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医療

医療機関と社会的責任

中央大学教授 真野俊樹

2022/01/05

医療機関と社会的責任

 最近、企業が長期的成長を目指すうえで重視すべき環境(Environment)、社会(Social)、統治(Governance)を表すESGや持続可能な開発目標を示すSDGsといった言葉を聞かない日はない。こうした概念が広がっている理由としては、地球温暖化や貧困問題といった社会的課題が世の中で注目されていることが挙げられる。

 経済界においてはESGやSDGsを重視する企業への投資を拡大する投資会社や投資ファンドが増えているが、株式会社の病院経営が禁じられているためなのか、医療に直接かかわる組織が投資の対象になるケースは少ない。そもそも医療界においてはESGやSDGsといった言葉を聞く機会が少ないのはなぜだろうか。

 企業にはESG、SDGsの取り組みをまとめた統合報告書がある。統合報告書には、損益計算書や貸借対照表などの財務情報に加えて、企業統治や社会的責任、知的財産などの非財務情報がまとめられている。欧米を中心とする外国人投資家が企業の社会的責任を重視し始めたことに呼応し、企業側も作成を積極化しているようだ。

 企業が提供している商品やサービスは人に何らかの効用があるものだが、自動車が排気ガスを発生するように、社会に対してプラスとマイナスの両方をもたらすものも少なくない。このマイナスの存在が企業をESGやSDGsを重視する方向に向かわせているように思われる。

 一方、医療機関は、もともと患者の疾病や外傷を診察、治療するための組織であり、そのことが社会的に広く認められているという意識がある。このため、医療機関のESGやSDGsの取り組みをわざわざ社会に向けて発信する必要はないという考え方も根強い。

 もちろん医療においても患者を診察、治療する過程で放射線被曝や医療廃棄物が発生するという問題はある。しかしながら、プラスとマイナスのバランスで言えば、プラスの方が圧倒的に大きく、企業のようにマイナスを議論する機会が少なかったという面はあった。

 また、日本の医療機関についていえば、諸外国に比べて規模の小さい診療所や中小病院が圧倒的に多い。中小企業や個人商店の多くが夫婦、親子による家族経営であるように、こうした診療所や中小病院も家族経営が多く、ESGやSDGsにまで目が行き届かなかったところもある。

 もっとも、医療界にESGやSDGsの意識が全くないわけではない。例えば、手稲渓仁会病院(札幌市)や札幌西円山病院(同)を傘下にもつ渓仁会グループは2006年から独自のCSRレポートを発行する。【1】 自治体病院においては、健康管理の社会的責任(Healthcare Social Responsibility)をどう果たすべきか議論されたこともあった。

 しかしながら、社会がESGやSDGsの取り組みを重視する流れにある以上、これからの医療機関は都道府県に財務情報を開示していれば良いとはならず、財務情報以外のESGやSDGsへの取り組みを社会に広く発信していくことが重要になると予想される。【2】

 近代経済学の黎明期に活躍した経済学者、宇沢弘文は、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人びとが、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」を社会的共通資本と定義した。【3】

 医療機関は宇沢氏が提唱する社会的共通資本であるだけでなく、社会保険料と税金を診療報酬の原資とする社会の公器である。税金を財源とする以上、当然、情報公開を積極的にすべきという議論が出てくる。とりわけ税負担が免除されている日本赤十字や地域医療機能推進機構などの公的病院は財務情報のみならず、非財務情報を積極的に公開すべきではないだろうか。

 

 まの・としき 1961年、愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒。米国コーネル大学医学部研究員、昭和大学医学部講師、多摩大学医療リスクマネジメント研究所教授を経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授。内科専門医。京大博士(経済学)。

 

【1】渓仁会グループ、CSRレポート2006~2021

【2】財務省が2021年11月8日に開催した財政制度等審議会財政制度分化会では、「医療法人が作成・提出している事業報告書をアップロードで届け出・公表する全国的な電子開示システムを整備する」「損益状況の施設別区分、収益の入院・外来区分、費用の主要費目区分など、事業報告書等の内容の充実を図るべき」という指摘があった。

【3】宇沢弘文は日本の経済学者。1928年鳥取県生まれ。シカゴ大学教授、東京大学教授などを歴任し、2014年に逝去した。

【4】宇沢弘文、社会的共通資本、岩波新書、2000年

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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