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新井淳一の先を読む

2012年8月13日 TPPは魔法の杖、再論

日本経済研究センター研究顧問 新井淳一
21世紀の終わりには超大国米国の権力が分散するかもしれない。それでも21世紀が米国の創り上げる世界という構図は変わらない
(ロバート・クーパー 国家の崩壊 日本経済新聞出版社)


 環太平洋経済連携協定(TPP)の本質は何か、を考えてみたい。政局混迷でTPP論議は吹っ飛んだ感もあるが、本来、TPPは政局で右往左往すべきものではない。参加できるかどうかで将来の日本の命運ががらりと変わる。「失われた20年」からの脱却を図る日本の唯一の命綱と言っても過言ではない。21世紀が米国の世紀なら、米国と協力して世界経済を支える最も分かりやすい方策でもある。

 TPPは、物品貿易だけでなく、サービス、政府調達、競争政策、投資など様々な分野の包括的な経済協定を目指す。その限りでは、基本は経済の範疇にある。しかし、TPPのねらいがアジア太平洋地域に広範な経済圏をつくるというものだから、当然のことながら、国際政治の上でも巨大イベントとなる。TPPは中国の台頭と覇権国米国の力のかげり、欧州連合(EU)の将来などが絡んで動き出しているのである。日本の論議にそれへの配慮が欠けている。

 TPPは2006年に発効したニュージーランド、チリ、シンガポール、ブルネイのP4といわれる経済連携協定がベースだ。P4で留まっている限りは国際政治的なインパクトは大きくない。これに米国が参加を表明し性格ががらりと変わった。現在、交渉参加国は豪州、ペルー、マレーシア、ベトナムが加わり9カ国。秋にはカナダとメキシコの交渉参加が決まった。P4からP11へ。単なる広域経済圏ではない21世紀の国際政治のカギを握る国家連合の色彩も出てきたのである。

 米国にとってのTPP。一口でいえば、台頭するアジア経済を取り込んで自国経済の再活性化につなげようというものだ。国際通貨基金(IMF)の試算によると、2011年から15年の世界経済の成長の7割が新興諸国によるものだが、その6割以上がアジアの国によって生まれる。中国だけの成長が目立ったアジアからインドや東南アジア諸国連合(ASEAN)を含むアジア全体に成長の種が育ってきたということであろう。米国はTPPを自ら主導することでこの果実を取り入れ可能と見たのである。たまたま米国ではシェールガスの採算好転で長期的なエネルギー不安がなくなりつつある。企業の国内回帰も目立っている。21世紀が米国の世紀であるなら、米国経済のダイナミズムの復活はどうしても必要。TPPは米国にとって挑戦すべきチャンスなのである。

 地政学的には中国へのけん制という意味合いがある。かつてのブロック的な保護圏とは違って、TPPが中国の参加を拒否することはありえないが、実際問題、近い将来、中国のTPP参加が可能となることはないと見てよい。TPPそのものがこれまでの自由貿易協定などに比べて一段と自由化のレベルが高い。国家主導の色が強い中国は簡単に参加できそうもないのである。仮に中国が将来、TPP参加を言い出すときは参加のルールは既に決定済み。米国の意向を事前に組み入れたこのルールでどうですか、と提案する。そんなねらいも今、垣間見える。

 21世紀の始めの50年の世界は、ハーバード大学のファーガソン教授によると、「チャイメリカ」の時代だという。米国の成長と債務は中国の貯蓄によってファイナンスされ中国製品は米国に輸出される。この奇妙なカップルが世界を牛耳るというのだが、実はこのカップル、双方とも互いの足を引っ張り合う面もある。中国が事実上参加できないTPPで中国以外のアジアの成長を取りこむことを米国が考えていても何も不思議はない。

国をつくるのに40年、国を滅ぼすのに40年、語呂合わせのようですが、明治以降の日本はそういう結果を生んだのです
(半藤一利 昭和史 平凡社)


