トップ » 新井淳一の先を読む

新井淳一の先を読む

2012年9月13日 ただいま執行猶予中

日本経済研究センター研究顧問 新井淳一
第1の悪は借金を作ること、第2の悪は嘘をつくこと。嘘は借金の上に馬乗りになってくる
(ベンジャミン・フランクリン)


 10月でリーマン・ショック発生から1500日目を迎える。世界経済は緩やかながら回復の方向にあるが、この未曾有の経済危機の前と後で、何が変わって何が変わらなかったか。1500という日数に特段の意味はないが、世界経済と日本のありかたをこの時点で、総括して見るのも必要だろう。

 顕著に変わったのは、国家財政を取り巻く状況だ。グローバル化した市場が市場の観点からいくつかの国の国家財政に注文を付け始めた。財政規律の緩みが目立つ特定国の国債を市場で売り浴びせて、国家機能を麻痺させるケースも出てきた。表面化したのはギリシャやスペインなど一部の南欧諸国だが、当然のことながら、この雰囲気は世界に広がる。米国やドイツ、日本のいわゆる「安全な国」を含め、今後は世界中で「市場と国家の戦い」が始まると見てよい。国家が市場からその機能の継続に不信を持たれ、試される時代なのである。リーマン・ショックから1500日の世界経済の変化を一言で集約すれば、これに尽きるのではないか。

 むろん、これは悪いことではない。できもしないことが分かっていながら、選挙の度に公約を膨らませ財政赤字を増大させるのが、ポピュリズムにどっぷりつかった各国政府の実情だ。市場が財政規律の監視役を買って出てくれるのはありがたいこととも言える。冒頭のフランクリンの言葉は建国当時の米国人の生活の処方箋となったが、国の生き方にもつながる。第1の悪は国家が返す当てもなく借金を作ること、第2の悪は政治家が無理と分りながらも選挙で嘘をつくこと。無理な公約が借金の上に馬乗りになって財政赤字を拡大している。市場に頑張ってもらって当然なのである。

 しかし、問題はそのバランスである。国家が市場の警告に素直に従って財政規律回復の方策をとってくれればそれにこしたことはないが、国家は往々にして都合の悪い警告を無視する。そのバランスが崩れたとき、「市場と国家の戦い」は最悪になる。金融市場は緊張して当該国は資金調達が不可能になり、世界経済にも激震が走る。

 では「市場と国家の戦い」で監視役を果たす市場の良い面を引き出しながら、世界全体の景気を浮揚させるには、どうしたらよいか。まずは国家が先に変わる必要がある。国家もこれまでのような安易なやりかたではダメだ。グローバル化の進展によって国の資金調達もかつてのように自国市場だけでは済まなくなっている。財政規律に問題のある国は市場の判断でグローバル経済の付き合いから弾き飛ばされてしまう。国家といえども市場と真っ向から対立して勝てる保証はない。その認識をきちんと固めて政策に反映する必要がある。スウェーデンが2007年に設けた財政諮問会議や英国が2010年に設置した予算責任局のような独立した公的監視役を導入することも必要だろう。

 国家が変わると同時に、「市場と国家の戦い」の時代には国家間の助け合いと国際通貨基金(IMF)など国際機関の協力が欠かせない。リーマン・ショックの教訓の一つはグローバル化が進んだ今日の世界経済は、どんなに小さな国の小さな出来事であっても、世界全体を揺るがすということだ。1990年代前半の北欧諸国の通貨危機と後半のアジア通貨危機。この二つの危機はそれなりの大きさだったが、世界を揺すぶったわけではない。ところがいま、小国ギリシャがユーロを離脱したら世界経済はどうなるか。わずか10数年の間に世界経済の質が変わってしまったのである。

 個別の国が独自で政策を決められる範囲が実際には極めて狭くなっているということでもある。「市場と国家の戦い」を前提にすればギリシャの問題は当然ながらドイツやフランスの問題であり欧州連合(EU)全体の最大関心事でもある。日本の問題でもあり、米国の問題といってもよい。EUはギリシャやスペインをユーロの枠から外せないし、欧州共同債の発行や将来へ向けての財政統合は避けて通れない。

