
安倍政権は「安倍一強」の政治情勢の中、長期の政権運営に成功しているが、その政策決定プロセスには問題が多い。政府の役割は、社会に必要な政策を立案、実施することであり、そのプロセスにおいては科学的分析や合意形成が必要となる。安倍政権は、意思決定こそ迅速だが、科学的分析や合意形成のプロセスが疎かになっている。これは第二次安倍政権発足以来の課題だが、新型コロナウイルス感染症対策で問題は深刻さを増している。
これまで科学的分析なしに政策決定がなされても、国民生活に不利益が生じることは少なかった。しかし、新型コロナ対策は、「三本の矢」「地方創生」「1億総活躍社会」のように看板を次々と入れ替えて「やっている感」を演出しているだけでは歯が立たない。場合によっては、生命の危険など、国民生活に重大な影響が出てくる。新型コロナを巡る政策決定プロセスの問題について具体的に検討する。
科学的分析と合意形成を欠いた最たる例が、各家庭に布マスクを2枚ずつ配布する通称、「アベノマスク」である。新型コロナ感染拡大で1月下旬からマスク不足が目立つようになり、安倍首相は3月5日、「マスクの供給を抜本的に強化する」と表明した。政府は当初、介護施設など必要性が高いところにマスクを供給する方針だったが、官邸官僚が「全国民に布マスクを配れば不安はパッと消える」と進言し、安倍首相がそのアイデアに飛び付いたという。
首相の意向でマスク調達を大々的に始めたものの、数千万枚のマスクを短期間に確保することは難しく、不良品が続出した。さらに、マスクを製造したことがない事業者が納入者として選定されていることも明らかになり、業者選定の不透明さも指摘された。当初、466億円の予算が計上されたアベノマスクの費用は90億円程度に収まると言われているが、世論調査が示すとおり、国民が望む政策ではなかった。
次に紹介するのが、安倍首相が2月末に唐突に要請した小・中・高校の一斉休校である。文部科学省は、校内で感染者が確認された場合、地域全体で臨時休校するように全国の教育委員会へ通知していたが、北海道や大阪府で一斉休校を行ったことから、全国一斉休校に踏み切った。この間、全国一律に一斉休校を行う必要性や一斉休校を行うことのメリットやデメリットについての分析や説明はほとんどなかった。
あまりに唐突な要請だったので、学校関係者、児童、生徒、保護者に準備期間はなく、多くの地方自治体、とりわけ感染者が少ない自治体は困惑した。消費増税を延期した際に担当大臣である財務大臣が意思決定から外されたのと同様に、学校教育に責任を負う文部科学大臣は意思決定の蚊帳の外におかれた。安倍首相は、「一斉休校は政治的判断であり、自分が責任をとる」と強調したが、それは、果敢な指導者を演出する政治的な行動だったとみられている。
新型コロナ感染状況を調べるPCR検査にも問題があった。安倍首相は4月6日、PCR検査の実施能力を月間1万件から2万件に引き上げる目標を示した。目標は掲げられたが、その後、1ヶ月たっても、目標は達成できなかった。専門家会議は5月4日、検査体制が整わず、諸外国に比べてPCR検査実施件数が少ないとする分析結果を公表した。安倍首相は同日、「人的な目詰まりもあった。実施件数が少ないのはその通りだ」と述べた。
人的な目詰まりとは、PCR検査が必要かどうかの判断から、検体回収、結果連絡、入院調整まで担当する保健所の業務が多すぎることや検査技師の人員不足、検査技師らが使う防護服や医療用マスクの不足などである。安倍首相は安易に目標を掲げ、国民に期待を抱かせたが、保健所や検査の状況を十分、確認したうえで、PCR検査の実施件数はすぐに増やすことはできないと、正直に言うべきだったであろう。
次に、新型コロナ対策に関する予算の問題を考える。当初は、新型コロナ対策の影響で収入が減り、厳しい状況におかれている世帯に現金を給付するとしていたが、連立与党である公明党の強い要請を受けて、「厳しい状況におかれた世帯に一律30万円の給付」から「全国民に一律10万円の給付」に方針転換することになった。問題は、現金給付の対象や金額ではなく、政策決定のプロセスにある。
