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医療

新型コロナ対策 ワクチンツーリズムを考える

中央大学教授 真野俊樹

2021/07/07

新型コロナ対策 ワクチンツーリズムを考える

 中国湖北省武漢市で新型コロナウイルスの最初の症例が見付かってから1年半。「手洗い」「マスク着用」「3蜜回避」などの新型コロナ対策が日常になり、インバウンド需要を担った外国人観光客が日本国内から姿を消した。ニューツーリズムと持て囃された医療ツーリズムにも往時の勢いはない。

 英調査会社、ザ・ビジネス・リサーチ・カンパニーのリポートによれば、2020年の世界の医療ツーリズムの市場規模は約198億米ドル。前年に比べて約48%減少したという。【1】 医療ツーリズムの停滞は、遠方から広く患者を集めている医療機関ほど打撃が大きい。

 例えば、アジアを中心とする富裕層の医療ツーリズムの受け入れ先として知られるタイのバンコク・ドゥシット・メディカル・サービシズ(BDMS)、マレーシアのIHHヘルスケアの2020年12月期決算は純利益がそれぞれ前の期に比べて半減した。外国から訪れる患者が急減し、経営は厳しくなっている。

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)は収束の見通しが立たず、医療機関で患者クラスターが発生する懸念も払しょくされていない。今後、医療ツーリズムの市場がどうなっていくのかーー。これを考察する前に、まず医療ツーリズムと総称される領域を2つに整理しておきたい。

 一つは、専門医の診察、治療を受けるための医療トラベルというべきものだ。これには、日本の子供がアメリカで心臓移植手術を受けるといったものや、国民皆保険制度がないアメリカや手術を受けるまでの待機時間が長いイギリスの患者が安価ですぐに治療が受けられるタイやマレーシアの病院を受診するといったケースである。

 もう一つは、医療ツーリズムというよりウェルネスツーリズムと言ってよいものである。病気を治すというより、医師のアドバイスや施術を通じて体調を良くしたり、健康状態を改善したりする。クオリティー・オブ・ライフ(QOL)を高めることを主眼にするものである。【2】

 もともとツーリズムの定義には観光より広い意味がある。住んだり働いたりすることを目的とせず、日常生活を送る生活圏を離れて目的地を訪問する行為そのものがツーリズムだという。【3】 ツーリズムは非日常的な行為であり、それ自体がウェルネスにつながるという考え方もある。

 まず前者の医療トラベルを考える。医療トラベルはIT(情報技術)の高度化により、今後、大きな変化が予想される。インターネットの高速化、端末の高機能化により、医療分野では多くのプロセスが対面診療ではなく、インターネット経由のオンライン診療で可能になった。

 新型コロナ対策で「足で稼ぐ」といわれた営業社員も取引先を訪問して商談するのではなく、インターネット上の会議システムを使って商談することが一般的になった。こうした動きは医療分野にも波及し、岩盤規制と言われたオンライン診療の初診禁止規制にも風穴を開けそうである。

 熟練した医師にとって自分の視覚、聴覚、嗅覚、触覚を総動員できる対面診療に勝るものはない。カメラやスピーカーを使ったオンライン診療は対面診療に遠く及ばないとしても、これから病院を訪ねてくる遠隔地の患者に事前に問診したり意向を尋ねたりできるメリットは大きい。

 富裕層が海外渡航や通院を忌避することは医療トラベルにとってマイナスになり、オンライン診療に取って代わられるケースがあるかもしれない。だが、新型コロナ対策で浸透したインターネット上の会議システムを使って問診や意見聴取ができるようになったことは、医療トラベルにかかわる医師、患者にとってもプラスになるだろう。

 後者のウェルネスツーリズムは、移動そのものに意味がある。このため、医療トラベルのようにオンライン診療に取って代わられる事態は考えにくい。新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着いてくれば、ウェルネスツーリズムが復活してくることは間違いない。

 このような中で、新型コロナウイルスの「パンデミックならでは」の動きとしてワクチンツーリズムというものが生まれてきた。日本国内では高齢者接種、職域接種などのワクチン接種が急ピッチで進んでいるが、新型コロナワクチンが不足する国・地域ではワクチン接種が大きな課題になっている。

 新型コロナワクチンの国・地域別の累計接種回数をみると、中国、インド、アメリカの3カ国が突出し、累計接種回数全体の約6割を占めている。【4】 一方、アフリカ、ラテンアメリカ、東南アジアには、新型コロナワクチンの接種がほとんど進んでいない国・地域も少なくない。

 新型コロナワクチン接種が進んでいない国・地域に住んでいる人たちが、米ニューヨーク市のように観光客でも新型コロナワクチンが接種できる都市を訪れ、新型コロナワクチンを接種する。これは、ワクチンを目的とした医療トラベルと言っていいだろう。

 一方、ワクチン接種にウェルネスツーリズムを加えたものが、バリ島やグアム島の試みである。新型コロナワクチンを求めるワクチンツーリズムはワクチン普及までの一過性のものになるが、ワクチン接種にウェルネスツーリズムを加えたものは、免疫力向上ツアーといった新たなウェルネスツーリズムにつながる可能性がある。今後の展開を見守りたい。

 

 まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。

 

【1】日本経済新聞電子版、アジアの病院、コロナ苦境 タイBDMS前期純利益が半減、2021年5月7日

【2】荒川雅志、成長するウエルネス産業市場、商工金融、2020年

【3】日立デジタル平凡社、世界大百科事典第2版、1998年10月

【4】日本経済新聞、チャートで見るコロナワクチン 世界の接種状況は、2021年7月6日

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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