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社会保障

新型コロナ、持久戦への覚悟 国民理性に委ねるスウェーデンの挑戦

日本社会事業大学学長 神野直彦

2020/05/20

新型コロナ、持久戦への覚悟 国民理性に委ねるスウェーデンの挑戦

 国の財政制度、社会保障制度は、危機の時代に不可逆的な変化を起こす。歴史の教訓に学べば、危機の時代に抜本的に改革された制度が、危機後の新しい時代に定着していくという現象が認められるからである。世界は現在、新型コロナウイルス感染症という未知の病に震撼している。この未知の病がもたらす危機が抜本的な改革抜きに克服できないものだとすれば、危機を克服した後にどのような時代を形成するかというヴィジョンなしに対策を打ち出すことは、無謀といわなければならない。

 諸外国の新型コロナウイルス感染対策をみると、法的な罰則を伴うロック・ダウンや外出禁止、店舗の休業、学校の休校といった戒厳令的な感染対策が一般的である。もちろん、各国のおかれた状況により、違いはある。緊急事態宣言後の日本の感染対策は、いずれも強制力を欠くため、「日本版ロック・ダウン」と揶揄される。こうした日本の感染対策に対して、専門家は総じて「甘い」と批判している。

 戒厳令的な感染対策は、短期決戦型の対応ということができる。経済システムや社会システムの機能を一時的に麻痺させてしまう戒厳令的な対応は、長期にわたって継続することができないからである。というよりも、経済活動や社会活動を一時的にストップさせる戒厳令的な対応によって、未知の病である新型コロナウイルス感染症を短期間で制圧しようとする作戦といった方がよいかもしれない。

 こうした戒厳令的な感染対策を横目で見ながら、それにまったく動じることなく我が道を往く選択をしている唯一の国が北欧の福祉国家、スウェーデンである。法的な罰則を伴うロック・ダウンを実施しないどころか、店舗の休業や学校の休校、外出禁止も行わない。それは国民を信頼し、行動制約を最小限にとどめ、国民の理性的な行動に新型コロナウイルス感染症への対応を委ねているからである。

 国民の理性的な行動に感染対策を委ね、「いつもと変わりなく人生が流れている」というスウェーデンの対応は、世界中から激しい罵詈雑言の集中砲火を浴びる。「スウェーデンは他の惑星にあるのか。国民に簡単な指示を与えるだけで新型コロナウイルス感染症を撲滅できると信じている!」などの表現を使って、ヨーロッパの主要メディアが困惑や驚きよりも軽蔑と怒りを爆発させていると伝えられる。

 しかし、スウェーデンの側からすれば、戒厳令的な対応で経済活動や社会活動を一時的にストップさせれば、新型コロナウイルスを短期間のうちに撲滅できると思っている方が「甘い」という反論が返ってくるに違いない。というのも、スウェーデン政府の対応は専門家の科学的判断に基づき、新型コロナウイルスとの持久戦を覚悟し、長期にわたって持続可能な感染対策を採用しているからである。

 スウェーデンにおいては、政府が社会をコントロールすることを禁じることが、17世紀に遡る統治機構の伝統である。言うなれば、政府が社会に埋め込まれているのである。このため、科学的根拠や専門的能力を必要とする政策決定は、独立行政機関が科学的根拠と専門的能力に基づいて実施するというルールが確立している。新型コロナウイルス感染症対策もそうした独立行政庁である公衆衛生庁が所管している。

 現在、新型コロナウイルス感染対策を指揮しているのは、アフリカのエボラ出血熱の収束に携わった疫学者、アンダース・テグネル医師である。エボラ出血熱と戦ったテグネル医師が打ち出す感染対策は、新型コロナウイルスの制圧には長い時間を要することを覚悟した持久戦型の戦略である。そのため、持続可能ではない、法的な罰則を伴うロック・ダウンのような国民への行動制約は最小限にとどめられている。

 実際、スウェーデンの生活は、ほぼ通常通り。社会的距離を保つこと、密集を避けることは要請されているが、レストランやカフェは営業を続けている。発熱、咳、のどの痛みなど症状があれば、自宅待機が求められるが、強制ではない。高校・大学はオンライン授業に切り換えられてはいるが、小学校・中学校の教育は通常通り。ただし、50人以上のイベントは禁止。感染リスクが高いとされる高齢者の居住施設への立ち入りは認められていない。

 スウェーデンの感染者数は3月1日時点で14人だったが、5月17日時点では感染者数が2万9677人、死者は3674人となっている。【1】新型コロナウイルス感染対策として短期決戦型の対応か、持久戦型の対応か、いずれが適切だったかについては、歴史が裁くことになる。しかし、経済活動や社会活動を厳しく制約する短期決戦型の対応を採っても、新型コロナウイルスの制圧に時間がかかれば、持久戦型の対応に移行せざるを得なくなる。

 スウェーデン政府は、国民に公衆衛生庁の勧告に従うよう呼び掛けるとともに、感染拡大と重症化を抑止するため、医療供給体制の強化を図っていることが注目される。国防軍を動員して医療供給体制を強化し、4月初旬までに集中治療室(ICU)の病床数を新型コロナウイルス発生前の1.8倍に増加させている。さらに、失業手当の拡充や短期休暇制度の創設など社会保障制度改革を加速し、社会的セーフティネットの網の目をさらに細かく、強靭にしている。

 新型コロナウイルス感染症の危機を克服すると、世界はポスト工業社会への移行が決定的となる。スウェーデンは、長い年月をかけて培ってきた国民相互の信頼と自発的規律性という国民的理念を高める方向でコロナ危機を克服し、その延長線上に危機後の時代を支える社会的セーフティネットを構想し、新しき時代を築こうとしている。こうしたスウェーデンの対応に学ぶとすれば、日本社会の長所を見極めながら、新しい時代を構想することである。

 

<付記> 本稿の作成にあたり、元ストックホルム大学研究員の訓覇法子氏、年金積立金管理運用独立行政法人審議役の森浩太郎氏、在スウェーデン日本国大使館書記官の和田雄次朗氏の指導を仰いだ。末尾ながら特に記し、謝意を表したい。

 

 じんの・なおひこ 1946年、埼玉県生まれ。東大経卒、同大学院博士課程単位取得退学。東京大学経済学部教授、関西学院大学人間福祉学部教授を経て、日本社会事業大学学長。東京大学名誉教授。

 

【1】厚生労働省、新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について、2020年年5月17日

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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