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医療

医療のサブスクリプション

中央大学教授 真野俊樹

2021/06/09

医療のサブスクリプション

 ビジネスの現場でサブスクリプションという概念が注目されている。サブスクリプション方式では、消費者は商品やサービスを購入するたびに代金を支払うのではなく、商品・サービスの一定期間の利用権に対して代金を支払う。利用権の期間は自動で継続されるので、商品・サービスの提供者は中長期の収益が期待できるとされる。

 近年、サブスクリプションによる商品やサービスの提供は様々な分野に広がっている。映画や音楽のインターネット配信サービスがその代表例である。消費者にとって最大のメリットは好きな時に好きなだけ利用できることだろう。購入やレンタルと異なり、利用料金が膨らむ心配もない。

 もっとも、サブスクリプションはあらかじめ決められた範囲で商品・サービスを楽しむ必要がある。例えば、「劇場公開されたばかりの人気映画を観たい」といった場合、追加料金を払ったり、契約内容そのものを変更したりする必要がある。商品・サービスの内容と利用料金のバランスが売り手、買い手双方にとって肝だといえる。

 さて少子高齢化でニーズが高まる医療についてはどうか。日本の医療ではサブスクリプションを導入したというケースは聞かれないが、海外には似たものとして人頭払い方式がある。公的医療費を負担する保険者や行政庁が事前登録した人数に応じて医療機関に対価を支払うものだ。

 例えば、イギリスではすべての国民がかかりつけ医を登録しなければならない。病気やケガになれば、先ずかかりつけ医の診察を受け、入院や手術が必要になれば、かかりつけ医が専門医を紹介する。医療費を負担する英国民保健サービス(NHS)は、かかりつけ医に対して人頭払い方式で医療費を支払う。

 イギリスのかかりつけ医に対する人頭払いは、国家予算で賄われており、受益者である患者の負担はないという点で通常のサブスクリプションと異なる。ただ、医療費を負担するNHSは医療費を定額で支払い、患者はいつでも必要なだけ医療サービスを受けられるという点では通常のサブスクリプションと変わらない。

 医療費を人頭払い方式にするメリットは、医療費を負担する側からすれば、医療費の支払いを管理しやすくなることだ。一方、デメリットは、かかりつけ医が丁寧な診療をするインセンティブが少なくなり、患者側からすれば、適切な医療サービスが提供されない「過少診療」になりがちなことである。

 もちろん、医療機関が適切な医療サービスの提供を惜しむ過少診療はあってはならないことだ。このため、イギリスでは電子カルテでかかりつけ医の診療内容をチェックするとともに、治療の効果が上がれば追加報酬を払い、かかりつけ医が丁寧な診療を心がけるように誘導している。

 消費者が医療サービスを主体的に購入できれば、サブスクリプションは便利である。しかし、救急対応や応召義務があるといはいえ、医療資源は有限であり、診察予約を受けるかどうかは最終的に医療機関や医師が決める。【1】 また、医療分野では情報の非対称性もあり、消費者が過少診療かそうでないかを見極めることは難しい。【2】

 医療機関が医療サービスの量を手厚くしても人頭払い方式ならば実入りは変わらない。このため、医療機関はできる限り医療サービスの量を減らそうとする。人頭払い方式では過少診療がどうしても避けられず、日本は医療保険に人頭払い方式を採用していない。

 現状、患者のフリーアクセスが認められている日本では、医療サービスの量(診療回数)は患者側が要望できるし、ある程度、主体的に決めることができる。例えば、糖尿病患者が担当医の診察を受ける頻度は1カ月に1回なのか2カ月に1回なのか。自己負担はあるものの、患者の希望が通らないわけではない。【3】

 患者の診察回数が多すぎるからといって医療機関が受け取る医療費が頭打ちになることははなく、診療回数が多ければ多いほど医療機関の実入りは多くなるようになっている。【4】 医療機関や医師は患者が診察を受ける頻度を主導できるが、診察を受ける頻度を減らすインセンティブは働かないのだ。

 こうした状況においては、医療機関は患者の診療回数を増やした方が経営のプラスになり、期間を限定するとはいっても期間内の収入を固定するサブスクリプションを導入するメリットはないだろう。ただ、医療資源が有限であるという前提を外し、医療資源の追加投入にコストがかからなくなるとすれば、どうなるだろうか。

 もちろん、医師や看護師、検査技師、病床といった医療資源は有限である。専門家養成や施設建設にかかる費用を考えれば数を増やせるだけ増やせばいいというものでもないだろう。しかし、簡単な診察や健康相談のように、従来は医師が担ってきた医療サービスを、例えば、AI(人工知能)で代替することは「実現可能な未来」である。

 診察や健康相談がすべてAIで完結するわけではなく、最終的な判断を下す医師の関与は必須だが、医療従事者の関与が少なくなれば医療資源の希少性が減り、サブスクリプション導入の可能性は高まる。こう考えると、サブスクリプションで簡単な診察や健康相談を受ける時代も遠い未来ではないかもしれない。

 

 まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。

 

【1】医師法(昭和 23 年法律第 201 号)第 19 条第1項は、「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と医師の応召義務を規定している。

【2】売り手と買い手の間で売買する商品やサービスの情報量や解釈力が異なり、市場で正しい値決めができない状況を指す。

【3】医療機関は患者に必要な医療サービスを提供することになっているが、患者側が過剰な医療サービスを希望することも多い。日本における飲み残しの残薬は過剰な医療サービスの証左といえる。

【4】人頭払い方式に対して出来高払い方式と呼ばれる。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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