
平成の時代が終わり、令和の時代を迎えるタイミングで、『平成の経済』【1】 という本を出した。エコノミストである自分にとって同時代史ともいえる著作をまとめてみて、新たな気付きもあった。平成時代の財政再建の動きを振り返ってみよう。
平成時代の財政については、結果的に政府の財政赤字が増大し続けているので、積極財政が展開された印象が強いかもしれない。しかし、振り返ってみると、財政再建への動きも何度か生じている。
平成における財政再建への最初の動きは、1996年1月に登場した橋本龍太郎首相の下での財政構造改革だ。バブル崩壊によって景気が低迷したため、大規模な経済対策が繰り返され、財政状況は急速に悪化している中での財政再建だった。
橋本内閣は97年4月に消費税率を3%から5%に引き上げ、97年11月に財政構造改革法を成立させた。これは、「98年度の公共事業費は対前年度比93%以内」というように具体的な財政改革措置を書き込んだ法律で、橋本首相の強い意気込みが感じられるものだった。
世論も財政再建で大いに盛り上がり、歳出削減が大きければ大きいほど良いという雰囲気だった。
ここで発生したのがアジア通貨危機と日本の金融危機である。97年夏にはアジア通貨危機が発生し、株式相場が暴落、97年11月には北海道拓殖銀行、山一證券が破綻し、日本経済は大混乱に陥った。
景気の悪化と経済政策の迷走で橋本内閣は退陣。跡を継いだ小渕恵三内閣は、財政拡張路線に転じ、12月には「財政構造改革法停止法」を成立させ、橋本首相が企図した財政再建は完全に頓挫することになった。
2回目は、2001年4月に発足した小泉純一郎内閣の下での財政改革だ。小泉政権下での財政改革は、小さな政府を志向し歳出削減に力を入れた点が大きな特徴であった。小泉改革の「民間でできることは民間で」というスローガンからすれば当然のことだった。
とりわけ公共投資の抑制には熱心だった。景気が悪くなると財政出動という従来型のやり方には批判的で、小泉内閣では財政出動型の経済対策はほとんど行われなかった。国・地方を合わせた公共投資全体に相当する公的固定資本形成の名目GDP比は、2001年度の4.9%から06年度には3.3%まで低下している。
その財政再建路線の集大成とも言うべきものが2006年の骨太方針で示された財政再建方針であった。この方針では、まずは2011年度にプライマリ・バランスを黒字化するという目標と、「まずは歳出削減、それでも残る部分は増税で対応」という基本方針が示された。
さらに、今後、どの程度の歳出削減が必要かについても分野別に具体的な数値が示された。すなわち、社会保障、人件費、公共事業、その他について、目標年度である2011年度の「自然体で推移した場合」と「改革後」の金額が示された。
「自然体で推移した場合」と「改革後」の差が歳出削減か増税で対応すべき「要調整額」となる。この時の要調整額は16.5兆円。このうち7~9割を歳出削減で、残る1~3割を増税で賄うことになった。
この計画は公表当時、多くの専門家から高い評価を受けたのだが、小泉首相退陣後に挫折する。その最大の原因は社会保障費の削減であった。
前述の削減計画に沿って、07年度以降、社会保障費を毎年度2200億円づつ削減することとしたが、これが「社会保障費を機械的に削減する血も涙もない政策」だという強い反感を呼ぶことになった。その結果、麻生内閣時代の09年骨太方針では、削減目標自体が撤回されてしまった。
3回目は、2011年9月成立の野田佳彦内閣での税と社会保障の一体改革である。消費税の議論を社会保障の全体像と一体的に議論しようという動きは、菅直人内閣に始まり、野田内閣で具体化が進んだ。
2012年3月、税と社会保障の一体改革法案が国会に提出された。この法案は、参院は自民党が多数を占める、ねじれ国会の下で審議が難航したが、いくつかの点で自民党の修正要求を取り入れて成立した。
この際の民主、自民、公明の三党合意によって、消費税率は2014年4月に5%から8%へ、15年10月に8%から10%へ引き上げることが決まったのである。
この三党合意は画期的な成果だと言える。すなわち、消費税のように国民に不人気だが必要な政策が選挙の争点になると、どうしても各党が人気取りに走り、必要な政策を進めることが難しくなる。
これを打開する一つの有力な方法は、与野党が合意の上で政策を進めることである。しかし、せっかくの三党合意も2014年4月の消費税率5%から8%への引き上げまでは実現したが、その後の8%から10%への引き上げは、安倍晋三内閣の下で繰り返し先延ばしされ、反故にされたのである。
以上の経験を踏まえて、今後、財政改革を進めていくにはどうすべきかを提案できれば良いのだが、簡単なことではない。ただ、一つ言えることは、積極財政の時代はいつまでも続くわけではなく、その先に財政再建に力を入れる政権が登場することは十分にあり得るということだ。むしろ、積極財政路線の後には財政再建路線が登場するのが法則的な事実だとさえ言える。
問題は財政再建路線が長続きせず、成果が出る前に再度、積極財政路線に戻ってしまうことだ。やがて来る次の機会にこそ、各方面が心を合わせ、知恵を絞って成果を上げて欲しいと思う。
こみね・たかお 1947年、埼玉県生まれ。東大経卒、経済企画庁へ入庁。内国調査第一課長、物価局長、調査局長、国土交通省国土計画局長を歴任。法政大学社会学部教授を経て、大正大学地域創生学部教授。日本経済研究センター理事・研究顧問。
【1】 詳しくは、2019年4月9日に刊行した拙著、『平成の経済』(日本経済新聞出版社)をお読みいただきたい。
(写真:AFP/アフロ)
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