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財政

実質賃金が増える政府債務の規模

岡山大学教授 岡本章

2021/06/02

実質賃金が増える政府債務の規模

 経済協力開発機構(OECD)の各国平均賃金データによれば、先進国の実質賃金は過去30年間で1.3~1.5倍に増えた。一方、バブル崩壊後、成長軌道に乗り切れない日本の実質賃金はこの間、1.06倍になったに過ぎない。日本の実質賃金を改善するためには、どうしたら良いだろうか。

 2019年11月、新型コロナウイルス感染症の最初の症例が中国湖北省武漢市で発見されてから1年半。アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニア――。新型コロナウイルスの感染拡大はとどまるところを知らず、新型コロナ対策が各国政府の最優先課題になっている。

 各国政府は感染拡大を防ぐロックダウンを実施する一方、国内経済をテコ入れするため、各国政府の財政赤字、債務残高は急増している。国際通貨基金(IMF)が4月に発表した2020年の財政報告によれば、これまで財政状況が良かったドイツが財政赤字に転落。日本の政府債務は対国内総生産(GDP)比150%から169%に膨らんだ。【1】

 バイデン米大統領が連邦議会に提出した予算教書によれば、アメリカは経済再建と社会福祉への重点投資で今後10年間、財政赤字拡大を想定する。新型コロナウイルスが収束する見通しは未だ立っておらず、各国政府がさらなる財政出動、財政赤字を迫られる可能性もある。

 政府債務の存在自体は問題ではない。例えば、将来世代も利用可能な社会資本は現役世代と将来世代で負担を分かち合う建設国債で賄うことに一定の合理性がある。他方、1965年度補正予算で第二次世界大戦後初めて発行された特例国債は単なる財政赤字の補てんに過ぎない。

 日本はバブル崩壊後、所得税、法人税などの税収が伸び悩み、特例国債への依存度が高まる傾向にある。特例国債の増発は将来世代への負担の先送りであり、巨額の政府債務は日本経済にとって深刻な課題である。そして、新型コロナ対策は巨額の政府債務をさらに膨張させる要因だ。

 日本経済の持続的成長を実現するためには、人口を維持し、実質賃金を高めていく必要がある。人口維持、賃金改善の足かせにならないようにするためには、政府債務はどの水準にとどめるべきか。人口内生化世代重複シミュレーションモデルを使って、賃金改善と人口維持を可能にする政府債務の水準を検討した。

 家計にとっての負債の大きさを計算する場合、負債総額を年収で割って計算する。そうした観点では政府債務を1年間の税収で割って政府債務の大きさを計算すべきとも言えるが、ここでは国の経済活動の一定割合がいずれ税収になり、国庫に納付されるとの考えから、政府債務残高を国内総生産(GDP)で割った政府債務対GDP比を使用する。

 シミュレーションモデルでは、現時点における日本の政府債務対GDP比を150%と仮定。政府債務対GDP比の変化が国民1人当たりの効用と将来の人口推移に与える影響について定量分析した。【2】  政府債務対GDP比を大きく変更した場合の社会的影響に配慮し、2021年から10年間かけて滑らかに変化させた。

 分析結果によれば、国民1人当たりの効用は政府債務対GDP比がマイナス170%(余剰金がGDPの1.7倍)で最大となり、実質賃金は10年後に25.3%上昇した。これは、政府債務が減る分、民間資本が増えて労働供給が相対的に過少になることによる。現状は巨額な政府債務は民間資本拡大の足かせになっており、実質賃金の改善を妨げているといえる。

 

 一方、人口については政府債務対GDP比が160%まで増えた場合に最大となり、試算では2037年に人口が1億883万人になる。人口維持の観点では、現在の日本のように、巨額の政府債務を抱えている方が望ましいことになる。これは、実質賃金の改善は個人の効用を高める一方、育児の機会費用が上昇し、出産数が減ることによる。

 実質賃金を改善するためには財政赤字を脱却し、向こう10年間でGDPの約1.7倍相当の余剰金を積み立てることが望ましい。新型コロナ対策と併せて、財政の健全化、財政赤字からの脱却は急務といえる。そのうえで、少子化対策など人口水準を維持していくための施策が求められている。

 

 おかもと・あきら 1964年、奈良県生まれ。京大経卒、同大学院博士課程中退。岡山大学経済学部助教授を経て、岡山大学学術研究院社会文化科学学域教授。フルブライト奨学金研究員、安倍フェローとして在外研究に従事した。京大博士(経済学)。

 

【1】政府債務には粗債務と純債務がある。国の財政状況の評価では、借入金と債務保証を合計した粗債務から金融資産を差し引いた純債務が使われる。本稿では純債務で政府債務を算出する。

【2】効用とは人が商品やサービスを消費することで得られる満足度を表す。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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