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財政

歴史に学ばぬ骨太の方針

明治大学教授 田中秀明

2020/07/22

歴史に学ばぬ骨太の方針

 安倍内閣は7月17日、『経済財政運営と改革の基本方針2020』(骨太の方針)を閣議決定した。危機は、制度の矛盾や先送りされてきた問題を顕在化させる。新型コロナウイルス感染症が顕在化させた問題の最たる例が電子政府や行政のデジタル化の問題である。国がマイナンバーを使えば、国民に一律10万円を給付する特別定額給付金を早く受給できるかのように宣伝したことから、市町村の現場が混乱。マイナンバーによる電子申請が郵送による申請より時間がかかるという事態が頻発した。

 過去20年間、歴代内閣は「e-Japan戦略」のような電子政府推進の看板を掲げてきた。莫大な予算を投じてきたものの、現在でも住民票さえ自宅で取得できない。特別定額給付金の手続きが自治体ごとにばらばらに行われ、給付に手間取るという失敗を受け、今年の『骨太の方針』では、内閣官房に新しい専門部署を設置し、行政のデジタル化を強力に推進するとしている。しかし、これまで出来なかったことがなぜ急に出来るようになるというのか。

 筆者は、電子政府化、行政のデジタル化が進まない最大の理由は、「デジタル化の何が問題なのか」「何が障害になっているのか」などの分析がないことにあると考えている。今年の『骨太の方針』をみても、「今般の感染症対応に伴う支援策の実施を通じて、受給申請手続・支給作業の一部で遅れや混乱が生じるなど、デジタル化・オンライン化が特に行政分野で遅れていることが明らかになった」という記述はあるが、何が問題だったのかという分析はない。

 2020年度補正予算には「特別定額給付金」「持続化給付金」「Go Toキャンペーン」「臨時地方交付金」などの新型コロナ感染症対策が盛り込まれ、1次、2次の補正予算の事業規模は合計234兆円。一般会計予算は当初の103兆円から160兆円になった。この中には持続化給付金の業務委託など、すでに問題を指摘されているものもある。今後、府省による行政事業レビュー、会計検査院の監査、総務省の行政評価を通じて、新型コロナ対策の費用対効果を分析する必要がある。

 米投資銀行、リーマンブラザーズの経営破綻に伴う信用収縮に対応して、国が2009年、国民1人あたり1万2000円(高齢者、若年者は2万円)を支給した定額給付金については、内閣府がその効果を分析。「定額給付金によって、受給月に受給額の8%に相当する消費増加効果がみられた。他の月の分も合わせた累積では、受給額の25%に相当する消費増加効果がみられた」と公表した。【1】新型コロナ感染症対策の検証は、国民に対する政府のアカウンタビリティであり、今後の政策立案に活かす必要がある。

 新型コロナウイルス感染症が顕在化させた問題のもう1つは、非正規雇用やフリーランスの社会保障の問題である。今年の『骨太の方針』では、新型コロナ感染症拡大で非正規雇用やフリーランスは厳しい生活・事業を強いられ、格差拡大をもたらすことにもつながると指摘しているが、フリーランスの社会保障については、「適正な拡大を図るため、保護ルールの整備を行う」としか述べていない。これは契約ルールの整備であり、セーフティネットの拡充ではない。

 非正規雇用、フリーランスの社会保障で特に問題なのは雇用保険と労働者災害補償保険(労災保険)である。雇用保険は、1週間の所定労働時間が20時間以上などの加入条件があり、非正規雇用がすべてカバーされているわけではない。個人事業者であるフリーランスはそもそも雇用保険の対象になっておらず、労災保険についても個人タクシーや運送業、大工、左官など一部のフリーランスが特別加入の対象とされているだけで、原則、対象外になっている。

 安倍政権が掲げる「働き方革命」「人生100年時代」などの方向性に異論はない。今年の『骨太の方針』でも、「誰一人取り残されることなく生きがいを感じることのできる包摂的な社会を目指す」としているが、社会保障の問題に本気で取り組んでいるようには見えない。あくまでも「やっている感」の演出にとどまる。日本の社会保障の問題は、従来の枠組みではカバーされていない人たちが増えていることであり、この人たちを社会保障の対象にしていくことが課題だろう。【2】

 一方、財政再建については、2019年の『骨太の方針』に掲げられた「2025年度の国・地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス)黒字化を目指す」という目標がなくなった。6月に発表された経済協力開発機構(OECD)の経済見通しによれば、2020年の日本の一般政府財政赤字(対GDP比)は、前年の2.6%から11.6%へ急増する。今は日本経済の再建が優先されるとしても、ポストコロナに向けて財政運営の問題を考えなくてもよいのだろうか。

 ここで財政再建の経緯を簡単に整理しておく。歴代政権が掲げてきた財政再建目標はことごとく失敗している。1997年に導入された財政構造改革法(橋本龍太郎政権)、2006年に導入された「2013年度におけるプライマリーバランス黒字化」(小泉純一郎政権)、2010年に導入された「2020年度におけるプライマリーバランス黒字化」(菅直人政権)は、いずれも目標を達成できなかった。民主党政権の目標はその後、第2次安倍晋三政権に引き継がれた。

 安倍晋三政権のもと、「2020年度におけるプライマリーバランス黒字化」は、2017年に棚上げされ、目標時期が2020年度から2025年度に後ろ倒しになったが、今年の『骨太の方針』では、プライマリーバランスを黒字化するという目標はなくなった。これまで財政再建が失敗した理由はいずれも景気後退である。景気は常に循環し、外的ショックで景気後退する危険性があるにもかかわらず、景気変動を考慮した財政運営や財政再建ができていない。【3】日本は過去の歴史に学んでいないのである。

 新型コロナ感染症は多くの問題を浮き彫りにした。求められているのは、政策や制度の検証である。政府は全知全能ではないので、失敗することもある。重要なことは、結果や失敗を真摯に分析し、次に生かすことである。PDCA(Plan、Do、Check、Action)がなければ、失敗は繰り返す。筆者は、日本財政の中長期の目的は、急速に進む少子高齢化の波を乗り越えることだと考えている。そのためには、社会保障制度の効率化、重点化を図り、その裏付けとなる財政運営の信頼性を高めておく必要がある。

 

 たなか・ひであき 1960年、東京都生まれ。東工大院修了、旧大蔵省(現財務省)へ入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官を経て、明治大学公共政策大学院教授。政策研究大学院大博士。

 

【1】内閣府、定額給付金は家計消費にどのような影響を及ぼしたか、2012年4月

【2】社会保障の問題については、政策ブログ『社会保険は制度疲労、年金・医療制度を改革しよう』(2018年10月10日公開)を参照されたい。

【3】日本の予算制度の問題については、政策ブログ『財政クイズ 日本の財政再建、どうしたら良いですか?』(2019年7月3日公開)を参照されたい。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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