
日本政府の新型コロナウイルス感染対策については、これまで様々な批評がなされてきた。各国の感染対策が上手くいっているかどうかを感染者数で判断すると、PCR検査の実施件数に左右される。感染対策が上手くいっているかどうかの判断は、人口1万人当たりの死亡率でみるのが合理的だろう。この人口1万人当たりの死亡率でみると、日本は感染対策に成功しているといえる。【1】 結果が良ければ全て良しともいうが、日本の感染対策になぜ批判が多いのかを、医学と経営学の二つの面から考えてみたい。
日本政府が独自に打ち出した新型コロナウイルス感染対策として、「3密」の排除がある、厚生労働省によれば、3密は「密閉空間」「密集場所」「密接場面」の3要素。感染拡大の抑制策として、①換気の悪い「密閉空間」②多数が集まる「密集場所」③間近で会話や発声をする「密接場面」――の3条件が重ならないよう工夫することが求められた。【2】東京都では小池百合子知事が旗振り役となり、「3密」の排除をアピールしてきた。
ここで日本国内における新型コロナウイルス感染対策の変遷を振り返ってみたい。日本は感染拡大の震源地となった中国・武漢市から距離が近く、諸外国に比べて比較的早い時期に第一波と呼ばれる感染拡大に見舞われた。そして、その第一波が収束するかどうかというタイミングで、後に第二波と呼ばれる感染拡大に見舞われることになるが、前者、第一波の感染拡大を抑え込むのに有効だったとされるのが、患者クラスター対策である。
患者クラスター対策は、特定の感染者に注目し、感染者の感染経路と感染者が新たに感染させているかもしれない経路を徹底的に洗い出し、感染者とその濃厚接触者を観察・隔離していく方法である。この方法では、スマートフォンや路上カメラが収集したデータを活用することが有効とされるが、日本では、個人情報保護の観点から、感染者からの聞き取り調査を中心とする方法で感染者と濃厚接触者を割り出し、感染拡大を抑制していった。
日本では第一波の感染拡大が、ある程度、落ち着いた段階で第二波の感染拡大が押し寄せてきた。この第二波は、感染爆発が起きた欧米諸国から帰国した邦人がもたらしたものとされ、海外からの訪日客が中心だった第一波と異なり、患者クラスター対策が効果的かどうかはっきりしなかった。しかしながら、患者クラスター対策で第一波の感染拡大を抑え込んだということもあり、当初は患者クラスター対策を中心とする感染対策を継続していた。
第二波の感染拡大の特徴は、集団感染ではない孤発例と呼ばれる単発の感染者が多いことにある。感染経路が分からないため、感染者と濃厚接触者を観察・隔離する患者クラスター対策ではなく、閉鎖環境をなくす環境対策の重要性が増したのである。そこで、パチンコ店やカラオケボックス、スポーツジムなどのように「3密」が生じる施設を閉鎖し、仮に孤発例が発生しても、新たな感染者を出さないように閉鎖環境をなくしておくという考え方が出てきた。
この「閉鎖環境をなくす」という考え方を具体化したのが、「3密」の排除である。すでに述べたように3密排除は「密閉空間」「密集場所」「密接場面」の3条件がそろう場所をなくすことが感染抑制に有効であるというもので、「新型コロナウイルスは多数の感染者が多数を感染させるのではなく、閉鎖環境におかれた一部感染者が通常の18.7倍の感染拡大を引き起こしている」との厚生労働省クラスター対策班の分析に基づくものである。
厚生労働省クラスター対策班の分析に基づき、「3密」の排除が最も重要な感染対策ということになったのにもかかわらず、4月7日、政府は突如として、人と人の接触機会を大幅削減するよう求める緊急事態宣言を発令するのである。問題は、緊急事態宣言が対象に加えた「1密」や「2密」が生じた場合、感染リスクが何倍になるかを明示しなかったことである。
政府の緊急事態宣言は、人と人の接触機会を大幅に削減し、「密閉空間」「密集場所」「密接場面」を全てなくしていこうというものである。ただ、人と人の接触機会を削減するという感染対策は、感染爆発の発信源となる一部感染者(スプレッダー)や閉鎖環境に特化したものと異なり、経済活動を停滞させる、国民経済にとって劇薬効果のある感染対策である。
政府の意思決定を始めとする官民の重要な意思決定は、必ずしも証拠や根拠(エビデンス)に基づいてなされるものではない。エビデンスの前提をどう考えるかによって、エビデンスの意味するところも変わってしまうからだ。しかし、緊急事態宣言のように劇薬効果の大きい政策決定については、意思決定のもとになったエビデンスをある程度、公開しておく必要がある。エビデンスが不明確だと、意思決定を解除する条件も不明確になるからだ。
緊急事態宣言を解除するタイミングは、生命と経済とのバランスの判断になろう。緊急事態宣言を継続するか、解除するかの二択ではなく、緊急事態宣言を緩和し、科学的根拠のある「3密」の排除を徹底するといった中間的な感染対策は考えられないだろうか。経済優先で生命が失われたり、生命優先が行き過ぎて経済が死んだりしてもいけない。生命と経済のバランスをどう取るかというところに、政策決定者の力量が問われている。
まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。
【1】日本は医療キャパシティに余裕があり、アメリカ、イギリス、イタリアなどのように多数の死亡者が出る事態を免れていると思われる。詳しくは、拙稿「新型コロナ、医師・病床の数が死亡者数を左右 医療崩壊を防ぐカギ」(2020年4月6日)を参照されたい。
【2】首相官邸、厚生労働省、3つの密を避けましょう
(写真:AFP/アフロ)
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