
危機(crisis)とは、破局か、肯定的解決かの分かれ道を意味する。誰もが認識しているように、私達は現在、舵を切り間違えると、破局に帰結する危機の時代に生きている。この危機の時代は、社会の運営を市場に委ねさえすれば、「見えざる手」に導かれ、良き社会が実現するとして、ひたすら経済成長を追い求めた結果だと、断じてもいいすぎではない。
市場社会は、市場と財政を車の両輪として運営されている。つまり、社会を形成して営まれる人間の生活が、市場の致命的欠陥によって磨り潰されないように、財政が社会的セーフティネットを張って、人間の生活を保障してきたのである。
ところが、第二次大戦後の重化学工業化による「黄金の30年」と呼ばれる高度成長期が終焉すると、「小さな政府」にして社会的セーフティネットを取り外せという新自由主義の主張が闊歩するようになる。つまり、新自由主義は第二次大戦後、国家が社会的セーフティネットを張り巡らせたので、経済が活力を喪失したと主張したのである。
サーカスの空中ブランコのように強固な社会的セーフティネットが張ってあると、真剣に労働をしなくなり、経済は停滞してしまうと、新自由主義は主張した。しかし、セーフティネットが外されてしまうと、失敗しないような安全な演技しかしなくなり、格差や貧困が溢れ出るだけではなく、経済も停滞してしまったのである。
確かに、セーフティネットは演技に失敗しても、死なないように張ってある。しかし、それは感動を与えるアクロバット的な演技を、可能にするためである。現在は新産業を創出し、新しい時代の形成に取り組む必要がある時代の転換期である。こうした転換期には、新しき時代にチャレンジするアクロバット的演技が求められる。
ところが、社会的セーフティネットが取り外されてしまうと、アクロバット的な演技は鳴りをひそめ、格差と貧困が溢れ、現在のような時代閉塞状況に陥ってしまったのである。
とはいえ、現在の社会的セーフティネットは、張り替えられなければならない。現在の社会的セーフティネットは、重化学工業化が前提になっており、現在の転換期には有効に機能しないからである。重化学工業のもとでの社会的セーフティネットは、社会保険と生活保護を中心とした現金給付を基軸として張られている。
重化学工業では、大量で同質の筋肉労働を必要とするので、主として男性が労働市場に参加し、その賃金と、主として女性に担われた家庭内の無償労働とによって、国民生活が営まれていたからである。そのため主として男性が稼いでくる賃金がなくなったり、不足したりした時に、社会保険と生活保護という現金給付を支給すれば、生活保障が可能になっていたのである。
ところが、重化学工業を基軸とする工業社会が行き詰り、ポスト工業社会に移行する転換期を迎えると、社会保険や生活保護という現金給付を中心とした社会的セーフティネットから、サービス給付を中心とする社会的セーフティネットに張り替える必要が生じてくる。
ポスト工業社会では基軸産業が、知識集約産業やサービス産業となり、工業社会のように人間の筋肉系統の能力よりも、神経系統の能力が求められるようになり、女性も労働市場に大量に参加するようになる。
それは現金給付を中心とした社会的セーフティネットでは、生活保障が困難になることを意味する。現金給付を中心とした社会的セーフティネットは、育児や養老などの相互扶助サービスを無償で担う、主として女性の存在が前提になっていたからである。そのため現金給付を中心とする社会的セーフティネットに、育児や養老などのサービス給付を補強しなければ、生活保障が困難になってしまうのである。
こうした社会的セーフティネットの張り替えが進まないと、工業社会からポスト工業社会への転換期には、格差と貧困が溢れ出てしまう。育児や養老などという家庭内での相互扶助に代替するサービス給付が、社会的セーフティネットとして提供されていないと、育児や養老という無償労働を担いつつ、労働市場に参加する人と、そうした無償労働から解放されて、労働市場に参加する人とに、二極化する。
つまり、労働市場がフルタイムとパートタイム、正規と非正規のように、二極化してしまうのである。労働市場が二極化すれば、当然に格差と貧困が溢れ出る。そればかりではなく、社会的セーフティネットの張り替えが進まないと、工業社会からポスト工業社会への転換が困難になり、経済も停滞状況を抜け出せなくなってしまうのである。
歴史の転換期には舵を切り違えてはならない。しかし、市場には舵の役割は果せない。市場は社会のエンジンの役割を担うだけである。市場社会を方向づける舵は、民主主義にもとづいて運営される財政が握っている。財政が未来を方向づける社会的セーフティネットを張り替え、舵をより良い社会へ向かって切っていく必要がある。
舵を切っていく転換期には、スピードは重要ではない。舵を切って方向を変えていくために、必要な舵行速度さえあればよい。重要なことは舵を切る方向を、間違えないことである。そのためには、すべての社会の構成員が能力を出し合って共同で意志決定する民主主義に、未来の選択を委ねるしかないのである。
じんの・なおひこ 1946年、埼玉県生まれ。東大経卒、同大学院博士課程単位取得退学。大阪市立大学経済学部助教授、東京大学経済学部教授、関西学院大学人間福祉学部教授を経て、日本社会事業大学学長。東京大学名誉教授。
(写真:AFP/アフロ)
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