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医療

医療における規格大量生産の終焉

中央大学教授 真野俊樹

2021/05/19

医療における規格大量生産の終焉

 経済評論家の故堺屋太一氏が遺した言葉に「規格大量生産」がある。第二次世界大戦でアメリカの物量に負け、戦後日本のメンタリティーは物量崇拝に180度、変わった。アメリカを見習った「規格大量生産」は、戦後日本の経済成長を引っ張る原動力になった。

 ベトナム戦争に負けたアメリカが「規格大量生産」に見切りを付け、多様化に転換していく中、日本はひたすらに「規格大量生産」を推し進めた。この日米間のズレが1980年代の日本の輸出拡大を生み、一時的な繁栄をもたらした。堺屋氏は、「これが戦後日本の頂点だった」という。【1】

 「規格大量生産」を得意とする日本企業の株式時価総額は2010年代以降、低迷している。世界の株式時価総額ランキングでは、日本企業が順位を落とし、グーグル(アルファベット)、アップル、フェイスブック、アマゾンを始めとするアメリカ企業が上位に並ぶ。日本企業はかつて栄光をもたらした「規格大量生産」型からの変革が上手くいっていないといえる。

 日本の大企業が「規格大量生産」からの脱却に苦しむ中、日本の医療機関は比較的安いコストで質の高い医療サービスの提供に成功していると言われる。この背景には、医療機関においては今日でもなお「規格大量生産」に優位性があることが挙げられるだろう。

 医療経済学では、各国の医療サービスを3つの点で評価する。これは1960年にアメリカで導入された高齢者向け公的医療保険制度、メディケアの設計に関わったキシック博士が提唱したもので、各国の医療サービスを①医療の質②医療へのアクセス③医療費の安さ――の3つの点で評価する。

 一般に日本のサービス業は製造業に比べて生産性が低く、その改善が課題とされてきた。医療もサービス業に含まれるが、1970年に国民皆保険制度が導入され、医療の価格は政府が定める公定価格で取引されるようになった。このため、医療は他のサービス業とは異なる成長を遂げている。

 実際、キシック博士が医療サービスの評価基準に挙げる①医療の質②医療へのアクセス③医療費の安さーーについて、日本はいずれも高いレベルにあるといってよい。【2】 元来、「医療の質」や「医療へのアクセス」と「医療費の安さ」は両立しないとされており、日本の成功は驚異的とさえいえる。

 とりわけ日本の医療が他国に比べて成功しているのが、糖尿病や脂質異常症、高血圧などの生活習慣病対策である。先進国では高齢化が進むにつれ、がん、脳卒中、心疾患とも関わり合いが強い生活習慣病対策が課題となる。実際、日本は多額の国民医療費を生活習慣病対策に投じている。

 生活習慣病対策では、大病院での集中的治療より身近な診療所での細やかな診療、健康相談が重要になる。日本人の細やかさも手伝い、定期健診や人間ドックを踏まえた診療所での診察、健康相談が効果を挙げ、多くの生活習慣病予備軍を未病状態に抑えることに成功している。

 これを「規格大量生産」に当てはめて考えると、厚生労働省が生活習慣病対策の規格を決め、全国の診療所が大量生産(=大量供給)を担ったといえる。そして、医療費を公定とする診療報酬制度と医療費を全国民で薄く広く負担する国民皆保険制度がこれを後押ししたのである。

 医師のきめ細かな診療が求められる生活習慣病のウェイトが大きくなった現代の医療については、IT(情報技術)で日本の先を行くアメリカもぱっとしない。医学雑誌、ランセットが実施した医療ランキングで日本は世界11位。一方、アメリカは世界35位にとどまる。

 国民皆保険制度を持たないアメリカでは低所得層が良質な医療へアクセスすることは難しく、これがアメリカの順位を下げる要因になっている。一方、国が小さく豊かなスウェーデンやノルウェーは医療へのアクセスや医療費の安さの点で評価が高く、日本以上に順位も高い。

 しかしながら、世界的に評価の高い日本の医療も新型コロナウイルス感染症については、官主導で規格を決めることができず、適切な治療法、国産ワクチンは未だ存在しない。自粛中心の感染対策で医療体制に綻びも出る中、コロナ過で加速するITの進化を日本の医療界はキャッチアップしていくことができるだろうか。

 世界的なITの進化への対処を誤れば、日本の医療も世界有数のレベルからすべり落ちてしまうのではないだろうか。日本の社会保障の基盤となっている医療の質、医療へのアクセス、医療費の安さが失われることにならないか。筆者はそれを危惧している。

 

 まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。

 

【1】日経ビジネス、遺言 日本の未来へ、2014年12月29日

【2】詳しくは拙著、『日本の医療、くらべてみたら10勝5敗3分けで世界一』(講談社+α新書)を参照されたい。

【3】医療機関、薬局が提供する保険診療の対価を診療報酬という。当初、保険者と医療者の意見を聞いて厚生大臣(当時)が決定していたが、現在は保険者、医療者、学識経験者などの意見を聞いて厚生労働大臣が決定している。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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