いた可能性がある。感染症による入院患者の大半は高齢者だが、必要がなくても社会的な理由から高齢者が入院していたケースがあるからだ。【4】
2017年度の人口1人当たり国民医療費をみると、65歳未満は18万7000円であるのに対して、65歳以上は73万8300円、このうち、75歳以上に限ると92万1500円だった。【5】高齢者は若年者に比べて疾病に罹患しやすいということもあるが、70~74歳の一般高齢者の自己負担は2割、75歳以上の一般高齢者の自己負担は1割に抑えられ、さらに1カ月の自己負担が高額になれば、超過分を肩代わりする高額医療療養制度が、高齢者を必要がなくても入院させるインセンティブになっていたとみられる。
グローバルヘルスコンサルティング・ジャパンが全国約400病院の3月と4月の医療データを分析したところ、4月の肺炎による入院は前月比マイナス78.0%、ウイルス性腸炎による入院はマイナス73.0%と感染症による入院が大幅減になった。【6】これまでも自己負担が軽いと医療サービスは過剰になることは指摘されていたが、高齢者が新型コロナに感染すると重症化すると伝わり、高齢者とその家族が必ずしも必要ではない入院を避けたことが感染症の入院減少にも影響しているとみられる。【7】
日本においては、疾患に罹るリスクが高いとされる子供と高齢者の医療費の自己負担は著しく低く抑えられている。これにより、子供や高齢者が経済的な理由から医療機関を受診できないという社会的なマイナスは抑えられている。一方、日ごろから体調を整えて病気を予防するというセルフケアのインセンティブが働かず、体調が悪くても病気でなければ放置し、結果として医療機関の受診を増やしてしまうという社会的なマイナスもあった。
OECDヘルスデータによれば、日本の1人当たりの外来受診頻度は年間12.8回。これに対して、アメリカは4.0回、イギリスは5.0回、フランスは6.3回と報告されており、日本人が医療機関を受診する頻度は国際的にみても著しく高い。【8】新型コロナによって日本が被った経済的な損失は多大なものがあるが、日本に定着した「病気になったら病院に行けばいい」という考え方から「病気を自ら防ぐ」という考え方へのパラダイムシフトの契機になる可能性がある。
少子化の加速と社会の高齢化を背景に、日本の社会保障制度は年々、制度維持が困難になっている。必要な時に比較的安価に医療機関を受診できる日本の医療制度を維持していくためには、新型コロナで注目されるようになった感染症にとどまらず、生活習慣病やアレルギー性疾患、メンタルヘルス疾患などについても、自ら病気の予防対策を講じるというセルフケアを促す医療政策も求められている。
ばばぞの・あきら 1959年鹿児島県生まれ。九州大学医学部卒。米ペンシルバニア大学大学院、岡山大学医学部講師、九州大学健康科学センター助教授を経て、九州大学大学院医学研究院医療経営・管理学講座教授。岡山大博士(医学)。
【1】厚生労働省、抗体保有調査における中和試験の結果について、2020年7月19日
【2】厚生労働省、上手な医療のかかり方を広めるための懇談会、2018年10月5日~12月17日
【3】厚生労働省、乳幼児等に係る医療費の援助についての調査について、2019年8月7日
【4】医学的必然性が少ない、生活支援や介護が必要な高齢者の入院を社会的な理由による入院と呼ぶ。
【5】厚生労働省、平成29年度国民医療費の概況、2019年9月26日
【6】グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン、4月には新型コロナで外来・入院ともに患者大激減、がん医療へも影響が拡大―GHC分析第2弾、2020年
【7】詳しくは、『科学 2005年5月号』(岩波書店)所収の拙稿、受診保障の経済学を参照されたい。
【8】OECD, OECD Health Statistics 2020, 1.7.2020
(写真:AFP/アフロ)
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