
中国湖北省武漢市で最初の新型コロナウイルスが発見されてから1年半。日本国内の累計感染者数は93万6581人、死者は1万5198人になった。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、日本の医療が抱える課題を明確にするきっかけにもなっている。
医療経済学では、国・地域の医療サービスを①医療の質②医療へのアクセス③医療費の安さーーの3つの点で評価する。元来、医療の質と医療費の安さ、医療へのアクセスと医療費の安さは両立しないとされてきた。しかしながら、日本の医療は例外的に3つの点において高い水準にある。
定期健診が広く普及する日本では病気は早期に発見され、病気が見付かれば、ただちに医師の診察、治療を受けることができる。日本の医療は世界一と言われても納得する人は多いだろう。一方、新型コロナの感染者数や死亡者数は諸外国に比べて一ケタ少ないにもかかわらず、医療崩壊が叫ばれている。
新型コロナの感染者数や死亡者数が諸外国に比べて一ケタ少ないにもかかわらず、医療機関が入院患者を受け入れられなくなる医療崩壊が迫っているのはどうしてなのかーー。この背景には、日本の医療機関は人的、経済的な面において余裕の少ないことが挙げられる。
日本病院会、全日本病院協会、日本医療法人協会の「病院経営定期調査」によれば、2018年6月の経常損益が赤字の医療機関は53.8%にのぼる。【1】 人口十万人当たりの病院の数は世界一だが、医師の数が病院の数に見合っておらず、平時でもぎりぎりで運営している病院が大半である。
日本には国民が医療サービスを公平かつ安価に利用できる国民皆保険制度が導入されており、診療報酬は中央社会保険医療協議会の審議を経て厚生労働大臣が決定する。診療報酬制度に経営を縛られる医療機関は診療報酬を増やそうとするあまり、患者のニーズを見失ってしまうことも少なくない。有事においてはなおさらである。
最近、「医療における価値とは何か」ということが議論される機会が増えてきた。ただ、難しいのはこの価値の決め方である。そもそも医療従事者の労働の価値を正確に把握し、給料に反映することは難しい。そして、労働の価値と同様、医療の価値を決めることも極めて難しい。
例えば、白内障の手術と皮膚の腫瘍を切開する手術を比べると、白内障の手術の方が難しいように思われる。しかし、前者が後者の何倍の価値のある手術なのか。その価値は労働の質によって決まるのか。それとも労働時間によって決まるのか。いずれにせよ具体的な数字を決めるのは難しいだろう。
逆に言えば、診療報酬制度はこうした難問を抱えながら関係者の合意形成に成功している稀有な例と言える。日本の診療報酬は2年に1回(薬価1年に1回)の頻度で改定されており、日本医師会がまとめる『改訂診療報酬点数表参考資料』は病院や診療所などが購入する隠れたベストセラーにもなっている。
診療報酬制度は医療の価値を国が決めているという見方もできる。一方、国が価格を決めるのではなく、市場が価格を決めるのが市場原理である。市場原理では、価値が高くなれば、価格が高くなり供給が増える。半面、価値が低くなれば、価格は低くなり供給が少なくなる。
新型コロナ感染症の感染者数や死亡者数が諸外国に比べて一ケタ少ないにもかかわらず、日本で医療崩壊が起きかけているのは、医療の価値、医療の価格を国が決める診療報酬制度のもと、患者が何に困っているのか、医療機関が患者のニーズを掴みそこなっていることの証左とは言えないだろうか。
高齢化社会の到来で医療・福祉の業界は成長を続けており、2017年の雇用者数は786万になった。そして、数が少ないとされてきた医師にも変化が起きている。文部科学省「平成29年度学校基本調査」によれば、大学入学者49万8292人のうち医学部は9420人と大学入学者の1.89%を占める。
厚生労働省が2016年3月に開催した医療従事者の需給に関する検討会(医師需給分科会)が一定の仮定をおいて医師の供給数と需要数を推計したところ、総人口の減少に伴って医師の供給数と需要数は2024~2033年に均衡。それ以降は医師の供給数が過剰になるという。
近年のドクトレプレナー(医師の起業家)やフリーランス医師の増加は医師の供給過剰を先読みした動きと言えるが、現在は医師の需要数が供給数を上回る。需要数が供給数を上回れば、労働の対価は高くなる。病院が人手不足に陥っているのは、病院が魅力的な職場でなくなっているとも言えそうである。【2】
まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。
【1】日本病院会・全日本病院協会・日本医療法人協会、平成30年度 病院経営定期調査、2018年12月7日
【2】詳しくは拙著、『新たな医療危機を超えて』(日本評論社)をお読みいただきたい。
(写真:AFP/アフロ)
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