
去る3月27日、2020年度予算が参院で可決、成立した。これを受けて、安倍晋三首相は過去最大規模の緊急経済対策を策定すると表明した。政府要人、識者からは、「前例のない措置が必要」「消費税率をゼロに」「全国民一律の現金給付を」などの発言もあるが、緊急事態だからと言って「何でもアリ」でよいのだろうか。
まず考えなければならないのは、今回は通常の景気後退とは異なり、影響の大きい分野が限られていることである。第1に、在宅勤務と外出の手控え、イベント・コンサートの中止、遊園地などの休園、小売店・飲食店の閉鎖に伴う個人消費の減少である。いわゆる巣ごもりによる需要喪失だ。
第2に、訪日客の減少に伴うインバウンド消費の急激な落ち込み、ホテルや鉄道など旅行業の経営悪化である。東京五輪の延期に伴う需要喪失もこれに含まれる。第3に、世界経済の減速に伴う輸出入の減少やサプライチェーン寸断による生産減である。
こうした状況で一体、何が一番深刻な問題で求められる政策は何か。
まず失業や労働時間の減少に対応した補償が急務である。この点については、「雇用調整助成金」を活用すべきである。これは、景気後退など経済的な理由により、雇用調整を行わざるを得ない事業者が一時的な休業、教育訓練または出向により、雇用を維持した場合、休業手当、賃金の一部を助成するもので、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、事業者の範囲拡大、生産指標など要件の緩和、助成対象者の拡大が行われており、経済対策では助成率の引き上げが盛り込まれる見通しである。
自営業者やフリーランス、すでに解雇された人の補償も重要だ。大企業のサラリーマンや公務員は所得が大きく減っているわけではなく、彼らへ現金給付やポイント還元しても消費が拡大するとは限らない。事実、リーマンショックを受けて定額給付金が配布されたが、その効果は「定額給付金によって、受給月に受給額の 8%に相当する消費増加効果がみられた。他の月の分も合わせた累積では、受給額の 25%に相当する消費増加効果がみられた」(内閣府)。給付金の効果は限定的なのだ。
消費税率を引き下げて、一体どのくらい消費が増やるだろうか。伝統的な経済対策である公共事業を増やしても効果は薄い。米国は解雇された人に4ヶ月分の休業補償を支給し、英国は休業を強いられる従業員の給与の80%を3ヶ月間、政府が肩代わりしている。ここは米英のように雇用対策を中心にすべきであろう。
次に必要な対策は、事業活動ができなくなり、資金繰りが悪化した事業者への支援である。観光業、飲食業、運輸業、イベント業は特に打撃を受けている。日本政策金融公庫を始めとする公的金融機関や地方自治体による緊急融資、納税の猶予・延期が始まっているが、金融機関からの借入金の返済猶予も必要だろう。自治体の窓口には、緊急融資を求める中小企業が殺到し、対応できないという事態も起きており、その是正も求められる。
第3に、新型コロナウィルスの感染対策そのものの強化である。ワクチンの研究開発、病院の感染症病床の確保や品不足になっているマスクなどの増産などである。日本の感染症対策の中心を担う国立感染症研究所(NIID)の人員や予算は米国などと比べて大きく見劣りすることが指摘されている。
例えば、NIIDの人員は約300人、2019年度予算は約60億円である。これ以外にも感染症対策の予算があるので単純比較はできないが、米疾病予防管理センターの人員は約1万4000人、予算約8000億円である。日本は財政が厳しい状況が続いており、多くの分野で必要な予算を確保できていない。
経済対策の検討に当たって危惧するのは、安倍政権の政策過程の問題である。安倍政権は「安倍一強」と言われるように、官邸主導で迅速に意思決定する。これまでの日本の首相、内閣は権限が弱かったことを考えると迅速な意思決定自体は評価できるが、データやエビデンスに基づく科学的分析や関係者間の合意形成は疎かになっている。
例えば、保育や教育の無償化が典型例だ。無償化の理念そのものは否定しないが、現状において優先順位の高い政策とは思えない。低所得の家庭の保育料はすでに無料になっており、それを一律に無料化することは中高所得者を助けることになり、結果として所得格差を拡大することになりかねない。無償化政策は、衆院選を念頭に打ち出されたものであり、その費用対効果についての検討はなかった。
新型コロナウイルス対策についても安倍首相が唐突に小中学校の全面休校を要請したことが挙げられる。感染拡大の現状についての認識、一斉休校を行う必要性、メリット・デメリットなどについての説明はなかった。唐突だったので、学校関係者や子どもを持つ家庭には準備期間もなかった。一部報道によれば、小中学校の全面休校は感染対策の専門家会議の議論を経ず、麻生太郎財務相、菅義偉官房長官すら決定プロセスにあずかっていなかったとされる。【1】