政策決定のプロセスを振り返ると、安倍首相と岸田文雄自民党政調会長が4月3日、厳しい状況におかれた世帯に一律30万円を給付する方針で一致し、同月7日、現金給付を裏付ける第1次補正予算を閣議決定した。ところが、斉藤鉄夫公明党幹事長がこれを批判。山口那津男公明党代表が、連立離脱の可能性も示唆しながら、全国民への一律10万円の給付への方針転換を要請。安倍首相がこれを受け入れ、補正予算の閣議決定を4月20日にやり直した。
この結果、一刻も早い実施が求められていた緊急経済対策が、補正予算の閣議決定のやり直しで遅くなった。その根本的な原因は、政府与党を通じた合意形成がなされなかったことにある。本来であれば、経済政策のかなめとなる補正予算は、経済財政諮問会議で議論し、それと同時に連立与党間で調整すべきだった。従来のように、首相官邸で決めれば何でも可能になるという「神通力」は通じなかった。
補正予算は、その内容にも問題が多い。新型コロナ対策として、まずPCR検査の拡充などの医療対策が求められていたが、第1次補正予算に計上されたのは、ワクチン開発を含めて3千億円だった。一方、観光振興に1兆8千億円、デジタル化に9千億円が計上された。第2次補正予算で、ようやく医療提供体制の強化に3兆円が計上されたが、そもそも観光振興は第2次補正予算以降で対応すべきものだった。
日本の政策決定のプロセスに欠けているのは、データに基づいて分析や検討を行い、首相と担当大臣の合意形成を図りつつ、内閣として迅速に意思決定することである。安倍政権の政策決定のプロセスをみていると、我が国は統治機構として政策決定のプロセスをチェックする仕組みを強化する必要がある。そのためには、行政府、または、立法府に内閣の政策決定を監視する機関を設置することも検討すべきだろう。
諸外国に目を向けてみると、予算や財政について専門的な分析や政府への提言・勧告を行う独立財政機関が普及している。イギリス、ドイツのように行政府に設置されたもの、アメリカ、オーストラリアのように立法府に設置されたものなど、形態は様々である。欧州連合(EU)は、ギリシヤ危機を経て、加盟国に独立財政機関の設置を義務付けている。経済協力開発機構(OECD)加盟国でも独立財政機関を導入していない国は、日本を含めてごくわずかである。
OECDは5月22日、報告書『独立財政機関:新型コロナウイルス感染症拡大における財政の透明性とアカウンタビリティ』を発表している。この報告書をみると、各国の独立財政機関は、①新型コロナ感染症が経済・財政に与える影響の分析②政府が財政ルールの適用を一時停止した場合の緊急措置の監視③緊急措置にかかる費用の推計④緊急措置導入の透明性・アカウンタビリティの向上ーーを講じている。他方、日本では新型コロナ対策について、こうした検証は、国会を含めて、全くなされていない。
日本では、1994年の選挙制度改革や2001年の中央省庁再編により、首相が指導力を発揮できる体制が整った。首相が指導力を発揮した嚆矢とされる小泉純一郎政権では、経済財政諮問会議を通じて政策決定プロセスの透明性が向上したが、第2次安倍政権では、透明性は著しく低下している。新型コロナ対策においては、重要会議の議事録も作成されていない。日本における統治機構改革は未完成であり、政策決定プロセスの改革が急務だろう。
たなか・ひであき 1960年、東京都生まれ。東工大院修了、旧大蔵省(現財務省)へ入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官を経て、明治大学公共政策大学院教授。政策研究大学院大博士。
(写真:AFP/アフロ)
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