
厚生労働省は8月、公的年金の財政検証を発表した。直前に発生した「老後資金2000万円不足問題」で年金への関心が高まったことから、その内容に注目が集まっていた。今回の財政検証を一言で言えば、年金の実態がわかりにくく、また事実を隠しているのではないかと疑われても仕方のない内容だった。基本的な問題を含め、レビューしたい。
今回の財政検証における年金財政の見通しは、生産性上昇率・出生率・死亡率などの前提の違いから28通り、加入者拡大などのオプション試算が42通りになっている。
財政検証の概要資料は、法律の規定に始まり、細かい前提の説明が続く。とにかく量が多く、また専門的で一般国民が理解するのは難しい。むしろ、理解できないように資料を作成しているのではないかと考えてしまう資料である。
試算においては前提が重要だが、政府が最もありうると考える場合を基本として、成長が上振れた場合と下振れた場合を加えて計3ケース、そして加入者の拡大など重要な制度改正を行うケースを若干加えれば十分ではないか。出生率の相違など詳細な分析は、付属資料として添付すればよいと思う。
生産性上昇率、出生率、就業率を高めに設定
前提で重要な生産性上昇率について、前回の2014年検証では0.5~1.8%、今回では0.3~1.3%となっている。前回より低くなったとはいえ、過去10年間の生産性上昇率の平均値である0.7%、足元2017年度の0.3%と比べるとまだ高く、試算の多くは高い生産性上昇率を前提としている。
実質賃金上昇率は足元0.4%だが、内閣府試算の「成長実現ケース」で推計した場合、1.3%と3倍強、「ベースラインケース」で推計した場合、0.7%と2倍弱に上昇する。
また、積立金の運用利回り(実質、対物価)については、前回検証よりやや低くなったとは言え、実質経済成長率の3倍以上高くなる。例えば、生産性上昇率が最も高い「ケースⅠ」で、運用利回りは3.0%(成長率0.9%)、最も上昇率が低い「ケースⅥ」で、0.4%(同マイナス0.5%)となっている。出生率や就業率は、足元の数字が伸びていることから、前回より高い数字を前提とする。
厚労省は、経済前提は「予測」ではないと言っているが、バラ色の経済を目指すアベノミクスが長期に持続するという非現実的な期待だ。
負担と給付を縛った年金制度、やりくり難しく
所得代替率は、現役世代の収入に対する年金額の比率であり、年金の水準を示す重要な指標である。具体的には、夫婦2人の基礎年金と夫の厚生年金の合計額を現役世代の男性の平均手取り収入額で除して算出する。
奇妙なことに、分母は税や保険料控除後の金額である一方、分子は控除前の金額である。更に、分母は1人分だが、分子は2人分である。
所得代替率は世界に共通する年金の指標の1つであるが、上記のような計算は特異である。経済協力開発機構(OECD)は、1人当たり、男女別、税などの控除前のグロスの所得か控除後のネットの所得、平均賃金や平均賃金の半分、平均賃金の2倍のケースについて、所得代替率を計算し、各国比較を行っている。
例えば、グロスの所得で見た所得代替率は図1のとおりである。残念ながら、日本の所得代替率はかなり低い。
財政検証における所得代替率は、専業主婦世帯を前提とした「モデル年金」に基づいて計算している。例えば、今回の財政検証で最も高い成長率が実現できる「ケースⅠ」では、現役世代の男性の平均賃金が62.1万円(2046年度)となり、年金月額は26.3万円、所得代替率は51.9%である。
このように夫が家計維持者、妻は専業主婦という世帯を前提にしているが、このような専業主婦世帯はもはや多数ではない。総務省「労働力調査」(2018年)によれば、専業主婦世帯600万世帯に対して、共働き世帯は1,219万世帯と2倍強になっている。
政府は、所得代替率が50%を下回らないようにするとしている。しかし、前述の通り、そもそも所得代替率の計算に問題がある。
年金制度は、負担と給付をいかにバランスさせるかが問題となる。負担を先に決める確定拠出ならば、人口動態などの変化により、給付を調整する。逆に、給付を先に決める確定給付ならば、負担で調整する。どちらかを決めて、残りで調整するのが常識である。