安倍首相は、全面休校の記者会見で、政治的判断であり自分が責任をとることを強調したが、それは、自分をアピールするための政治的な行動ではなかったか。官僚は人事を握る官邸を忖度し、耳障りなことは言わない。与野党ともに支出拡大の大合唱であり、「緊急」という大義で何でもありの経済対策になりかねない。
緊急の経済対策が止血のために必要だとしても、新型コロナウイルスの感染拡大はいずれ収束するだろう。今から「新型コロナウイルス」後を考えておく必要がある。
企業、とりわけ中小企業の支援は「諸刃の剣」である。緊急事態に対する一時的な支援は許容できるとしても恒久的な支援は疑問だ。少子高齢化と非正規雇用が拡大する中、求められる政策は労働者のスキル向上など人材開発である。新しい産業、イノベーションを生み出す産業に人材を振り向けることが重要であり、そのための人材開発である。
景気が悪くなると、政治的な配慮から、これまで幾度となく経済対策、生産性の低い事業の支援、公共事業などが行われてきた。もともと中小企業は、予算、税制、投融資、規制などで、多くの恩恵と助成を受けている。異次元緩和による低金利政策で、企業経営の規律は弛緩している。結果として、政府への依存と構造転換の遅れを招いている可能性がある。
最後に、財政の対応力に触れておく。今回の新型コロナウィルス対策では、ほとんどの先進諸国で財政が拡大しているが、財政規律という観点から、必ずしも日本と同じではない。
例えば、ドイツは2009年、「債務ブレーキ制度」を導入した。同制度では、連邦政府の財政赤字は名目国内総生産(GDP)の0.35%以内、州政府は均衡財政を維持するというもので、このルールを超えて赤字が増えた場合、超過分を別勘定に移して、速やかに償却しなければならない。
自然災害など緊急事態に対応することは例外として許容されるが、事前に返済計画を定め、原則に速やかに戻ることが必要である。ドイツは、東西ドイツの統合により財政赤字が拡大した。その後、労働市場改革で経済が回復し、2015~19年には対GDP比1〜2%の財政黒字を維持している。債務残高も30%(2019年、対GDP比)まで低下しており、新型コロナウイルス対策で財政赤字に陥っても十分、余力がある。
ニュージーランドは1994年、財政責任法を制定し、財政ルールに基づく財政運営を義務付けた。財政ルールの1つは、政府の貸借対照表上の資産と負債の差額の対GDP比を一定以上に維持するというものである。緊急事態になれば、ルールの逸脱も許容されるが、それは一時的な乖離でなければならないのである。
同法制定後、ほぼ財政黒字を維持していたが、2011年のカンタベリー大地震の影響で2011年は4.1%の財政赤字になった。しかし、これは一時的な乖離であり、2014年には0.2%の黒字に転換している。【2】
財政再建は目的ではないが、健全な財政を維持し、財政の対応力を保つことは重要である。今回の新型コロナウイルスの感染拡大だけではなく、日本は巨大地震など自然災害のリスクが高い。当面、国内貯蓄で財政赤字をファイナンスできるとしても、それが永遠に続く保障はない。
リーマンショック後、ほとんどの先進諸国で債務残高(対GDP比)が急増したが、2015年以降は減少している。右肩上がりで増えているのは日本だけだ。今回の経済対策、それに続く補正予算でさら債務残高は増大する。改めて財政の役割と対応力を考える必要がある。
たなか・ひであき 1960年、東京都生まれ。東工大院修了、旧大蔵省(現財務省)へ入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官を経て、明治大学公共政策大学院教授。政策研究大学院大博士。
【1】週刊エコノミスト、2020年3月17日
【2】OECD Economic Outlook No.106
(写真:AFP/アフロ)
バックナンバー
- 2022/03/30
-
新型コロナ、オミクロン株以降のワクチン効果とウイルス対策
- 2022/03/09
-
オミクロン株まん延、新型コロナ対策の課題
- 2022/02/09
-
基礎年金のあるべき姿
- 2022/01/19
-
新型コロナ変異株、オミクロンが流行する原因とその対策
- 2022/01/05
-
医療機関と社会的責任
- 2021/11/24
-
新型コロナワクチン、接種と死亡の因果関係
- 2021/11/17
-
財務次官論文を考える