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医療

医師の常識、非常識を考える

中央大学教授 真野俊樹

2021/04/07

医師の常識、非常識を考える

 新型コロナウイルスの感染拡大でコロナ対策の最前線に立つ医療従事者はエッセンシャルワーカーと呼ばれ、賞賛されることも増えてきた。もっとも、筆者が医師になった30年前の医療従事者に対する評価は良いものだけではなかった。「変人」「常識がない」などと言われることもしばしばあった。

 最近でも「高級車を勧められるままに買い続け、借金で首が回らなくなった」「不動産投資にのめり込んで大損した」といった金銭感覚のずれている人がいる。医者の不養生を地で行き、気が付いた時には手遅れの状態になってしまった人もいて、常識がないと言われても仕方がないところもあった。

 パソコンやスマートフォンから誰でも発信できるSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)が普及し、医師や医療機関についての情報が、真実とは思えない噂も含めて、氾濫するようになったが、医師の言動や行動の「どこが変わっているのか」「何が問題なのか」についてはあまり分析されていない。

 筆者は内科学から医療経済学へ専門領域を広げ、現在は主に社会経験のある学生に対して実践的な経営学を講義するビジネススクールに身を置いている。今回は、ビジネススクールで講じている経営学の視点から医師を取り巻く環境やその行動の特徴を考えてみたい。

  日本の自動車産業は539万人を雇用し、日本の雇用全体の8.3%を占めている。【1】 一方、高齢化社会の到来で医療・介護へのニーズは高まっており、医療・福祉全体では786万人が雇用されている。雇用者数ではすでに医療・福祉が自動車産業を上回っている。

 2016年の日本の総人口が1億2693万人であるのに対して、医師は31万9480人(総人口の約0.3%)だった。一方、2017年度の大学入学者は約50万人で医学部の入学者は約9400人だった。【2】 大学入学者の約2%が医学部に入学した計算になり、若年層では医師の数が相対的に増えていることが分かる。【3】

 医師の数は相対的に増えており、医師を始めとする医療従事者は一般の人にとってより身近な存在になっていると言える。そうなってくると、医師は「変人」「常識がない」とレッテルを貼り、思考停止するのではなく、「そうなった」あるいは「そう思われる」背景を考えることも重要であろう。

 ここで、経営学からみた医師という職業の特徴を見てみよう。近年、私立医大で女性の入学者を意図的に減らしていたことが問題になった。女性を減らしていた背景には、大学を卒業してからの働き方の問題がある。女性は男性より忙しい診療科や超過勤務を避ける傾向があり、人員配置の観点から女性の入学者を減らすという論理である。

 そもそも医学部は教育機関、大学病院は医療機関なのだから、これらを一体化して考えるべきではない。しかし、医師の世界では医学部を卒業してからも育成期間が続くため、卒業後も慣れ親しんだ大学病院で働く人が多い。このため、大学側に労働者としての適性判断が入り、女性の入学者を減らすことにつながったと思われる。

 大学が医学部と大学病院を一体化して考えてしまうのと同じように、医師は一般社会人としての基礎知識を学ぶ機会は極めて少ない。経済産業省が「人生100年時代」「第4次産業革命」を生き抜くために必要としている「社会人基礎力」を身に付ける機会はほとんどないと言っていい。

 ここから一般社会と異なる行動、思考が生まれてくる。具体的には、「マネジメントとして偉くなるより医療の現場で働きたいが、医療は重要な仕事だから給料はたくさん欲しい」といった考え方である。一般社会人は、よほど卓越した技能がないと、こうした主張をすることは難しい。

 ある女性医師は、「1ヵ月間に10回の当直勤務がある産科医師は年収3000万円でも確保が難しいが、経営者である院長の代わりは簡単に確保できる。代替可能な人材が安く買い叩かれることは当然だ」と主張する。だが、経営者は本当に代替可能なのだろうか。

 「医療の現場で働きたいが、高い給料が欲しい」「院長は代替可能だから買い叩かれて当然だ」――。いずれも診療報酬が一律に払われる国民皆保険制度のもとでの発言であることがポイントである。日本の診療報酬制度はマネジメントを評価せず、診療に対して報酬が支払うので、医師は診療報酬を得ることに最大の価値を見出してしまうのである。

 一時期、手術における麻酔を外部委託している病院において、フリーランスの麻酔科医師が麻酔の診療報酬の全額相当額を病院に請求するというケースがあった。これも考え方は同じで、麻酔の診療報酬に含まれるはずの器材の維持管理やマネジメントには価値を見出さず、医師が行う麻酔の診療行為にこそ価値があるという考え方である。

 マネジメントよりも現場の医療行為に価値があるという考え方以外にも、一般社会では許容されないことが、医師には許されることもある。大学や医療機関に所属しながら、所属先とは考え方の異なる主張を書籍に書いたり、ブログで発信したりしても許されるというか、関知されない。

 先日も新型コロナ感染症に過剰反応すべきでないという持論を発信する著名医師のコメントに対して、所属先の大学病院が「(医師が)メディアなどを通じて発信している内容は個人的見解であり、本学の総意ではありません。引き続き行政と連携して、診療に最善を尽くしてまいります」という病院長のコメントを発表している。【4】

 もちろん、専門的な知識、経験、良心に基づいて社会に発信していくことは専門職業人として賞賛されるべきことだ。また、手塚治虫が描いたブラックジャックのように卓越した医療技術を持つ医師が一定の収入が保障される国民皆保険制度から離れて高い報酬を要求するのならば、社会も許容するのではないか。

 専門職業人として高い報酬を求め、組織にとらわれることなく自分の意見を発信していくという働き方は最先端とも言えるし、事実、ビジネスパーソンのキャリアが複々線化する中で優れた技術を持つ人を優遇する素地も出ている。医師の端くれとしては、医師の常識、非常識が日本人の働き方に示唆を与えるようになることを願っている。

 

 まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。

 

【1】総務省、労働力調査、平成29年平均

【2】文部科学省、平成29年度学校基本調査

【3】厚生労働省、平成28年の医師・歯科医師・薬剤師調査の概況

【4】東京慈恵会医科大学附属病院、メディアを通じた発信内容について、2021年1月18日

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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