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財政

菅義偉政権、3つの課題

明治大学教授 田中秀明

2020/09/30

菅義偉政権、3つの課題

 菅義偉前官房長官が新首相に就任し、菅政権が発足した。新政権の誕生を祝福し、その前途に期待したいが、課題も多い。菅首相は自民党総裁選に出馬した時から「安倍政権を引き継ぐ」と発言しているが、それは正の遺産にとどまらず、負の遺産を引き継ぐことでもある。新政権には、過去の検証と未来の戦略が必要である。本稿では、菅政権が取り組むべき課題を「生産性向上のための改革」「雇用・社会保障改革」「霞ヶ関改革」の3点に絞って議論する。

 新型コロナウイルス感染症は、足元では落ち着きをみせており、重症患者の発生も抑えられている。ただ、インフルエンザの流行が想定される冬に向けて、これまでの新型コロナ対策を検証し、何が有効で何が不足しているのかを明らかにする必要がある。新型コロナに、「いつ感染するか」と不安な思いでいることが、国民の社会活動を妨げている。PCR検査体制は諸外国に比べて見劣りしており、検査体制の拡充と重症患者の医療体制を強化しなければならない。

 安倍政権の特色は、「3本の矢」「地方創生」「1億総活躍社会」など話題になる政策を掲げたことである。国政選挙6連勝と選挙対策としては成功したが、「やってる感」の演出とも批判された。こうしたアプローチを継承しても意味がないし、成果を上げられるとは思えない。菅首相は、安倍政権を官房長官として支える裏方であったので、与党と官庁を動かすノウハウを熟知している。菅政権には、こうした利点を活用して、成果を上げていくことを期待したい。

 菅首相は9月16日の記者会見で、「安倍政権が進めてきた取り組みをしっかり継承して前に進める」と述べた。【1】 そうであれば、安倍政権で出来たことと出来なかったこと、そして、なぜ出来なかったのかを検証することが前提になる。とりわけ、多くの識者が指摘するのが、アベノミクスの3番目の矢とされていた成長戦略の失速である。なぜ成長戦略が成功しなかったのか、また、なぜ経済成長率が高まらなかったかを分析しなければ、同じ過ちを繰り返すだけだろう。

 安倍政権では、政治的安定の一方で政策決定のプロセスは著しく劣化した。【2】 幼児教育・保育の無償化や特別定額給付金、アベノマスクなど政策決定のプロセスにデータ分析や合意形成がなく、「結論が先にありき」で政策が決まっていった。これでは、成果を上げることは難しい。まずは政策決定のプロセスを立て直すことを優先しなければならない。経済・財政政策については、司令塔となる経済財政諮問会議でオープンに議論し、詳細な議事録を公表すべきである。

 具体的な改革を提案したい。第1の柱は、生産性や成長率を引き上げるための改革である。主要先進国は、リーマンショックをきっかけとする世界金融恐慌後の緊縮財政が社会格差をもたらしたとの反省から、財源を確保しつつ、所得の再分配機能や企業の成長支援の強化に取り組んできた。例えば、生産性の向上や成長率を引き上げるための歳入(税)・歳出・規制の見直しや育児、教育、人材開発への資源投入である。こうした点で、日本は特に対応が遅れている。

 経済開発協力機構(OECD)が日本の経済政策を分析した『OECD Economic Surveys Japan 2017』でも農業、中小企業支援策の見直しや生産性が低い企業の退出促進、新規参入を妨げる規制・手続きの見直しの必要性が指摘されている。こうした改革の重要性は安倍政権においても認識されていたが、その取り組みは中途半端にとどまった。規制で恩恵を受けてきた既得権益が規制改革に反対するからである。安倍前首相は、「自らドリルの歯となって岩盤規制に穴をあける」と言ったが、そのために政治的指導力を発揮したとは思えない。

 安倍政権の「日本再興戦略」では、世界銀行のビジネス環境ランキングの順位を2020年までに先進国中3位を目指すという目標を掲げたが、2020年版ではOECD加盟国に限っても18位にとどまり、目標順位から程遠い。日本は、「起業の容易さ」「少数投資家保護」「納税の容易さ」「海外取引」「契約手続き」――などの項目で特に劣る。ビジネス環境ランキングを改善していくためには、岩盤規制の撤廃や行政手続の簡素化、IT化が必要になるが、そうしたことに真剣に取り組んできたとは言えない。

 菅首相は組閣後の記者会見で規制改革の重要性を指摘している。菅首相が以前から関心を持っていた通信のみならず、放送、医療、福祉、雇用、教育、農漁業などあらゆる分野に不合理な規制は存在する。壁は官庁の背後にいる関係業界と族議員である。菅首相は、省庁の縦割りや抵抗を打破すると言うが、背後にいる関係者を説得できるだろうか。新型コロナ対策として導入した緊急融資や雇用調整助成金の対象拡大などの特例措置も早期に撤廃しなければ、市場の健全な発展を妨げるだろう。