しかし、今の年金制度は、両方を決めている。具体的には、2004年の改正で、保険料の上限が定められた。2004年から厚生年金・国民年金の保険料は徐々に引き上げられ、2017年に、それぞれ18.3%、16,340円の上限に達した。他方、所得代替率を50%としたので給付も固定された。それで人口動態などの変化に対応するためマクロ経済スライドが導入されたが、負担と給付を縛ったので、矛盾が生じるのだ。
貧困高齢者の国民年金問題、言及せず
経済成長と労働参加が進むと仮定する楽観的な場合(ケースⅠ~Ⅲ、出生中位・死亡中位)、国民年金(=厚生年金の基礎年金部分)の所得代替率は、2019年の36.4%から約26%に低下する一方で、厚生年金の報酬比例部分はほとんど減らない。厚生年金全体(基礎年金部分+報酬比例部分)では、2019年の61.7%から約51%に低下する。これは、年金財政を安定化させるため、賃金・物価の上昇率ほど年金額を増やさない「マクロ経済スライド」が適用されるからである。【1】
相対的に所得が低い人が加入する国民年金を多く削り、相対的に豊かな人が加入する厚生年金を削らないのは不公平ではないか。年金財政が苦しいとしても、まずは恵まれた人の年金給付を削減してもらうべきではないか。
基礎年金給付の半分は一般財源が投入されているので、基礎年金給付が減れば、一般財源の支出も減る。これにより、年金に投入される一般財源を節約できるとしても、貧困高齢者が増えれば、生活保護の支給が増える。年金制度の基本的な目的は、老後において貧困に陥らないようにすることだが、この検証では、財政の安定が最優先されている。
人口の将来推計などにより、貧困高齢者の増加が予想されているが、国民年金の削減は、それに拍車をかけることになる。
今回の検証は、国民年金財政の将来見通しを示すが、オプション試算を含めて、推計や問題提起は、もっぱら被雇用者や厚生年金にかかわるもので、貧困高齢者の国民年金問題については、ほとんど触れていない。
厚生年金の適用拡大、年金支給額逆転の矛盾も
厳しい年金財政と所得代替率の低下を補う手段として提案されているのが、「オプション試算A」が示すパート労働者など短時間労働者への厚生年金の適用拡大である。
短時間労働者に厚生年金を適用拡大すれば、厚生年金の保険料収入が増えて年金財政にプラスとなり、また個人がもらえる年金給付も増える。
もっとも、学生や雇用契約期間1年未満の者などを除いた、週20時間以上の短時間労働者325万人に厚生年金を適用拡大しても、所得代替率は約1%ポイント上昇するだけである。
月5.8万円以上の収入があるすべての雇用者1050万人まで拡大すれば、所得代替率は約5%ポイント上昇するが、会社負担が大幅に増えることを考えると、現実的ではないだろう。
一見すると、この適用拡大は望ましい対策に見えるが、そう単純なものではない。国民年金の保険料は、原則として、1ヵ月16,340万円(2018年)である。他方、厚生年金は、従来、標準報酬月額が9万8000円以上の人を対象に労使折半で18.3%の保険料(金額では1万7934円)を負担していた。個人について言えば、9.150%であり、8,967円を負担していた。
2016・17年と2年連続して、パート労働者へ厚生年金の適用が拡大されてきた。その対象者は、週の所定労働時間や企業の従業員数などについて細かい基準が定められているが、月収の下限は8万8000円で労使を併せた保険料額は1万6104円だった。
今回の財政検証のオプション試算Aで示すように、この下限をさらに引き下げると、国民年金の保険料より負担が安くなるにもかかわらず、国民年金より多くの年金給付を受給できることになる。
財政検証では、平均賃金を稼いでいる人が満額保険料を払った場合の年金給付や所得代替率をモデル年金として提示するが、このモデル年金の賃金より実際の賃金が少ない人の所得代替率は高くなる。
例えば、モデル賃金の所得代替率が61.7%であるのに対して、実際の賃金がモデル賃金の半分の場合、所得代替率は98.1%になる【2】これは、年金制度内で所得再分配が行われていることを示している。
