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年金

在職老齢年金制度、シニアの就労に水差す年金カットの不条理

兵庫県立大学教授 木村真

2019/03/20

在職老齢年金制度、シニアの就労に水差す年金カットの不条理

 税金、社会保障のうち所得が多い人ほど負担しているものは何かと問われれば、多くの人が所得税と答えるだろう。ところが、高齢者によっては所得税よりも負担の重いものがある。それは年金である。

 日本の公的年金は基礎年金と厚生年金に大別される。このうち厚生年金には60歳以上の年金受給者に働いて収入があると年金がカットされる在職老齢年金制度という仕組みがある。この年金カットの負担が大きいのである。

 日本年金機構のリーフレットによると、働かなければ216万円の厚生年金を受け取れる60~65歳の年金受給者が年収360万円(平均月収30万円)で働くと、厚生年金は120万円カットされる。

 

 このとき、社会保険料は約55万円、所得税と住民税の合計額は単身者ならば約25万円なので、年金カットが最も重い負担になる[1]。配偶者を扶養したり、医療費を多く払ったりすると税負担はさらに減り、年金カットの負担が一層際立つことになる。

 年金カット前の年収に占める公的負担(年金カットを含む)の割合を示したのが、図1と図2である。働いた時の負担(青線)が働かないとき(赤線)より大きく、収入と年金の組み合せによってはその負担は2倍以上に膨らむ。

 通常、累進課税により、年収に応じて公的負担は重くなる。公的負担の割合は右肩上がりの線を描くが、在職老齢年金制度の下では、その右肩上がりの線が崩れてしまう。

 とりわけ60~64歳の公的負担の上昇は急ピッチで、この世代の就労意欲に大きく影響しているとみられる。在職老齢年金制度は、高所得者に厳しい制度と思われがちだが、年金が月5万円で月収23万円の人がもう少し働こうとしても厚生年金はカットされる。負担の上がり方は高所得者よりもむしろ低中所得者の方が大きい。

 在職老齢年金制度には他にも問題がある。1つは、年金カットの対象者が厚生年金加入者に限られていることである。例えば、60歳を期に脱サラして個人事業主になった場合、厚生年金の加入者ではなくなるので、厚生年金はカットされない。

 また、株式配当や不動産収入など多額の資産所得があっても、働くことによる収入がなければ厚生年金はカットされないのである[2]

 在職老齢年金制度には、年金への依存度が相対的に低いと考えられる高所得者に我慢してもらうという考え方がベースにある。しかし、対象者の経済状態が必ずしも反映されておらず、在職老齢年金制度の仕組みは著しく公平性を欠いている。

 もう1つは、厚生年金がカットされても、さらに所得税と住民税が課されることだ。日本年金機構の例ではカット後の年金収入は78万円。公的年金等控除70万円を差し引いた、残り8万円に所得税、住民税が課税される。仕組みが複雑なうえに二重に課税される感は否めない。

 問題の多い在職老齢年金制度は速やかに廃止し、厚生年金はカットせず一度、給付する。その上で高所得者については所得税を多く払ってもらう方が、簡素でわかりやすく、厚生年金に加入しているかどうかも関係なく、公平かつ中立である。

 ただ、在職老齢年金制度の廃止には課題もある。制度の廃止は、年金財政の悪化に直結するからだ。2016年度の在職老齢年金による支給停止額は、60~64歳で約7,000億円、65歳以降で約4,000億円になっており、廃止すると約1兆1,000億円の給付増になる[3]

 まず考えられるのが、公的年金収入の所得税負担を軽減する公的年金等控除の見直しである。ただ、60~65歳の公的年金等控除を仮に全廃したとしても、その税収増では先の7,000億円に遠く及ばない[4]

 さらに、公的年金等控除には2020年分所得から適用となる税制改正が行われたばかりで、新たに見直すとしても効果が出てくるのはさらに先の話だ。したがって、在職老齢年金制度を廃止するにあたっては、他でも財源のメドをつけることが必要だ。

 具体的には、厚生年金の支給開始年齢の段階的引き上げスケジュールを現行スケジュールよりも短縮したり、年金給付を就労に関係なく全員一律に削減して給付額全体を減らしたりする方法が考えられるだろう。

 厚生年金の支給開始年齢の段階的引き上げにより、60~64歳の厚生年金受給者はいずれいなくなる。在職老齢年金制度に手をつけないことも可能だろう。しかし、支給開始年齢の段階的な引き上げが完了するのは男子2025年度、女子は2030年度と5年以上も先だ。

 今や60代前半の就業率は大幅に伸び、支給開始年齢の引き上げが国会で議論された1989年当時の50歳代後半の水準に近づいている(図3)。

 欧州各国が年金支給開始年齢を65歳から67歳へと引き上げつつある中、それらの国々よりも長寿化が進んでいる日本で60代前半から厚生年金が受給できるというのはいかがなものだろうか。

 もともと厚生年金は年齢だけでなく、退職を給付の条件としていた。しかし、少しでも働けば厚生年金を全く受け取れなくなるのでは、働く意欲がなくなってしまう。ましてや働かなければ生活できない人にとっては酷な話である。

 そこで働く高齢者が厚生年金を一部でも受け取れるようにと考え出されたのが在職老齢年金制度だった。それは厚生年金制度という枠組みの中では1つの解決策であったかもしれないが、年金制度全体や税制全般を通じた、より大きな視点でみればいびつなもので、部分最適が全体最適になっていないといわざるを得ない。

 人手不足が見込まれ、高齢者の就労を促進していくことが重要な政策課題となっている今日では、在職老齢年金制度の廃止は不可避だ。制度廃止に伴う財源にメドを付けるためには、年金を早期に必要とする人に目配りしつつ、公的年金等控除の見直しと支給開始年齢の引き上げスケジュールの短縮を検討する必要があるだろう。

 きむら・しん 1975年、大阪府生まれ。大阪大学経済学部卒、同大学院経済学研究科単位取得退学。北海道大学特任助教、兵庫県立大学准教授を経て、兵庫県立大学大学院シミュレーション学研究科教授。2019年4月から社会情報科学部教授を兼務。大阪大博士(経済学)。

 



 

[1] 現行制度で計算した場合を示す。2020年分の所得から適用される2018年度の税制改正後の制度で計算すると、税負担は増える。しかし、負担構造は大きく変わらないため、以後の議論には影響しない。

[2] いずれも図の赤の折れ線に該当する。

[3] 厚生労働用年金局「雇用の変容と年金(高齢期の長期化、就労の拡大・多様化と年金制度)」(第6回社会保障審議会年金部会資料、20018年11月2日)

[4] 総務省「市町村税課税状況等の調(平成29年度)」によれば、65歳未満の公的年金等控除額は1.4兆円。非現実的に高い税率でなければ7000億円はひねり出せない。

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