日本の経験から分るのは、非常時には制度を大転換できる可能性が高いということだ。国民に危機意識が共有されていなければ制度転換はできない
(戸堂康之 日本経済の底力 中公新書)


 日本経済にとっての1500日とは何か。日本経済は現象的には、ショック当初の激震の後は緩やかに回復し、この1年ぐらいは回復が持続、国債市場も「奇妙な安定」続いている。東日本大震災という激震があったが国の主権への信頼感は他国に比べ高いものがある。国債発行残高が国内総生産(GDP)の200%を越すという世界に類のない高さにありながら、国債購入の9割までが日本人という、これまた類のない高さの「忠誠心」で、日本はこの間、世界から国債を買われ続けた。とりあえずは安心ということで、世界の資金の避難先となったのだが、GDPに占める国債残高の高さを考慮すると、これは「奇妙」というしかない。

 金融機関も「気がつけば優等生」である。欧米の有力金融機関の格付けが軒並み低下する中で日本のメガバンクは従来の格付けを堅持して、財務面で優位となった。思わぬ敵失といった側面があるが、邦銀にとって欧米の金融機関と比べた財務優位は、1990年代、大量の不良債権を抱えて市場から上乗せ金利を余儀なくされたとき以来の悲願であった。それを勝ち取ったのだから、喜ぶべきことではある。経済成長のスピードも「ただいま」という条件付ながら、低迷する米国や欧州を尻目に先進国ではトップクラス。大震災からの復興回復という要因も加わってのことだが、基本は市場が日本には南欧のようなソブリン(主権)危機がいまはないと見ているからだ。

 しかし、日本が本格的な「市場と国家の戦い」に巻き込まれるのが、そう遠くないことも事実だろう。早ければ3年、遅くても7年というところか。仮に日本の財政がいまのままの体たらくなら、必ず市場からの警鐘が鳴らされる。たとえば、現在、市場が標的としている南欧諸国の諸懸案に解決の方向が出てきたとする。そうなると、今度、市場が槍玉にあげるのは、債務残高が異常に高い日本ということも十分、ありうる。少子高齢化で日本の国内貯蓄は確実に減っていく。経常収支の黒字も次第に先細りである。国内消化の原資がなくなってくる。国内でほとんど購入という、これまた世界であまり例のない「幸せの小槌」が消滅するのが3年から7年先だということなのである。

 言い方が不穏当というならお詫びするが、それまでは執行猶予中といった感覚が日本は必要なのではないか。市場が日本国債に警告を出すXデーまでに何ができるか、しなければいけないかということなのである。

 一つは成長を阻む壁となっている古い制度や仕組みを変えることだ。まず財政赤字膨張に最大の責任がある社会保障の改革だ。過剰な給付を身の丈に合わせる工夫が必要だ。次いで環太平洋経済連携協定(TPP)にできるだけ早く参加を決定し、産業構造の抜本改革を進める。農業だって収益性の高い産業に生まれ変われる。掛け声は大きいが一向に進まない内需型経済への移行も重要だ。各国が財政規律にこだわるため、これから先の世界経済は、どちらかといえば低成長局面が続く。日本経済にとっても輸出を頼りに成長を重ねる、長年、慣れ親しんだやり方を踏襲できない。日本自身が自力で内需を切り開き、成長の可能性を高める以外、手はない。当然、そのための規制の撤廃や緩和が必要になる。

 民が主役なのである。野田内閣は先ごろ「日本再生計画」を策定した。環境・エネルギー、医療・健康、農林・水産、観光、貿易、特区制度など11の戦略分野で450の政策を取り上げ、目標数値を公表した。それ自体、決して悪くはないが、要はそこに至る道筋がはっきりしないのである。「市場と国家の戦い」の時代である。財政拡大で可能になる分野は限られている。過剰な支出と過剰な規制、この二つにどこまでメスを入れられるかが、ポイントなのだ。国家が市場を庇護する時代は終わり、いまは市場が国家を監視する時代だ。政府自らが戸堂さんのいう「非常時」という思いを持たないと日本経済は市場から敗者の宣告を受け立ち往生する。リーマン・ショックからの1500日、日本はたまたま「安定」していたに過ぎない。それもユーロの敵失によってである。

(2012年9月13日)

(日本経済研究センター研究顧問)

△このページのトップへ