一覧へ戻る
財政

中間層の痛税感を緩和し、増税可能性を高めよ

慶応義塾大学教授 井手英策

2018/10/03

中間層の痛税感を緩和し、増税可能性を高めよ

 財政の健全化と社会保障の充実を両立させるには、1つの条件がある。それは中間層の痛税感を和らげることだ。「一億総中流」という言葉をご存知だろう。かつては日本社会の有り様を表していたはずの言葉だが、最近ではほとんど聞かれなくなった。だがその意識は、いまもなお、日本人の心に深く根を張っている。

 内閣府『国民生活に関する世論調査』に「お宅の生活の程度は、世間一般から見て、どうですか」と尋ねた項目がある。驚くべきことに、「下」と答えたものは、5%に過ぎず、全体の92.4%の人たちが「中の上」「中の中」「中の下」のいずれかと答えている。

 まさに「一億総中流」そのものだ。この傾向は、調査の開始された1964年から基本的に変わっていない。オイルショック、バブル経済、アジア通貨危機、そしてリーマン・ショックを経たにもかかわらず、である。

 だが、これはいかにもおかしな話だ。というのも、総務省『家計調査』をみる限り、1997年をピークとして可処分所得は減少傾向にあるからだ。第二次安倍政権のもとで、所得の増大が起きたといわれる。だが、ピークの1997年と直近の2017年を比べれば、勤労者世帯の可処分所得は、13パーセント低下したままだ。

 それだけではない。厚生労働省『国民生活基礎調査』によれば、世帯収入300万円未満の人たち、つまり手取りで約250万円の人たちは、全体の33%を占めている。「下」と答えた人たちがわずか5%しかいないというのは、明らかに不思議な数字というほかない。

 なぜこのような「意識」と「実態」のズレが生じるのか。

 まず、5年ごとに実施されている総務省『住宅・土地統計調査』を見てみよう。すると、50代以下の年齢層、とりわけ20代後半から40代の持ち家比率が急激に減少していることがわかる。

 また、国立社会保障・人口問題研究所『第15回 出生動向基本調査』をみると、バブル期の1987年と直近の2015年をくらべると、結婚持続期間が5〜9年で1.97人から1.59人、10〜14年で2.16人から1.84人、15〜19年で2.19人から1.94人へ、それぞれ平均出生子ども数が減少している。

 いま一歩踏み込んでみよう。総務省『家計調査』で可処分所得の減少が始まる1998年と直近の2013年を比べたとき、持ち家率がもっとも低下しているのは、40代、つまり、団塊ジュニアを中心とする年齢層の人たちである。また、非正規雇用比率を見てみると、若年層から年齢があがるごとにこの比率は下がっているが、団塊ジュニア世代近辺で上昇に転じる。

 高度経済成長期の日本であれば、団塊の世代の雇用を吸収する力があった。だが、団塊ジュニア世代が就職するのは1990年代後半であり、日本経済が活力を失っていく時期と重なっている。このボリュームゾーンが安定した雇用から見放され、結果として、結婚や子どもを諦めるようになり、当然、出生率も低下していった。

 これらから浮かび上がってくるのが、持ち家を諦め、子どもを諦めることによって、なんとか中間層の地位を維持している人たちが大勢いるのではないか、という問題だ。「意識」と「実態」のズレもこれが原因ではないだろうか。

 国際的な調査プロジェクト、『国際社会調査プログラム』によると、調査対象38カ国のなかで、自分の所得階層を「中の下」と答えた人の割合が一番多いが日本である。現実の所得は低所得層と変わらなくても、持ち家や子どもを諦め中間層に踏みとどまろうとする人たちが多数いるのだ。

 問題は、この「中間層」の心理状態だ。自分たちのなけなしの収入から払っている税が、一部の低所得層に用いられているとすれば、彼らはどう感じるだろうか。それは税の痛み、低所得層の行政サービスに対する不正受給への疑念、そして、自分たちの生活を守ろうとしない政府への怒りへとつながるのではないか。

 実際に、日本人の痛税感は、高負担で知られる北欧諸国よりも大きいことが知られている。このサイレントマジョリティともいうべき中間層の共感をどうやって引き出すか、これが今後の社会保障を考えるうえでポイントとなる。その意味で消費税を中心とした租税負担と同時に、所得制限を緩和し、中間層をも受益者に取り込んだ社会保障へと切り替えていく必要がある。

 日本の政府債務の原因が過大な歳出ではなく、税収の不足にあることはもはや周知の域に属する。中間層の痛税感を緩和し、増税の可能性を高めながら、社会の分断を緩和し、財政健全化への道筋を探る。受益と負担のバランスを回復すること、中間層の将来不安の解消こそが、財政健全化と社会保障の充実を両立させる唯一の方法なのである。

 いで・えいさく 1972年、福岡県生まれ。東大経卒、同大学院修了。東北学院大学経済学部助手、横浜国立大学大学院国際社会科学研究院准教授を経て、慶應義塾大学経済学部教授。東大博士(経済学)。

 

(注)安倍首相は2016年6月、消費税率引き上げ延期を表明した。(写真:AFP/アフロ)

 

バックナンバー

2018/11/28

介護職の採用に1人60万円、残念な介護報酬の使われ方

日本経済研究センター主任研究員 小林健一

2018/11/21

地域医療構想、医療の計画経済化がもたらす死角

中央大学教授 真野俊樹

2018/11/14

病院の混雑解消、フリーアクセスを見直して質とコストを改善しよう

明治大学教授 田中秀明

2018/11/07

社会保障、ヒューマン・サービス給付の体制整備がカギに

神奈川県立保健福祉大学名誉教授 河幹夫

2018/10/31

介護保険の制度的人材難、抜本改革なくして解消せず

鹿児島大学教授 伊藤周平

2018/10/24

診療報酬制度の影、医療機関の独自性を損なう

中央大学教授 真野俊樹

2018/10/17

社会保障の2040年問題、現役1.5人が高齢者1人を支える困難さ

中央大学教授 宮本太郎