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医療

診療報酬制度の影、医療機関の独自性を損なう

中央大学教授 真野俊樹

2018/10/24

診療報酬制度の影、医療機関の独自性を損なう

 ある女性医師のブログに、「当直が多い産科医は確保が困難だが、経営者である院長は簡単に確保できる」という発言があった。院長は誰でもよいという発言にとどまらず、医療の世界では、「マネジメントとして偉くなるよりも医療の現場で働いていたい」といった医師が少なくない。こうした意識の背景には、診療報酬制度が少なからず、影響している。

 日本の国民皆保険制度は世界に誇れる仕組みであることは論を待たない。実際、アジア諸国では、「日本の国民皆保険制度に学びたい」という声を多く聞く。そして、国民皆保険制度を維持する仕組みの中で最も重要と言えるのが、診療報酬制度である。

 診療報酬制度は、2年に1回、医療機関が行う診断・治療を1点10円で換算し、一定の基準のもとに保険診療を行う医療機関に費用を償還する根拠になるものである。国は細かい点数表によって、一つ一つの行為の値段を決めるが、国にとって診療報酬の意味は二つある。

 一つは診療報酬が、公的な医療保険でカバーできる、通常は3割負担、言い換えれば7割引きで医療を受けることができる範囲を設定しているということである。

 もう一つは、医療機関へのインセンティブである。日本における多くの医療機関は民間組織であり、国立や公立の病院とは異なり、その方向性は各医療機関の経営者に任されている。診療報酬は、医療機関を国や厚生労働省の願う方向に誘導するのである。

 一方、医療機関は診療報酬に対してどのように対応するのであろうか。合理的に考えれば、診療報酬によるインセンティブに従って高い償還金額をもらう方がよい。場合によっては、診療報酬の改定を先読みするアービトラージ(裁定取引)を行うこともあるだろう。

 しかし、ここで問題なのは、診療報酬によるインセンティブが、どうしても短期的になりがちであるということである。これは官僚が平均すれば2年で担当を変わるということにも関係してくるが、どうしても視点が短期的になってしまい、中長期の視点に乏しくなるという欠点がある。

 もちろん、診療報酬は数が非常に多いので、在宅医療や地域包括ケアのように診療報酬によるインセンティブが、毎回、同じ方向性になっているもの、いわば中長期の視点のよるものがあることは否定しない。

 だが、インセンティブの影響で医療機関が独自の視点で経営していくことが極めて難しい環境になっていることも事実である。言い換えれば、全国一律の考え方に従うことが、医療機関にとって最も合理的な行動であって、それぞれの医療機関が特徴を出すことには、あまり意味がないということになってしまっているのである。

 ダイヤモンドハーバードビジネスレビューの2018年10月号には面白い特集が掲載された。「競争戦略より大切なこと」と題された特集であるが、ハーバードビジネススクールのラファエル・サドン准教授らの調査によれば、他組織から模倣されやすいとされていた経営管理能力が競争戦略より重要であるという実証研究が報告されたのである。

 簡単に言えば、組織内部の能力が重要ということだが、残念ながら組織内部の能力を活用して個性を出していくのが難しい状況が、現在の医療機関にあるということは間違いない。そのため、冒頭にあげた、「院長の代わりは簡単に確保できるし、代替可能な人材が安く買い叩かれることは当然だ」といった、経営学あるいは通常の企業では考えられないような医師の発言に繋がってくるのである。

 現状、日本の全ての医療機関が同じ仕組みで、同じレベルの診断・治療を行っているということは幻想に過ぎなくなってきている。新旧の医療機関が混在するだけでなく、医師の数にも大きな偏在が見られる。医師が多いエリアと医師が少ないエリアで、同じ経営管理を行いえるはずはない。

 一方、海外では病院の集約化が進んでいる。病院の集約化が進む際に規模が拡大し、スケールメリットを追求することも可能になっている。千葉県鴨川市の亀田総合病院や、長野県松本市の相澤病院といった日本の有力病院が模範とする米国ミネソタ州のメイヨークリニックなども、年間売上高はすでに1兆円を超えている。もちろんメイヨークリニックは非営利組織なので、米国の株式会社ほど利益率は高くはない。しかし、規模が大きいので利益は数百億円にはなる。その金額内で、病院の特色を出したり、職員の教育を行い、模倣されない経営管理を行ったりすることが可能になるのである。

 病院はそもそも社会的貢献するように作られている組織なので、病院が存在すること自体が社会的貢献ともいえよう。医療機関が存続し、質の高い診断・治療を行う投資をしていくためには利益を出していかねばならない。

 残念ながら日本の病院は倒産も少なくない。東京商工リサーチの調べによれば、2017年の「病院・医院」の倒産件数は27件。倒産すれば、もはや社会貢献を行えなくなったことを意味する。日本の病院が存続し、質の高い診断・治療を行っていくためには、海外の病院のようにスケールメリットを追求して利益率を上げ、さらに病院ごとの特徴を出していくことも重要であろう。

 まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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