筆者は、保険制度の中で所得再分配を一切すべきではないなどと主張しているのではない。財政検証では、短時間労働者への厚生年金拡大について、負担増や所得再分配についての分析や検討がなされていないのだ。短時間労働者への厚生年金拡大はバラ色のように見えるが、誰かがその負担を負うのだ。
在職老齢年金制度廃止、それでも年金は増えず
マクロ経済スライドが発動されると、所得代替率は低下し、年金給付は削減される。財政検証では、マクロ経済スライドの発動をできるだけ食い止めるためには、より長く働き、また年金の受給を遅らせる必要があると示唆している。
例えば、現在 20 歳の世代は 68 歳 9ヵ月まで就労し、年金の繰り下げ受給を選択すれば、現在(2019年度)65歳の世代と同じ所得代替率(61.7%)を確保できる見通しだと言っている。【3】長く働き保険料を多く納めれば、給付が増えるのは当り前だ。
また、財政検証では、雇用を抑制しているとしばしば批判される在職老齢年金制度を廃止した場合の試算「オプションB」も行っている。在職老齢年金制度とは、60歳以上で厚生年金保険料を払いながら老齢厚生年金を受給する場合、月収や年金額などに応じて、年金給付が削られる仕組みである。
例えば、月収30万円・年金18万円では、合計収入が28万円を超えた部分の半額、つまり10万円の年金が支給停止となる。これは不公平な仕組みでもある。厚生年金に加入する高所得者は年金が削減されるが、自営業あるいは株式投資などで1億円稼いでも、年金は削減されないからだ。
本来、高所得の年金受給者の年金額で調整するのではなく、課税により、所得を調整すべきである。【4】
在職老齢年金制度が廃止されれば、年金は増えると思う人もいるだろうが、実はそうではない。所得代替率は、経済成長が最も高い「ケースⅠ」の場合で51.9%から51.6%に低下し、「ケースⅤ」の場合、44.5%から44.2%に低下する。【5】
財政検証の資料では、「厚生年金の給付の増加により報酬比例の所得代替率が低下」するからと説明している。この説明は舌足らずだ。厚生年金の給付が増えると、年金財政を安定させるため、年金支給額の伸びを抑えるマクロ経済スライドが発動されるからである。
厚生労働省の資料『いっしょに検証!公的年金』では、「マクロ経済スライドとは、そのときの社会情勢(現役人口の減少や平均余命の伸び)に合わせて、年金の給付水準を自動的に調整する仕組みです」と説明されている。
しかし、これは正確ではない。およそ年金財政の給付と負担のバランスが崩れると、年金財政を安定させるため、マクロ経済スライドが発動されるからであでる。
筆者は、このマクロ経済スライドを廃止すべきだと主張しているのではない。こうしたマクロ経済スライドの仕組みが国民に十分理解されていないことが問題だと思う。
厚生労働省は、「より長く保険料を納めれば年金支給額は増える」「70歳に受給を繰り下げれば年金は増える」と説明しているが、そう単純ではない。
現在の年金制度は多くの問題を抱えており、誰かが得をすれば誰かが損するため、魔法の杖のような解決策はない。そうした中で、少しでも改善していくためには、まずは事実を明らかにして、冷静な議論がしていくことが必要である。
残念ながら、財政検証は、冷静な議論のための材料を提供しているとは思えない。政府が検証するだけではなく、外部の専門家や会計検査院などがチェックする仕組みも必要である。
たなか・ひであき 1960年、東京都生まれ。東工大院修了、旧大蔵省(現財務省)へ入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官を経て、明治大学公共政策大学院教授。政策研究大学院大博士。

(出所)OECD Pension at a Glance 2016 日本を含む多くの国で男性と女性の所得代替率は変わらない。
【1】詳細は拙稿「社会保障クイズ 年金財政は大丈夫?」を参照されたい。
【2】2019年財政検証関連資料
【3】2019年財政検証関連資料
【4】詳細は拙稿「新春・社会保障クイズ 私の年金、得する!損する?」を参照されたい。
【5】オプション試算B-②から算出。
(写真:AFP/アフロ)
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