
社会保障の二つの給付
国立社会保障・人口問題研究所が8月末に発表した平成28年度社会保障費用統計によると、2016年度の我が国の「社会保障給付費」は117兆円(国内総生産比22%)。
この統計を用いて社会保障を考察する場合、普通は、年金・医療・福祉に分類し、それぞれの割合とその変遷を論ずるが、給付の性格に着目し、「現金給付」(年金給付など)と「サービス給付」(診療報酬、介護報酬など)に分けて考察することも大切だと思う。
社会保障というと-欧米先進国においても-その代表として年金、生活保護という「現金給付」を挙げるのが通例である。1942年に英国で立案されたベバリッジプランにおいても主に現金給付が論じられているが、このプランが第二次世界大戦後「ゆり籠から墓場まで」と呼ばれる福祉立国宣言の基盤になったとされたことから、「社会保障=現金給付」という考え方が広がったように思う。
一方、医療保険制度、介護保険制度のように、「必要な」ヒューマン・サービス給付を継続的・安定的に提供するための社会保障政策がある。医療サービスや介護サービスなどは、病院や社会福祉施設において、ヒューマン・サービスの形で利用者に給付され、その利用者負担を税金、保険料などの国民の負担で割り引き、結果として利用者はその費用の一部を負担すれば、ヒューマン・サービスを利用することができるようにした制度である。患者など利用者に給付されるもの自体はヒューマン・サービスであることから、「サービス給付」の制度と呼ぶべきであろう。サービス給付の制度においては、現実には国民の負担は病院や社会福祉施設に「報酬」の形で支払われ、そこで「お金」の大層が職員の人件費となり、そこで「お金」が「サービス給付」に置き換えられる訳である。
サービス給付の再発見
社会保障給付費については、国立社会保障・人口問題研究所において、各制度における会計(決算)を丁寧に積み上げて計算され、その内訳も細かく記載されている。
かつて社会保障給付費(2009年度)100兆円について、筆者が計算したところ、「現金給付」が60兆円(60%)、「サービス給付」が40兆円(40%)、財源別に見ると税財源が40%、保険料財源が60%となっていた。社会保障給付費の実に4割が「サービス給付」だったのである。
今般の発表資料を分析すると、社会保障給付費(2016年度)117兆円、「現金給付」が61兆円(52%)、「サービス給付」が56兆円(48%)とサービス給付は実に5割に近付いている。(財源別に見ると税財源が41%、保険料財源が59%)
現金給付とサービス給付という二つの体系で論ずる理由を三つ、列挙することにしよう。そしてこの三つが「ヒューマン・サービス」を論ずる必要な基盤になる。
第一に、現金給付は「権利論」から形成されるが、サービス給付は「必要論」から生み出される。第二に、現金給付は「顔を合わせないで」給付されるが、サービス給付は「顔を合わせてこそ」必要な給付がなされる。第三に、現金給付は「現金の量」で表現されるが、サービス給付は「サービスの質」によって評価される。
またサービス給付を論ずる場合、事業体の扱う(提供する)ものが物ではなく、ヒューマン・サービスすなわち「人間の営み」であることにご留意いただきたい。
すなわち「サービス給付」は、その必要性の発見と認識に基づき、「専門職」である人間によって、その時その場で創り出され、「サービスを必要とした利用者」に、その時その場で、利用(消費)されるものである。したがって物の製造と異なり、事後的な製品検査という製品管理手法よりも、事前に準備された「事業体の組織体制」「専門職の能力・行動倫理」「インォームド・コンセント」が重視されることに特性がある。医療で用いられる「科学的なエビデンス」や「標準的な医療」という概念は、これらの総合としての「サービス給付の質」を論ずるための大切な-同時に一つの-考え方であると言えよう。
サービス給付の供給体制論
社会保障給付としての「サービス給付」がきちんと全国で公平に実践されるためには、全国にサービス供給体制が形成され、一定以上の質のヒューマン・サービスを提供することが出来る人間が存在[生活]している必要がある。このヒューマン・サービスが安定的・継続的に提供されるためには、サービス給付に携わる資格を有した人間が、それを職業とし、利用者の近在に存在[生活]していることが必要不可欠である。
20世紀末、公的介護保険制度が形成される前、我が国を代表するような生命保険会社、損害保険会社が、サービス給付をも給付の対象とする保険商品を販売しようとしたが、結果として、サービス供給体制を構築することが出来ず、保険商品の開発が出来なかった記憶がある。その意味では、介護保険精度の創設は、直ちに「サービス給付」の供給体制を創設することをも意味していたことが理解出来ると思う。
また、「サービス給付」に国民に負担を求める以上、ヒューマン・サービスそのものの中に「公共性」が必要とされる。確かにヒューマン・サービスは、利用者の生命を守り、生活を支援する「私」的なものであるが、他方において地域社会に安全や安心を提供する公共性を有したものであり、その意味では、ヒューマンサービス給付の提供体制そのものが公共的な資産としての意味を持っている。
一方、サービス提供者の資質やサービス提供法人の能力を越えて、ヒューマンサービスを提供することは-お金をいくらかけたとしても-不可能であり、「働き方改革」の議論を俟つまでもなく、過剰な勤務からは良きヒューマンサービスが生み出されない。このサービス提供体制論とサービス提供法人能力論は、一見、「お金」の関数であるかのように思われるが、むしろ「専門職の存在」に制約されたものであることに理解を広げていく必要があろう。
社会保障論として「権利論」を大切にしつつ、サービス提供者の「能力論」や「事業体の健全性・安定性」はもとより、サービスを創出する専門職の「働き方論」をも視野に入れたサービス供給体制を整備していくことが私たちに求められているのではないだろうか。
かわ・みきお 1951年、東京都生まれ。東大法卒、厚生省(現厚生労働省)へ入省。厚生労働省参事官、内閣府大臣官房審議官、内閣官房・内閣審議官、神奈川県立保健福祉大学教授を経て、日本心身障害児協会・島田療育センター理事長。
(写真:AFP/アフロ)
バックナンバー
- 2022/03/30
-
新型コロナ、オミクロン株以降のワクチン効果とウイルス対策
- 2022/03/09
-
オミクロン株まん延、新型コロナ対策の課題
- 2022/02/09
-
基礎年金のあるべき姿
- 2022/01/19
-
新型コロナ変異株、オミクロンが流行する原因とその対策
- 2022/01/05
-
医療機関と社会的責任
- 2021/11/24
-
新型コロナワクチン、接種と死亡の因果関係
- 2021/11/17
-
財務次官論文を考える