 では、日本にとってのTPPとは。残念ながら日本の交渉入りがいつになるか、明確ではない。9月にもという見方もあるが、大方はもっと先、解散、総選挙の後というものだ。11カ国によるTPPの拡大交渉は米国で9月初旬に開かれる。そこで何かが決まれば、既成事実となり、日本は交渉の余地が狭まり不利になるが、遅れてでも日本は参加交渉に入ったほうがよいことは確かだろう。

 むろん、日本にはTPPに参加しないという選択もある。参加しなくても、日中韓の自由貿易協定(FTA)交渉もあるし、EU、湾岸協力会議諸国、カナダなどとは交渉開始で意見が一致している。加えて豪州、韓国とは既に交渉中。ASEAN、インド、メキシコ、チリ、ペルーとのFTAは発効済みである。TPPへ参加しなくてもよいではないか、との意見があることも事実である。しかし、いま日本が結んだり結ぼうとしているFTAとTPPは明らかに質のちがうものだ。それぞれの国の開放の度合いと広範さではTPPのほうが一段も二段も上だ。サッカーに例えれば、FTAはJ2だが、TPPは明らかにJ1チーム。結果として広域貿易圏による日本経済の活性化にも違いが出る。

 結局、日本の選択は、TPPにかける米国のねらいを是としたうえで、米国と同じようにアジアのダイナミズムを活用するのがベストなのである。むろん、個別のFTA交渉はそれなりに重要。TPP交渉と平行して進める必要があるが、ポイントはTPPだということなのだ。背景には、日中韓FTAが日本抜きでスタートとなったように、日本のFTA交渉自体が進んでいないという客観的事実がある。FTAでさえ進まないのにTPPとは、と弱気になる必要はない。明治の開国も昭和の敗戦後の選択も、考えてみれば、従来路線からの離脱を前提にしていた。それが国創りを成功させた魔法の杖となった。この際、日本はTPPに入ってグループの持つ潜在成長力を日本自身の再活性化につなげる以外の選択はない、と思うのだが、どうだろうか。

 キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹によると、企業の生産性はこれまで輸出を行っていなかったところが輸出を始めると2%、国内にだけ拠点を持っていた企業が対外直接投資を行うと3%、海外で研究開発を始めると3%、それぞれ上昇するという。企業が貿易・投資で国際化すれば海外の技術や活力を取り込み経済成長に必要なイノベーションを活性化できるからというのだ。これこそTPPの最大のご利益であろう。貿易立国といいながらも実は日本のGDP(国内総生産)に占める輸出の比率は16%と極めて低い。TPPを通じて日本は真の貿易立国が可能になるのである。

 「つくるのに40年、つぶすのに40年」という半藤さんの指摘。明治維新のきっかけとなった開国勅許の1865年から国を創り始めて、完成は日露戦争の1905年。その国を1945年の敗戦で滅ぼしてしまう。次の国創りの始まりは1952年の平和条約調印。それから世界に冠たる経済大国を築きあげ、1992年のバブル崩壊で元の木阿弥に。このジンクスが生きているならいまは40年かかる新しい国創りのちょうど中間地点ということになる。失われた20年もそうならないための貴重な実験期間と前向きに解釈可能となる。ジンクスが当たるかどうか確信があるわけではないが、TPPに真正面から飛び込まないと新しい国は誕生しないことは確かであろう。

 これまで日本はあらゆる産業を国内に抱える「デパート国家」であった。これからは人口減少もあってそんな余裕はない。強い産業、強い企業だけを残し、弱い部分はアジアを中心とした他国との共存に期待する「専門店国家」になる必要がある。TPPは「専門店国家」に達する魔法の杖である。ざっとこんなこと昨年正月のこのコラム(バックナンバーでは2010年12月27日「TPPは魔法の杖」)で書いた。以来、1年半、TPP論議は遅々として進まないが、TPPが国内に残る産業、海外に譲る産業を峻別する格好の物差しになることは確かだ。中国の台頭、米国の再生、EUの統合深化が21世紀の予想される姿なら日本の未来像はTPPの中の効率のよい「専門店国家」ということになる。いやそうなって欲しい。

(2012年8月13日)

(日本経済研究センター研究顧問)

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