
日本の医療には、国民皆保険制度、自由開業制、フリーアクセスという3つの特徴がある。国民皆保険制度は、すべての国民が公的保険制度に加入し、医療サービスを安価に利用できること、自由開業性は医師免許があれば、自由に開業できること、フリーアクセスは患者が医療機関を自由に受診できることを指す。
医療経済学では、①医療の質②医療のコスト③医療へのアクセスーーの3つの点から国・地域の医療のレベルを評価する。例えば、医療の質、アクセスが良ければ、医療のコストは高くなり、医療のコストが安ければ、医療の質、アクセスは悪くなる。このため、3つの点について、すべてに高いレベルを達成することは難しいとされる。
「医療の質」「医療のコスト」「医療へのアクセス」は、国・地域の医療を評価する場合の重要な点であるが、「3つの中で優先順位を付けろ」と言われれば、「医療へのアクセス」の優先順位が一番、低くなるのではないだろうか。もちろん、「医療の質」に「医療へのアクセス」が当然、含まれるという考え方もある。「医療へのアクセス」が難しければ、「医療の質」の恩恵を享受することができないからだ。
アメリカのように世界的にみて先進的な高度医療があるにもかかわらず、金銭的な制約から国民の多くは優れた高度医療の恩恵を受けることができないといったケースが、これに該当する。このような国・地域においては、患者にとって、「医療へのアクセス」は非常に重要な点になるだろう。
「医療へのアクセス」についてもう少し詳しくいうと、これには2つの側面がある。1つは、前述したように、優れた高度医療へのアクセスであり、もう1つは医療が身近であるかどうか、言い換えれば、国民が医師に簡単にアクセスできるかどうかということである。
「病気にかかる」「ケガをした」といった場合、すぐに医師の診察を受けることができる仕組みができている国・地域は世界的に見て決して多くない。むしろ、病気にかかったり、ケガをしたりしても、医師の診察をすぐに受けられない国・地域の方が多数派だろう。
ヨーロッパでは、患者はまず自分が登録する「家庭医」を受診し、必要があれば、「家庭医」が「専門医」を紹介するという仕組みが普及している。ただ、家庭医が患者登録を受け付けてくれなかったり、診察予約が取りづらかったりするケースもあり、日本のように患者の自由度は高くない。
国によっては、家庭医への医療費の支払いが診療の数や時間、難易度によらず、患者の登録人数に応じて一律になっているというケースもある。これでは、医師が密度の濃い診療をしようというインセンティブは働きにくく、患者に適切な医療が提供されない過少診療になる傾向は否めない。
こうした医療制度あるいはインセンティブの制度設計により、医師、医療機関のモチベーションが違ってくることは、筆者が以前から指摘しているところだが、新型コロナウイルスの感染拡大により、医療へのフリーアクセスを特徴とする日本の医療はどう変わっていくかについて考えてみたい。
日本には、総合病院の専門医などに比べて、身近な医療の提供者として開業医がある。作家、山本周五郎が小説『赤ひげ診療譚』に描いたように、貧しく病む人を懸命に治療する医師は「赤ひげ先生」と呼ばれ、伝統的に日本の医師の目指すべき理想像の一つとされてきた。
かつて「赤ひげ先生」の現代版として、日本に「家庭医」を普及させようという動きがあった。その役割は、予防医療や多疾患併存、心理的な問題も対象に含めて、地域住民の健康のための診療に従事する身近な総合診療医を普及させようというものである。
日本版の家庭医は、患者と継続的な人間関係を築き、患者の個性や家族の状況を把握し、患者に呼ばれれば往診し、時には夜中でも診察する。まさに「赤ひげ先生」の現代版だが、家庭医を普及させるという試みは、時が経つにつれて、尻つぼみになっていった。
「赤ひげ先生」を現代に普及させようという試みが尻つぼみになった背景には、その名称にもあった。ヨーロッパで普及する家庭医は、名前こそ家庭医だが、実態は医療サービスの入り口となるゲートキーパーである。その診療は定型的、最小限というイメージがあり、日本では「家庭医」という言葉自体あまり使われなくなった。
ただ、普及が望まれた「家庭医」のように患者、家族に寄り添う医師として開業医がこれまで果たしてきた役割は大きい。例えば、糖尿病や高血圧などの生活習慣病は高齢化、飽食化を背景に国民医療費の約3分の1を占めるまでになったが、総合病院の専門医よりアクセスが良い地域の開業医で診療を受ける患者は少なくない。(図)

一方、日本でも猛威を振るう新型コロナ感染症の治療については、「発熱症状があるという理由で外来診療を断られた」「新型コロナ感染症が疑われても、すぐにPCR検査が受けられない」などとして、地域の開業医が社会の期待に十分、応えられていないという批判が多い。
日本医師会・四病院団体協議会は2013年、地域医療の在り方について「患者がなんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知し、必要な時に専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う」かかりつけ医を日本に普及させるべきだと提言した。【1】
この提言は、高齢化社会の到来で増え続ける国民医療費を抑制するため、コストの高い治療からコストの安い予防医療にかじを切り、その予防医療を地域の開業医に担わせようという趣旨でもある。ここでいう予防医療はそのまま新型コロナ感染症対策にも活用できるのではないか。
新型コロナ感染症については、「感染しているかどうか分からない」「感染を防ぐには、どうしたらよいか」といった、病気にかかる前の患者が診療の主な対象になる。かかりつけ医は本来、特定の疾病を定期的に診療する医師を指すが、かかりつけ医が予防医療も担うようになれば、地域医療へのインパクトは大きい。
生活習慣病の診療を始め、これまで開業医が地域医療に果たしてきた役割は大きい。それにもかかわらず、その克服が社会的な課題となっている新型コロナ感染症について社会の期待に応えられていないことは残念なことである。ここは、新型コロナ感染症をきっかけに、地域の開業医が新しい形の「赤ひげ先生」になっていくことを期待したい。
まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。
【1】日本医師会・四病院団体協議会合同提言、医療提供体制のあり方、2013年8月8日
(写真:AFP/アフロ)
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