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社会保障

新型コロナ、『国民生活基礎調査』中止のインパクト

兵庫県立大学教授 木村真

2021/04/14

新型コロナ、『国民生活基礎調査』中止のインパクト

 新型コロナウイルス対策特別措置法が成立した2020年3月13日から1年が経過した。1年前の新規感染者数は1日50人前後に過ぎなかったが、緊急事態宣言が解除された3月21日も1000人を超えている。直近では関西を中心に感染者急増の兆しも出ており、脅威が去ったというより、今なお予断を許さぬ状況が続いている。

 この1年間、日本社会は想像しない変化に直面してきた。外出時のマスク着用が当たり前になり、不要不急の外出は自粛。飲食店の営業時間は午後8~9時までとなった。近年、「インバウンド需要」「爆買い」「体験プラン」で盛り上がっていた観光地から外国人の姿が消えた。

 小中学校の一斉休校や国民1人あたり10万円の特別定額給付、事業者への持続化給付金の支給などの感染対策、経済対策も実施された。もっとも、新型コロナウイルスの正体がつかめず、政策の効果を見極める余裕がない中、日本政府も手探りの状態だったのが実情だろう。

 そうした中で中止された統計調査に2020年度の国民生活基礎調査がある。【1】 国民生活基礎調査は、国民の健康、保健、医療、福祉、年金、所得についての基礎資料であり、各種調査の親標本を設定するための国の基幹統計である。1986(昭和61)年から現在の形態になり、3年に1回の大規模調査とその間、年1回の簡易調査を実施してきた。【2】

 3年に1回の大規模調査では、①世帯の状況(世帯票)②所得の状況(所得票)③貯蓄の状況(貯蓄票)④健康状態(健康票)⑤介護の状況(介護票)について調査し、大規模調査の間の簡易調査では、①世帯の状況(世帯票)②所得の状況(所得票)について調査し、国民の生活状況を切れ目なく記録している。(表)

 統計法は、国民生活基礎調査を始めとする基幹統計の調査対象になった個人、法人、団体に対して調査への回答義務を課す。基幹統計は、公的統計の中核をなすものであり、法律に違反して報告を拒否または虚偽の報告をすれば、50万円以下の罰金が科される。【3】

 財政、社会保障の研究者が国民生活基礎調査を重視するのは、国民の所得、健康、介護の状況を包括的に把握する唯一の基幹統計だからである。例えば、所得については確定申告書から転記する形になっていて所得の正確さが確保されるだけでなく税金や社会保険料も分かる。

 大規模調査では、調査対象者が「病気にかかっているか」「ストレスを感じているか」といった健康状態や「なぜ介護が必要になったか」「どんな介護サービスを利用しているか」といった介護の状況も調査する。健康状態や介護の状況については他の統計もあるが、所得から健康状態まで包括的に調査する基幹統計は他にない。

 実際、国民生活基礎調査は行政や研究の基礎資料として多方面で活用されている。例えば、所得格差の指標とされる相対的貧困率は全国家計構造調査と国民生活基礎調査から算出するが、日本政府は国民生活基礎調査に基づく数値を経済協力開発機構(OECD)に提供している。【4】【5】この調査が中止される影響は大きい。

 厚生労働省は2020年度の国民生活基礎調査を中止した理由として、①新型コロナ対策で調査員と対象者の長時間の接触を避けなくてはならない②PCR検査や疫学調査への対応で保健所に調査を実施する余力がない③簡易調査年のため中止の影響が比較的小さい――ことを挙げている。【5】

 国民生活基礎調査がこれまで通り実施できないことは疑う余地がない。だからといって全く実施しなくてよかったのか。日本社会に想像しなかった変化をもたらした新型コロナウイルスは国民生活に様々な影響を及ぼしている。基幹統計として国民生活基礎調査の根幹部分は継続すべきではなかったか。

 厚生労働省によれば、2021年度は当初予定の通り、①世帯の状況(世帯票)②所得の状況(所得票)の簡易調査を進めるという。だが、このままでは2020年度のデータが完全に欠落してしまう。今からでもよいので2021年度調査にアンケート項目として前年度の状況を追加することを検討すべきだ。

 希望的観測を排除し、実情を正確に把握することは政策を立てる基礎であり土台である。土台がしっかりしていなければ、政策も砂上の楼閣になる。2021年度調査で前年度の状況を回答してもらってもデータが不正確になる「想起バイアス」が起きるという考え方もあるが、参考値としての意味は十分あるだろう。

 

 きむら・しん 1975年、大阪府生まれ。大阪大学経済学部卒、同大学院経済学研究科単位取得退学。北海道大学特任助教、兵庫県立大学准教授を経て、兵庫県立大学大学院情報科学研究科教授。大阪大博士(経済学)。

 

【1】厚生労働省、2020(令和2)年国民生活基礎調査の中止について、2020年3月30日

【2】2019年の大規模調査では世帯票と健康票が約72万人、所得票と貯蓄票は約8万人、介護票は約7千人が調査対象になった。2017年と2018年の簡易調査では、世帯票は約15万人、所得票は約2万人が調査対象になった。

【3】統計法61条第1項

【4】相対的貧困率は、可処分所得を世帯人員数の平方根で割り、世帯人数の影響を調整した等価可処分所得が中央値の半分に満たない貧困層の世帯員の割合を指す。

【5】内閣府・総務省・厚生労働省、相対的貧困率等に関する調査分析結果について、2015年12月18日

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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