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財政

財務次官論文を考える

明治大学教授 田中秀明

2021/11/17

財務次官論文を考える

 財務省の矢野康治事務次官が「財務次官、モノ申す このままでは国家財政は破綻する」と題する論考を月刊文藝春秋に寄稿した。「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、もうじっと黙っているわけにはいかない」という矢野次官の論考には賛否両論の議論がある。

 矢野氏は、国と地方あわせて国内総生産(GDP)の2.2倍にあたる長期債務がありながら、「さらに財政赤字を膨らませる話ばかりが飛び交っている」と指摘。向こう半世紀近く続く少子高齢化を乗り切るため、「平時は黒字にして有事に備える」という歳出・歳入の構造改革が不可欠だと主張する。

 これに対して、矢野氏の論考の反対論者は、①日本経済が低迷する状況での緊縮政策は国民生活を悪化させる②自国通貨建て国債は債務不履行(デフォルト)にならない③増発する国債の元利払いは日本銀行の通貨発行で賄えるーーなどとして、歳出・歳入の改革よりも新型コロナ対策を優先せよと主張する。

 そもそもバブル崩壊後、税収減と景気対策で発行残高が急増していた日本国債のデフォルトリスクを指摘する海外の格付け会社に対して、財務省が「日本国債のデフォルトリスクはない」と主張していたことも反対論者が緊縮政策は不要とする根拠になっている。【1】【2】

 矢野氏の論考に対して、高市早苗自民党政調会長は、「失礼な言い方だ。基礎的財政収支にこだわり、困っている人を助けない。そんなばかげた話はない」と全否定。一方、鈴木俊一財務相は、「政府の方針に基本の部分において反するようなものではない」と肯定的な姿勢を示す。【3】

 財政赤字を巡っては、現代貨幣理論(MMT)の議論もある。MMTの提唱者であるニューヨーク市立大のケルトン教授は、「通貨発行権を持つ国家は債務返済に充てる貨幣を自在に創出できるので財政赤字で破綻しない」「インフレにならない限り財政赤字をどれだけ膨らませても問題ない」と主張する。【4】

 こうした議論は、アメリカの民主党左派の主張を擁護するためのものであり、理論の正しさというより、政治的な思惑があってのものである。連邦政府の歳出を増やしたり、減税を行ったりして財政赤字が膨らんでも問題はないと国民に説明するために考えられている。

 日本でもMMTを信奉する国会議員や専門家は、新型コロナ対策で増発する日本国債を日銀が買い入れてしまえば問題はなく、政府はいくらでも歳出を増やしてよいと主張する。日本国債の発行を増やし、例えば、全国に新幹線を走らせ、列島中の港湾や河川を大規模堤防で固めよと言う。

 先の財務省の反論の通り、日本がただちにデフォルトや危機に陥ることはない。経常収支が黒字であり、金利もゼロに近いからである。財政破綻したギリシャは財政赤字と経常赤字を抱えていたが、日本はそうなっていない。高齢化が進めば、国内貯蓄が低下して、経常赤字になる可能性があるが、日本にはまだ猶予がある。

 ならば、財政赤字の拡大は問題ないのか。筆者は、財政を巡る議論の核心は政府の役割をどうとらえるかにあると考えている。MMTや積極財政を主張する人は、市場は失敗するが、政府は合理的に資源配分できるという暗黙の前提に立つ。しかし、利己的な利害を有する政治家や官僚で構成されている政府はそうではない。

 政治は選挙に勝つために財政出動を求めるのであり、安倍政権の布マスクや幼保の無償化、官民ファンドのように、往々にして無駄な支出、効果の乏しい支出が増えてしまう。【5】 政府の関与が大きくなれば、「政府の失敗」は多くなる。そうした政府に合理的な財政出動は期待できないのである。

 当面、財政破綻の危険がないとはいえ、財政赤字の拡大は代金不要のフリーランチではない。先の衆院選では与野党が競って子供対策の充実を唱えたが、それは「子供の皆さんへのサービスを拡大します。ただし、後で請求書を送ります」と言っているようなものだ。

 矢野氏の論考が絶対的に正しいと言うつもりはないが、新型コロナ対策を巡る財政赤字拡大をどう考えるか、議論を喚起したことは評価できる。もちろん、財政再建や債務削減が最終目的ではない。当面の課題は少子高齢化を乗り切ることであり、財政の役割は大きい。私たちは財政の問題を自分自身の問題として考えなれければならない。

 

 たなか・ひであき 1960年、東京都生まれ。東工大院修了、旧大蔵省(現財務省)へ入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官を経て、明治大学公共政策大学院教授。政策研究大学院大博士。

 

【1】財務省、外国格付け会社宛て意見書への回答に対する5月22日付再質問書(大要)について、2002年5月23日

【2】財務省の格付け会社への反論要旨は以下の通り。①日本国債は現在95%が国内でかつ低金利で消化されている。2001年の一般政府部門の赤字32兆円に対し、民間の貯蓄超過は42兆円。経常黒字はしばらく継続する。資本逃避のリスクも小さく、資金フロー上の制約はない②新興国とは異なり、日本は変動相場制の下で強固な対外バランスがあり、金融政策の自由度は大きい。ハイパー・インフレの懸念はゼロに等しい③債券保有者への負担強制は自国民への実質的課税に他ならない。財政健全化策を疑問視する一方、金融市場を大混乱に陥れる手段が採られると想定するのは非現実的。

【3】日本経済新聞2021年10月13日付

【4】日本経済新聞2019年4月13日付

【5】官民ファンドのように官主体の投資活動は民間の投資活動を阻害する要因になる。政府の役割は法令整備や規制改革など競争環境の整備などであって経済活動のプレーヤーではない。

 

(写真:AFP/アフロ)

 

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