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新井淳一の先を読む

2014年3月20日 TPPはどうなるのか

日本経済研究センター研究顧問 新井淳一
人は何かを失えば何かを得られる。多くのものを両手でかかえて生まれ育ったものはそれらを落とさぬようにするだけで、あらたなものを得ることはできない
(宮城谷昌光 草原の風 中央公論新社)


 10年という歳月を従来通りのやり方で過ごす人と目標を定めて努力する人。結果は運もあるからさほど違わない場合もあるが、人間の中味という点では、明らかに違いが出る。見た目では分からない部分をどう評価するか、なのである。今回のテーマは日米の対立で暗礁に乗り上げているTPP(環太平洋経済連携協定)。いささか迂遠な書き出しで恐縮だが、実は宮城谷さんの「何かを失えば何かを得られる」という言葉に接して、人間の生き方も経済の立て直しも基本的に同じなのだと思ったのである。

 先ごろ発表の当センターの中期予測に私にとって特に興味のある分析があった。若手研究陣の舘祐太さんと高野哲彰さんの手によるものだ。それによると、いまからほぼ10年先の2025年の日本経済に占める農林水産業の生産高と従業者数は、TPPに加盟して関税ゼロを受け入れた場合でもTPP参加を見送った場合でも、そう変わらないというのだ。

 具体的数値を言うと、農林水産業の名目国内生産高は2015年の12兆2000億円から2025年は8兆4000億円に30%、従業者数は同期間394万2000人から241万6000人へ39%それぞれ減少する。これにはTPP加盟効果は入ってない。しかし、TPPに加盟し2015年から関税をゼロにしたとしてもこの数値はほぼ同じなのである。

 それなら何も国内政治的に抵抗が多いTPP参加を見送ったらどうか、という声も出てきそうだが、ちょっと待ってほしい。実はこういうことなのだ。

 当然のことながら、農林水産業は後継者難などからいま衰退の道をたどっている。これはTPPに入らなくても同じで、従業者数も生産高もこれまで以上のスピードで減っていく可能性が強い。TPPに加入すれば競争力のある各国製品との戦いだから農林水産業の日本経済に占めるシェアはより一段と下落幅を大きくするはず。それが加入のいかんにかかわらず同じというのは理屈に合わないとの意見もあろうが、TPP加入と不加入の違いは前者が農の大規模化、機械化、輸出産業化など効率的な農林水産業を想定しているに対し、後者はほぼだらだらと後退が続くと見ているからだ。

 たしかにTPP参加で宮城谷さんの言う「何か」は確実に失われる。しかし、失われた後に「得られるもの」がある。「多くのものを両手にかかえて落とさぬようにする」のがTPP不参加としたら、「何かを失う」ことによって全体利益を高めるのがTPP参加ではないか。全体利益の中には国際競争力で比較優位の自動車や電子部品などの利益が最も大きくなるが、比較劣位の農林水産業でも生産性向上という利益が出てくるのである。

 むろん、全ては仮定の話である。今回の「TPP協定参加の影響分析」は、日本にとっての重要5品目の関税も含めて即時関税ゼロにした場合の試算である。これまでの日米交渉などを見ても、現実にはありえない想定だ。実際のTPPでは10年程度の猶予期間を置いての関税ゼロの品目がいくつか残るはずだ。しかし、手をこまねいていても、肝心の担い手が絶対的に足りないのだから、猶予期間があろうがなかろうが、先行きの姿は目に見えているということなのであろう。

窮スレバ即チ変ジ 変ズレバ即チ通ズ(易経)

 「何かを失えば何かを得られる」。正確に言うなら「何かを失わないと何も得られない」ということだろうが、実は日本経済の歴史にはこれに当てはまる例がふんだんにある。

 たとえば、1971年10月に政府間協定で決着した日米繊維交渉。当時のニクソン政権の選挙公約に沖縄返還も絡み複雑な政治的展開をしながらも日本からの輸出を抑えることで合意した。日本側の主張は一貫してガット(関税および貿易に関する一般協定)による「被害なきところに規制なし」だった。米国側にも「安価な輸入品は低所得者の必需品購入を助けている」(ジョンソン大統領任命の関税委員会報告)という意見もあったが、最終的には「糸を売って縄を買う」結果となった。日本の経済界にとっては割り切れない決着となったのである。

 しかし、仮にこの交渉が日本側の主張通り、「被害なきところに規制なし」で終わったら、どうだっただろうか。歴史的事実としては、日本の繊維業界は、この政府間協定を境に単純な合化繊から高度素材開発へ大転換を果たした。飛行機や高度加工製品に使われる炭素繊維など高品質素材が製品化され、80年代にかけて日本産業の高度化が進んだ。素材革命である。この分野はいまでも日本企業が比較優位を保ち、日本の国際競争力を支えている。当時、日本の主張が通ったらたしかに主力製品であったナイロン、ビニロンなどの化合繊の輸出は続いたかもしれない。だが、10年、20年というタームで見た場合、どちらが良かったか。比べるまでもないのではないか。「失うもの」があって初めて「得るもの」がある。「得る」方が大きかったことは確かだろう。

