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新井淳一の先を読む

2012年11月15日 「外交不況」を防ぐには

日本経済研究センター研究顧問 新井淳一
大きな鞭を持っているときに穏やかに話すのが賢明だ
(セオドア・ルーズベルト元米国大統領)


 外交という観点から「分かりやすい国家」というものを考えてみたい。当の国民にとっても周辺の国々にとっても、その国がいま何を考え、何を目指そうとしているか、がよく見える国という意味である。背景には、混迷の20年で日本という国家がどちらの方向に進んでいるのか、国民に見えなくなっているという事実がある。国民に分からないのだから外国から理解されるはずがない。尖閣問題を巡る中国との緊張の高まりにも日本という国の軸のぶれが多分に影響しているのではないか、と思う。

 この間、民主党政権の下で日本の外交は方向感を喪失した。沖縄問題で鳩山政権がしくじり米国とのパイプが切れそうになったが、今度は野田政権による尖閣国有化で中国と間に大きな亀裂が入った。大切なふたつの国の信頼を同時に失った結果、日本丸という国家は羅針盤をなくした船のようだ。尖閣問題をきっかけにした中国向け輸出の大幅減で日本の景気は一転、後退局面に入ろうとしている。金融緩和や補正予算でそれを阻止しようというのが、政府の方針だが、それだけでよいのか。当面の日本経済を外交の失敗に端を発する「外交不況」と見れば、日本という国家の軸が内外からはっきり見えるようにならないと、日本の景気の本格回復はないと見るべきであろう。

 近く予想される総選挙で誰が政権をとるにしても最初にやるべきことは日米同盟の再確認ではないか。それには普天間基地の問題についてハラを決め明確な方針を出す必要がある。中国の対日批判は短期間でやむようなものではない。高まる国家意識、コトあるたびに噴火する活火山と割り切って対処する必要がある。米国との信頼関係の欠如。これを中国がチャンスと見て日本へ攻勢を掛けているなら、諸々の経済対策と平行して日米の絆の復活を急がなければならない。国際会議のたびに中国に対し、声高に自国の主張を展開するだけでは、事態は改善しない。

 戦後日本には米国との間に安保条約を軸とした太い絆があった。ときには安保を巡り愛憎半ばする局面もあったが、日米の信頼関係は基本的に強固で、それが日本が国際社会で生きる場合の力となった。100年前にルーズベルト氏が喝破した国家にとっての「大きな鞭」である。安保条約はいまでも有効だがここ数年、日米双方の国民の気持ちが離れがちなのである。そこを中国が突いてきたというなら、中国のねらいはきわめて分かりやすい。再確認したからといって尖閣問題が解決するわけではないが、中国が「大きな鞭」の存在を意識するようになれば、日本には「穏やかに話す」余裕が出てくる。中国も穏やかさの背後にある強い力を無視はできない。

 今後、10〜20年の間は、アジアの新興国経済は世界の中で急速に比重を高めるはずだ。しかし、同時に海洋資源などを巡る国境問題が続出するのもこの地域なのである。予想される紛争という意味では、世界で一番問題を抱えているのがアジアでもある。中国の台頭は確かであってもこの地域に中国中心の秩序ができるわけではない。アジアの国は中国との間合いを計りながら生きていく。そのためには日本と米国の絆に綻びがないことが条件なのである。

 政治のプロの間では、「大切なのは1に地元、2に国内、3、4がなくて次が外交」といわれる。今回の米大統領選でオバマ大統領より民主党政権の勝利に貢献したといわれるのが民主党元大統領ビル・クリントン氏だ。選挙戦の終盤、声を枯らして各地を飛び回る姿がテレビに映っていた。そのクリントン氏が1990年代、自身の再選の選挙戦で「大事なのは経済なんだ。わかるかい」というスローガンを使って勝利したことがある。あらゆる国がそうであるように、政治の優先順序はまず地元、外交は最後にということである。多分、いまの日本も優先度は同じなのであろう。

 だが、日本にとって本当にそれでよいのか。外交の回復が先で国内の経済や地元の発展はその後という、政治のプロが絶対薦めないやりかたはないのだろうか。中国との実りのない抗争が長期化する中で、日本がいまのように国の位置付けが不安定では、肝心の経済が本格回復するはずがない。企業の海外脱出は急テンポで進むし、株価も上がらない。「外交不況」という言い方に不満の向きもあろうが、外交の失敗が経済の足を引っ張っていることは誰の目にも明らかである。戦後日本が経験していない初の事態なのである。急がば回れ。今回は国際社会での日本の姿を「分かりやすく」するのが、経済を立て直す早道なのである。

良い危機を無駄にしてはならない
(オバマ大統領の首席補佐官ラーム・エマニュエル氏)


 TPP(環太平洋経済連携協定)に日本が参加する問題もこうした外交上の脈絡の中で見たほうが分かりやすくなる。TPPは関税だけでなく政府調達、投資規制、サービスなど障壁を低くして経済発展を促進しようというもの。基本的には経済交渉である。しかし、TPP推進の中心が米国であるということは、そこに参加する、しないの選択が、国際政治上の重い意味を持つ。

 恐らく後世の歴史家は21世紀の初頭を多国間主義の凋落と地域主義の台頭の時代と位置つけるはずである。世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)の破綻とそれを境に一気に高まった地域間EPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)交渉がそれをものがたっている。TPPはそのなかで米国が推進する21世紀型モデルなのである。

 「日本のTPP参加は日米共通の利益だ」(米CSIS政治経済部長マシュー・グッドマン氏)、「日本の参加はTPPの経済的、戦略的価値を著しく高める」(ホワイトハウス元高官ダニエル・プライス氏)。野田首相はTPP参加を総選挙の争点とするという。それ自体、大歓迎だが、これまでの日本の方針は一言でいえば逡巡だった。にもかかわらず、米国は一貫して日本に参加を求めてきた。日本が参加すれば、それだけで米国と合わせて世界のGDPの3分の1超の経済圏に達し、規模の経済が実現するということもあるだろうが、そればかりではない。日米の絆の強化で東アジアの安全保障上の安定につなげたいという米国のねらいも浮き彫りになっているのである。

 むろん、TPPの問題も総選挙の結果次第だから、いまの時点では日本の参加が実現するかどうかは、皆目、見当がつかない。選挙後に第一党が予想される自民党は参加に及び腰だ。しかし、日中双方の最高指導者が国際会議で出会っても意識的に顔を背けること自体、両国の関係が危機にあることは間違いない。追い込まれた日本の危機対応の流れの中で、揺らぎが目立った米国との関係が修復に動き、TPPの参加が真剣に検討されるなら、文字通り、禍が福となる。エマニュエル氏のいう「良い危機を無駄にしない」ケースにつながる。

 英国人は「マドリング・スルー」という言葉を好む。直訳すれば「泥のなかを通り抜ける」ということだ。一見、「その場しのぎ」のようだが、実際にはその反対だ。見通しのきかない局面で積極的に当面の問題に立ち向かい、結果よりもそのプロセスを大事にするジョンブル魂だ。リスクには分かりやすい対処方針を立て、迂遠に見えてもひるまず進む。日中を解決するには日米の絆と、根本がつながっていると思うがどうだろうか。

(2012年11月15日)

(日本経済研究センター研究顧問)

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