
昨年から平成時代の経済をまとめるという大きな仕事に取り組んでいる。その中で感じることは、財政と社会保障を持続可能な状態に保つという課題について、我々は解決からどんどん遠ざかってきたということだ。それは、次のようなことを確認する悲しいプロセスの連続だったとも言える。
バブル崩壊後の景気刺激策は400兆円超。景気後退は財政再建の天敵
第1は、法律で縛ってもほとんど意味はないということだ。例えば、バブル崩壊後の財政出動で財政が極度に悪化する中で登場した橋本龍太郎首相は、財政再建に並々ならぬ決意で臨み、1997年11月に「財政構造改革法」を成立させた。
これは、主要予算項目の上限目標値を法律に書き込むという異例のものだった。しかし、橋本首相の跡を継いだ小渕恵三首相は財政拡張路線に転じ、98年12月には「財政構造改革法停止法」を成立させ、財政再建の歩みは頓挫することになった。
「確実に実行するためには、法律で縛ればよい」と誰もが考える。しかし、当たり前のことだが、法律で決めたことなのだから、法律を変えてしまえば簡単にリセットできるのである。重要なことは、法律という形式ではなく、内閣の意志が継続するかどうかなのである。
第2は、景気後退が財政再建の天敵だということも、嫌というほど分かった。平成時代はバブル崩壊で始まったが、それは財政による景気刺激策が繰り返される始まりでもあった。
私がざっと計算したところでは、1990年以降、2017年までの経済対策の事業規模は合計400兆円を超える。これには、金融措置のような水増し部分もあり、すべてが歳出増加につながったわけではないが、「これがなければ現在の財政赤字は相当減っていたはずだ」「それだけのお金を使えばもっと色々なことができたのではないか」と考えてしまう。
これはすべて「景気の後退を防ぐ」という目的のためである。なぜ私たちは「景気が悪くなる」というと、条件反射のように「財政出動で景気の悪化を防ごう」という対応をするのだろうか。これほど同じことが続くということは、国民や経済界の考え方に原因があると考えるべきではないか。
日本では、経済がうまく行っていないと、「政府が対策を講ずるべきだ」と簡単に政策の登場を期待する。または、「政府は政策によって経済をコントロールできる」と期待し過ぎているのかもしれない。安易に財政に頼らないためには、国民全体が「お上依存型」の発想から抜け出す必要がありそうだ。
第3に、結局は政治の問題だということも分かってきた。これまで財政再建や社会保障改革をどうすべきか、散々、議論してきた。財政再建・社会保障改革が進まないのは、我々がその解決方法を知らないからではない。分かっている解決方法を実践しないからなのである。
増税するなら消費税、法人税? 専門家と一般国民の埋めがたい認識ギャップ
財政再建・社会保障改革の大きな特徴は、専門家の考えと一般国民の考えが大きく異なることである。この点について、これまで断片的な情報しか得られていなかったのだが、最近、行われた内閣府経済社会総合研究所の調査が、この点を体系的に明らかにした。「日本経済と経済政策に係る国民一般及び専門家の認識と背景に関する調査」がそれである。【1】 詳しくは調査本文を見ていただくことにして、概要を示そう。
まず、高齢化が進行する中で将来予想される国民負担については、専門家は「国民負担の今後の増大は避けがたい」と考えるが、一般国民は「財源が必要なら、まずは無駄の削減で対応せよ」という考えが強い。
負担増の財源としては、専門家は消費税を考えるが、一般国民は「増税するなら法人税を上げるべきだ」と考える。法人税であれば自分の懐には響かないと考えているようだ。
消費税については、専門家は「公平で安定した財源だ」と考えるが、一般国民は「逆進的」と考える傾向があり、その税率についても、専門家は「15~20%が必要」とするが、一般国民は「10%以上はほとんど考えていない」という結果だ。専門家と一般国民の認識ギャップは埋めようがないほど大きいことが分かる。
なお、蛇足だが、経済学や経済学者の日本経済に対する貢献度という点では、専門家も一般国民も「あまり貢献していない」という回答が最も多かった。この点では珍しく両者の考えが一致したわけだが、苦笑するしかない。
「一般国民が支持する政策」から「専門家が推奨する政策」へ転換する4つの方策
さて、日本の財政再建・社会保障改革が全く進んでこなかったのは、現実に採用される政策が「専門家が推奨する政策」ではなく、「一般国民が支持する政策」だったからだと言えそうだ。この点を改め、専門家推奨型の政策が採用されるようにならなければならない。どうすればいいかは難問だが、私の考えは次のようなものだ。
第1は、専門家と一般国民の認識ギャップを埋め、できるだけ一般国民の認識を専門家の認識に近づけることだ。この点についてはやや迂遠だが、専門家は自らの主張を一般国民に分かるように発信し、ジャーナリズムもそれを広めていくことが必要だ。
第2は、特に政治家の行動に期待することだ。政治家は、国民の認識を踏まえて政策の方向性を決めていく。この時、政治家が一般国民の認識に流されないためには、「国民の意に従う」のではなく「短期的には国民の意に反するものであっても、国民を説得する」という姿勢が求められる。
第3は、政治家に期待することを諦めて、専門家の主張が政策にダイレクトにつながりやすい仕組みを考えることだ。金融政策については、日本銀行の独立性が保証されている。これは、金融政策は政治的な意思を排除して、専門家の考えで運営した方が良いという考えに基づく。金融政策がそうなら、財政・社会保障政策についても、政治的な意図をできるだけ排除して、専門家の意思が反映されやすい仕組みにすればよい。
もちろん、「財政民主主義」の原則があるから、金融政策ほど簡単ではない。そこで、多くの先進諸国では、様々なタイプの「独立財政機関」を設置するという工夫をしている。
日本ではまだこの手の議論はほとんど見られない状況だが、財政・社会保障問題が最も深刻な日本でこそ、こうした制度的工夫が求められる。
第4に、専門家と一般国民の認識ギャップを埋めるような政策イノベーションの出現を期待したい。まだ空想に過ぎないが、電子投票やビッグデータの活用により、国民が政策コストを意識しながら社会的意思決定に参画できるような仕組みも考えられるだろう。
これらの提案は一見すると実現性に乏しく、現実離れしているように見えるかもしれない。しかし、そうした現実離れした対応を考えざるを得ないほど、我々は遠くまで来てしまったのである。
こみね・たかお 1947年、埼玉県生まれ。東大経卒、経済企画庁へ入庁。内国調査第一課長、物価局長、調査局長、国土交通省国土計画局長を歴任。法政大学社会学部教授を経て、大正大学地域創生学部教授。日本経済研究センター理事・研究顧問。
【1】 梅田政徳・川本琢磨・堀雅博「日本経済と経済政策に係る一般国民及び専門家の認識と背景に関する調査」(内閣府経済社会総合研究所「経済分析」197号、2018年)。以下から全文を読める。http://www.esri.go.jp/jp/archive/bun/bun02.html
(写真:AFP/アフロ)
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