 1973年と78年の2度にわたる石油ショック。これも「失うもの」より「得るもの」も多かった局面だろう。狂乱物価と言われ、トイレット・ペーパーや洗剤の買いだめが起きた。ネオンサインの早期消灯、デパートのエスカレーター運転停止や最終列車の発車繰り上げ、テレビの深夜放送の中止など、国民の目に見える生活上の被害も多かった。選抜高校野球の表彰式では、ヘンデル作曲の演奏曲「見よ、勇者は帰る」がアラブと敵対するユダヤ戦士を称える曲だとして、変更になることもあった。石油代金の急騰による国民所得の海外流失の大きさやそれがきっかけとなったマイナス成長など、激動の70年代は日本経済にとって重荷を背負った10年であったといえよう。

 しかし、この重荷が次の80年代を作るきっかけとなったのである。軽薄短小がキャッチフレーズになり、省資源・省エネルギーの風潮が広まった。省エネ製品開発も進み、小型の電気・電子製品が世界を闊歩、部品業界も生き返った。肝心の石油の輸入量は第1次石油危機の直前の1973年の2億8900万リットルが79年には2億7700万リットルと減り、その傾向は80年代に引き継がれ、85年は1億9700万リットルまで減少した。省資源の国、日本の完成なのである。

 ではここでひとつ推理してみよう。石油危機のポイントは原油価格が、73年と78年の2度にわたって突然、一気に大幅に引き上げられたことだ。推理とは、一気・大幅ではなく、70年代を通じ原油の値段が毎年数パーセント上昇する「なだらか値上げ」だったら、日本経済はどんな道を歩んでいたか、ということである。

 恐らく省エネ向上は、歴史の示すようには進んでいないと思う。「失うもの」がはっきり見えないからである。今年は値段が上がったが来年はどうなるか分からないという環境下では、企業は本格投資を決断できない。石油の値段が誰もが想像していなかったほどの高さに一気に上がったから、企業が本気で省エネに力を入れたというのが本当のところだろう。「窮スレバ即チ変ジ 変ズレバ即チ通ジ」。中国古来の教えの通りである。

 さて、本筋に戻ろう。TPP交渉は2月のシンガポールでの関係国閣僚会議でも関税を巡る日米の対立が解けず、交渉自体が暗礁に乗り上げた形になっている。4月のオバマ米大統領の訪日がひとつのメドだが、日本の農産物と米国の自動車関税がネックとなって出口が見えないのも事実だ。新興国と米国の間では新興国の国有企業の扱いについて米国が譲歩するなど進展もみられるが、GDP大国の日米が対立したままでは、交渉全体の身動きがとれないのも、分からないでもない。

 しかし、これまた歴史上のことで恐縮だが、日米間のこの種の交渉ごとは例外なく最後までもめることが多い。決まる直前までは真暗闇で先が見えないことが普通なのである。妥協成立、決まりはいつも突然、なのだ。

 たとえば、日米繊維交渉。決着は1971年11月だが、その2カ月前の9月の日米貿易経済合同委員会での田中通産相とコナリー財務長官の話し合いでは、双方、原則を一歩も譲らなかった。その後、米国が敵対通商法の発動による一方的輸入制限の構えを見せ、日本側もいまが潮時と判断した経緯がある。

 同じ年のニクソンショック。日本にとっては1ドル=360円時代への決別である。この交渉も先が見えず、長い暗闇が続いた。結果、円は1ドル=360円から308円へ16.888%の切り上げである。一方的な輸入課徴金をバックに切り上げを迫る米国は20%を上回る切り上げを強く主張し、日本との主張の違いは大きかった。最終的には年末の多国間協議の中のコナリー財務長官と水田蔵相のサシの会談で米側が折れ、308円が決まった。このときも直前まで文字通り、お先真っ暗だったのである。

 いまの段階でTPP交渉の先が見えないことは事実である。だが、先が見えないことが交渉の破綻を意味するものでないことは、歴史が証明している。だから今回もまた妥協が成立すると言い切る自信は毛頭ないが、それぞれの国内の政治的事情から言えば、TPPが日本にとっても米国にとっても、成立のマイナスより破綻のマイナスの方が明らかに大きいことはたしかである。今年のどこかで妥協が成立、TPPも発足する公算が大きいと見るべきだ、というのが、たまたま日経新聞の記者時代、この2つの難交渉を取材していた筆者の経験則から来た結論なのだが、どうだろうか。難しいのは日本にとっても米国にとっても全体利益は向上するが、不利益をこうむる少数の人々の処遇である。民主主義が試されているといっても過言ではない。

(2014年3月20日)


(日本経済研究センター研究顧問)

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