
小中学校の1学級定員を巡り、文部科学省と財務省が対立している。経済協力開発機構(OECD)のデータを引き合いに、文科省は「日本の小中学校の1学級定員は多すぎる」と主張。財務省は「教員1人あたりの児童・生徒数は先進諸国と変わらない」と反論する。
OECDの国際比較データによれば、小学校、中学校の1学級の児童・生徒数のOECD平均は小学校21人、中学校23人だった。日本の義務教育標準法は1学級の定員を小学1年生は35人、小学2年生から中学3年生は40人を上限と定めており、現状、1学級の児童・生徒数の平均は小学校27人、中学校32人になっている。
財務省は、同じOECDのデータを引用し、日本の教員1人あたりの児童・生徒数は、小学校16人、中学校13人とOECD平均の小学校15人、中学校13人とほぼ変わらないと指摘。「少人数学級が学力を高めるという明確なエビデンス(証拠)はない」と主張する。これに対して、文科省は「教育効果というより新型コロナ対策の観点から少人数学級が必要だ」という。【1】
両省が対立するのは、小中学校の1学級定員を少なくすれば、国家予算が膨らむためだ。仮に小中学校の1学級定員を30人にすると、「教員を8万~9万人増やす必要がある」(文科省)という。【2】 現行、小中学校の教職員の給与の3分の1は国庫負担。残る3分の2についても財源が不足すれば国が負担しなければならない。
それでは、文科省と財務省の主張のどちらが正しいのか。筆者は、小中学校の1学級定員を国が全国一律に定める時代は終わったと考える。小中学校の1学級定員をどうするかを含めて、地方自治体が公共サービスの内容を独自に定めることをどこまで許容するかは、地方分権のあり方に関わる問題だ。
住民が公共サービスに何を求めるのか。そのニーズは地域によって異なり、地域ごとに公共サービスの内容を決める方が合理的だ。こうした考え方の下、1990年代から地方分権改革が進められ、国から地方へ権限が委譲されてきたが、地方自治体が独自色を出せるほど地方分権は進んでいない。それは、国と地方の財政にある。
地方財政の根本的な問題は、税収が地域によって異なることである。例えば、地方税収の中核をなす法人住民税と事業税の人口1人あたりの税収は東京都と奈良県で6.0倍、地方税全体では2.4倍の格差がある。【3】 税収の偏在を放置すれば、豊かな地域と貧しい地域で公共サービスに大きな格差が生じることにもなりかねない。
そこで、地方自治体間の財源の不均衡を調整し、地方自治体が地域住民に対して一定の公共サービスを提供できるように財源を保障する仕組みが必要になる。日本では、第二次世界大戦後の税制改革を基礎づけたシャウプ勧告に源流をもつ地方交付税交付金制度がそれである。
現行、国が徴収する所得税・法人税の33.1%、酒税の50%、消費税の22.3%、地方法人税の全額を、地方交付税交付金の原資に充てている。公共サービスの財源が不足する地方自治体への交付額は、自治体が必要とする教育費や土木費などの経費から住民税や固定資産税などの収入を差し引いて算出する。
毎年、国の予算編成では、すべての地方自治体が公共サービスを提供するために必要な金額を積算した歳出総額と地方税や地方債、地方交付税から成る歳入総額を計算する。問題は、歳出総額と歳入総額が一致する保障はなく、景気後退期にはしばしば歳入不足に陥ることである。
この歳入不足は、予算編成の過程で財務省と総務省が協議し、「地方財政対策」として穴埋する。「地方財政対策」は2000年度まで主に地方交付税特別会計からの借り入れで賄われたが、2001年度以降は歳入不足を国と地方で折半し、国による地方交付税交付金の特例加算と地方自治体による臨時財政対策債の起債で賄うようになった。
地方自治体には様々な需要があり、歳出が必要と認められれば、国は財源を保障しなければならない。地方交付税交付金が所得税・法人税などの法定税率分で足りなければ、臨時財政対策債で補てんする。ただ、その起債は地方自治体に「割り当てられる」ものであり、地方自治体の判断で決めるわけではない。つまり、「借りる」意識もない。
地方自治体はその財政を国に依存する仕組みになっており、地方自治体が自ら財源を確保し、地域の実情に応じた公共サービスを提供することを妨げている。これは、国と地方の役割分担が明確ではなく、補助金、税金、交付税が複雑に入り組んでいることも地方自治体の主体性を削いでいる。(図)

地方自治体が実施する事業は多様だが、実施のための財源は混合している。地方交付税交付金をどのように使うかは建前としては地方自治体に裁量があるが、事業の実施には補助金や地方債の起債も必要であり、実質的な裁量は乏しい。特に補助金は国が定めた基準を満たす必要があり、小学校の1学級定員が典型例である。
地方財政については、国と地方の役割分担を明確にし、それに応じた財源を手当てする仕組みを再構築すべきである。ただし、その前提として「地方分権」とは何かを改めて考える必要がある。地方自治体は一般論として地方分権を主張してきたが、本音では国が助けてくれる現在の仕組みの方が良いのではないか。
地方交付税交付金制度は、現在では、地方分権を進めるというより、地方自治体の公共サービスの水準をナショナル・ミニマムとして保障しつつ、地域間の格差を過度に縮小するものであり、結果として地方自治体の国への依存度を高めている。「国土の均衡ある発展」という考え方では、少子高齢化社会に対応できなことは明らかだ。
地方分権とは、地方自治体間の格差を許容することである。地方分権のもとでは、公共サービスの水準は国が決めるのではなく、地方が自ら決めるべきものである。その場合、現在と比較して格差が拡大するのは論理的な帰結だ。もちろん、どの程度の格差を許容するかについては十分な議論と検討が必要になる。
最近、保育園不足から保育園の面積や保育士の数などの設置基準緩和が議論されているが、保育園の設置基準は30年前ならともかく、現在では地方自治体の判断で決めるべきものではないか。「地方分権とは何か」「地方分権を本当に望んでいるのか」――。我々は改めて考える必要がある。
たなか・ひであき 1960年、東京都生まれ。東工大院修了、旧大蔵省(現財務省)へ入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官を経て、明治大学公共政策大学院教授。政策研究大学院大博士。
【1】日本経済新聞朝刊2020年11月5日付
【2】朝日新聞朝刊2020年11月13日付
【3】税収格差は、2013~17年度の平均値を示した。
(写真:AFP/アフロ)
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