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新井淳一の先を読む

2013年2月25日 アベノミクスとクルーグマン教授

日本経済研究センター研究顧問 新井淳一
何もしない人が必ず言い出す常套句がある。われわれは短期にこだわらず長期を見据えるべきだと。何よりこれは知的な逃亡であり、現在の不況を理解する責任の放棄となる
(ポール・クルーグマン さっさと不況を終わらせろ 早川書房)


 ノーベル経済学賞受賞者でプリンストン大学のポール・クルーグマン教授は、ニューヨーク・タイムズ紙の辛口コラムニストとしても知られる。そのクルーグマン教授が最近の安倍政権の経済政策であるアベノミクスを、日ごろの毒舌とは違って絶賛しているらしい。週刊誌のインタビューでも「これこそ日本がデフレから脱却するために必要な処方箋」と高い評価を与えている。

 これまでこの毒舌氏に褒められたことがなかった日本が、今回、高く評価されたことは、それ自体、決して悪いことではないが、この評価、どこかにかけ違いが起きているのではないかという気もする。こんな話を手がかりに、アベノミクスの可能性と危険性を考えてみたい。

 教授の近著「さっさと不況を終わらせろ」で見る限り、彼の主張は明快だ。大胆な金融緩和と財政の拡大である。基本的にはケインズ型の拡張政策を短期に集中することで不況から脱出しようというものだ。増税や政府支出の削減などの緊縮策は問題外。加えてこの刺激策を1度でだめなら2度、2度でも効かなければ3度目と、目標に到達するまでやり続けるというのである。

 クルーグマン教授がアベノミクスを評価する最大のポイントは日銀が金融政策運営の目標に2%の物価上昇率を掲げたことだ。これによって、いま日本では、予想外の速さで円安、株高が進んでいる。しかし、教授の持論は「金融だけでは不況からの脱出は望めない。規模はどかんと予想外に大きい財政も」である。アベノミクスでは緊急対策で公共事業の積み増しで10兆円を超える財政出動をきめたが、この程度では「どかんと予想外」を主張する教授が満足するはずはない。

 どこかにかけ違いがあるのではないか、と述べたのは、このことなのである。クルーグマン教授が安倍政権の登場で古い自民党の体質が復活、財政拡大がこれからも続くと見て、アベノミクスを評価したのなら、理屈の上ではつじつまが合う。しかし、GDP(国内総生産)の2.5倍の政府債務を背負う日本が、教授の提唱するように増税はとりやめ拡張財政を続けることは、まず不可能だろう。

 特定の国の財政金融政策に不安が生じるとその国の国債を売り込んで借り入れコストを押し上げる投資家たち。これを「国債自警団」と呼んだのは、1980年代のエコノミスト、エド・ヤーデニ氏だが、日本の本格的な財政拡大は即座にヤーデニの亡霊を呼び込むことになりかねない。クルーグマン教授が持説に基づいてアベノミクスを評価しているなら、日本の財政の力に過剰な期待を掛けていることになる。冒頭に引用した教授の言葉に逆らって恐縮だが、今の日本は短期だけを見て行動するのが一番危険なのである。長期も見据えて短期もというのが妥当なところではないか。

株価の場合、現在が未来を決めるのではなく、未来が現在を決めるのだ
(国際投資家ジョージ・ソロス氏)


 安倍政権の発足以来、いや正確に言えば、野田前首相が解散を宣言した昨年11月以来、円安・株高の流れが続いている。この流れを継続させるとしたら何が重要か。一言でいえば、クルーグマン教授が言っていないこと、つまり、構造改革と規制緩和である。このふたつがこれからのアベノミクスの柱になることを国民の意識に浸透させることだ。それも円安と株高の空気が変わらないうちに。時間の縛りはこれから数カ月、甘く見ても年内ということであろう。

 こんな例がある。米国では新大統領の登場から100日をハネムーンと呼び、あえて辛口批評は避ける。日本でも新政権の誕生がその種の空気を生み出す例が多い。新政策への期待から、空気の産物である株価の上昇も珍しくない。だが、問題はそれが長続きするかなのである。

 1998年、自民党の小渕内閣が発足した。アジア通貨危機など金融不況の中だった。首相自ら「借金王」と名乗り、新規国債を増発、財政拡大で、急場を切り抜けようとした。他方、2001年の小泉内閣。IT不況の只中だ。「自民党をぶっ壊せ」を旗印に抵抗勢力を想定、構造改革を進めた。株価や景気に見る通信簿は、財政依存の小渕政策は当初は株価が上がったが長続きせず、構造改革の小泉政権は7年のロングラン景気上昇につながった。小泉政権の場合は、その間、米国のドル高政策による円安の継続というつきがあったことも事実。しかし、結果としてのこのふたつの違いは、アベノミクスの今後を考える場合、重要な視点となるはずだ。クルーグマン教授の勧める全てをやってはいけない。逆に教授の勧めないことをするとでも言おうか。構造政策である。

 アベノミクスが展開する必要がある構造政策の1丁目1番地は、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加だ。幸い先の日米首脳会談を踏まえて安倍首相は近く交渉参加を表明するという。うれしいことだ。TPPは米国と組んで発展するアジア経済に入り込む最良の手段である。農業、医療、自動車など解決を要する問題はあるが、日本という国の成り立ちが市場開放の徹底にあることは事実だけに、ぜひ参加まで持っていってほしい。

 1丁目2番地は、雇用を巡る規制緩和だ。民主党政権が雇用については規制強化を目指していた。それだけに、この分野の規制を緩めることは政権交代のシンボルにもなる。特に保育をテーマにした規制緩和は女性の労働力活用のためには欠かせない。少子高齢化のなかで、足りない労働力を補う可能性があるのは女性の活用だけだ。

 1丁目3番地がエネルギーの安定だ。原発問題に明確な指針を出す一方、米国やカナダの価格の安いシェールガスの活用への布石を打つ必要がある。日本のエネルギー政策の根本はこれまで安定確保であった。それ自体、今後、重要性が落ちるものではないが、シェールガスの登場によって大々的な価格革命が予想されるものならば、いち早く手を打つべきだろう。エネルギーに不安があると企業は日本に投資できない。安定確保プラス低コストを目指して対策を打たねばならない。

 ソロス氏のいうように「株価は未来が決める」ものである。予想される未来の企業のファンダメンタルズが良くなれば株価は上がるが、残念ながら、現時点ではそれは推論の範疇になる。推論のファンダメンタルズを向上させるには、人々に未来は現在より良くなることを確信させねばならない。そのための構造政策である。株価が上向き始めたいまがチャンスなのである。アベノミクスの順番は@金融緩和A財政支出B成長戦略、といわれる。@からBの順番に意味が込められているのなら、私には@が成長戦略であってほしい気がする。

(2013年2月25日)

(日本経済研究センター研究顧問)

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