 第2の柱は、雇用制度と社会保障の改革である。安倍政権は、子供から高齢者まで全世代が安心できるような社会保障全般の改革を検討するとしていた。選挙を意識したアピールであり、本来は年金、医療を中心に高齢者に偏った資源配分を見直し、子供や若者に焦点を当て育児、教育、人材開発に資源を投入することが求められる。日本は対GDP比、人口1人あたりで比較した年金、医療への支出は社会保障の手厚い北欧諸国とほぼ同水準になっているが、育児、教育、人材開発への支出は圧倒的に少ない。

 新型コロナ感染拡大で特に打撃を受けたのは、フリーランスや非正規雇用である。2020年度補正予算でその支援が拡充されたが、セーフティネットとして十分と言えない。日本の社会保障の根本的な問題は、「国民皆保険」と言いながら社会保険の対象とならない人が多いことである。【3】 フリーランスは国民年金や国民健康保険に加入できるが、保険料が逆進的で3~4割は満額の保険料を納めていない。雇用保険や労災保険については、フリーランスは原則対象外である。保険料の逆進性を是正し、セーフティネットを拡充しなくてはならない。

 育児、教育、人材開発を充実するためには、その財源が必要である。安倍政権が導入した幼児教育・保育の無償化のように、借金で賄い将来世代にツケを回すのでは意味がない。政府は社会保険に一般財源を投入しており、富裕層の年金、医療も税金で支えている。これを是正し、子供や若者に財源を振り向けるべきだ。社会保障制度を維持していくためには、財政健全化も必要である。プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標は早急に再設定すべきだろう。

 第3の柱は、霞ヶ関改革である。菅首相は、官房長官時代に政策の立案・実施について府省庁の様々な抵抗に遭ったことから、府省庁の縦割り行政を是正する必要性を痛感している。厚生労働省の分割やデジタル庁の新設などが提案されているが、縦割り行政の是正に重要なのは、霞ヶ関の人事である。国益よりも省益を優先しようとするのは、府省庁をまたいだ横断的な人事がなされていないからである。安倍政権でしばしば問題になった府省庁の幹部人事の在り方についても軌道修正する必要があるだろう。

 首相と内閣の指導力を強化する公務員制度改革により、2014年5月に内閣人事局が設置され、審議官以上の幹部公務員の登用には首相、官房長官、担当大臣の協議が必要になった。幹部公務員を政府全体で登用する仕組みは諸外国に倣うものだが、官僚が首相や大臣の顔色を伺う忖度が生じている。抜擢人事と恣意的な人事は紙一重である。官僚が首相や大臣に従わないことは問題だが、官僚が首相や大臣に忖度して不都合な事実や耳障りなことを言わないのであれば、良い政策はできないだろう。

 この点については、オーストラリアが1980年代に導入した幹部公務員制度が参考になる。事務次官を除く審議官以上の幹部は原則、公募採用。能力や業績を満たせば、誰でも応募できる。第三者が選考にあたり、政治的な介入は限定される。省庁に入っても幹部に昇進できるとは限らず、昇進するには競争に勝たなければならない。また、首相内閣府などの中枢には政権に貢献した人、すなわち省益を追求しない人が幹部に登用される。省庁幹部の公募制により、公務員の政治的中立性を維持しながら、縦割り打破と政治主導に成功しているのだ。

 安倍政権において政策決定のプロセスを劣化させた原因の1つは、「官邸官僚」だった。首相補佐官や首相秘書官は法令上、首相を補佐する職務であるにもかかわらず、首相の威光を背景に府省庁に直接、指揮命令し、やりたい放題だった。首相側近の在り方は、議院内閣制の基本にかかわる重要問題である。首相側近の行動規範を整備し、その言行をチェックする仕組みづくりが必要だ。アベノミクスを超える成果を上げるためには、安倍政権で劣化したガバナンスの是正が必要である。菅政権の真価が問われている。

 

 たなか・ひであき 1960年、東京都生まれ。東工大院修了、旧大蔵省(現財務省)へ入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官を経て、明治大学公共政策大学院教授。政策研究大学院大博士。

 

【1】日本経済新聞朝刊2020年9月17日付

【2】詳しくは、政策ブログ「安倍長期政権、選挙至上主義の功罪」を参照されたい。

【3】詳しくは、政策ブログ「社会保険は制度疲労、年金・医療制度を改革しよう」を参照されたい。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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