深尾光洋の金融経済を読み解く
2010年8月2日 デフレ脱却手段のない成長戦略
「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」の実現を公約し、消費税引き上げの必要性を前面に出した民主党は、今回の参議院議員選挙で大敗した。しかし日本の財政赤字はきわめて大きく、日本政府に対する信頼を維持するためには大幅な増税は避けて通ることはできない。以下では、まず成長戦略を概観したあと問題点を指摘する。
2年以内のデフレ脱却は非現実的
菅直人首相が打ち出した「新成長戦略」を見ると、「強い経済」については、具体的な政策措置が数多く書き込まれており、多くの紙幅が割かれている。この成長戦略では、環境関連、医療・介護・子育、アジアとの人的交流の強化など、7つの戦略分野を強化して高成長を目指している。特にアジアの優秀な人材の日本への受け入れについて、具体的な政策変更が明記されている。これは労働力人口の減少に直面する日本の成長力引き上げ策として、高く評価できる。しかし成長戦略について評価できるのはここまでである。
マクロ経済目標についてみると、2020年までの10年間について、実質成長率2%、名目成長率3%という数値目標を明示している。デフレの克服に関しては、輸入物価要因などを除くと傾向的に低下してきた消費者物価について、その上昇率を11年度にはゼロへ、さらに15年度には1.9%へと引き上げることを明記している。また1995年以降下落してきたGDP(国内総生産)デフレーターについても、わずか2年後の12年度にはプラス化させ、15年度には1%強の上昇率を達成することで、デフレからの脱却を目指している。しかしデフレから脱却する政策手段については、政府と日本銀行が努力すると書いてあるだけ極めて物足りない。「成長戦略」自体が認めるように、現時点で5%前後のデフレギャップが存在する日本経済が、わずか2年でプラスのインフレになるという見通しは非現実的である。20年まで平均してGDPデフレーターを横ばいにするのが精一杯ではないか。
GDPデフレーターで測った日本のデフレは95年頃から始まり、年間平均1%以上低下している。このため名目GDPは、当時からほぼ横ばいである。潜在成長率も、人口の低下や投資の減少で低下している。投資が多少回復しても労働力人口は年率1%前後低下しているため、潜在成長率は0.5%程度であろう。足元のGDPギャップ5%の解消を勘案しても、20年度までの実質成長は10%程度、年平均1%前後が実力だと考えられる。物価動向を勘案すれば、20年までの名目成長率も実質成長率と同じ1%程度しか達成できまい。
「強い財政」についてみると、05年までに国と地方の基礎的財政収支赤字のGDP比率を半減し、20年度までに黒字化することを見込んでいる。しかし財政再建については具体策に乏しく、目標値を羅列しただけのように見える。成長戦略と同時に発表された内閣府による「経済財政の中長期試算」では、現在の税制を前提にすると、3%の高い名目成長率を見込んだ楽観的な場合でも、20年度に14兆円の基礎的財政赤字が残り、公債GDP比率も09年度の164%から192%まで上昇すると見込まれる。中期試算では、国債の利払いも入れた財政赤字をゼロにするためには、20年度で50兆円もの増税が必要になると見込んでいる。しかし成長戦略では、具体的な増税や歳出削減について何も触れられていない。さらに「強い社会保障」に至っては、その財政基盤について全く見通しが明記されていないという、非常に無責任な目標になっている。このような「戦略」では、社会保障の安定性を増すことで国民の消費支出拡大を促すという政策目標は、達成不可能だと指摘せざるを得ない。
近づく信用の限界、増税先送り困難に
日本の財政の現状を直視すれば、「増税なしで何とかなる」と公言する政治家や政党は、本心からの発言をしていないという意味で「うそつき」であるか、現実を知らないという意味で「愚か」であるかのいずれかだと言わざるを得ない。しかし今回の選挙でも明らかになったように、正直に増税が必要だ言えば、国民はその政治家や政党に投票しない。その結果、国民は現実離れしたバラ色の将来を描く政治家に投票し、何度も何度も裏切られることになる。自民党から民主党に乗り換え、今また「みんなの党」に希望を託す国民は、結婚詐欺師にだまされ続ける浅はかなヒロインのような役回りを演じている。

財政赤字の現状を見ると、増税を先延ばしするのは急速に困難になりつつある。日本は他のG7諸国と比較しても、最も高い政府債務比率となっている(表)。カナダのG20サミットでは、日本以外の先進諸国は、16年までに政府債務GDP比率の上昇を止めるか引き下げることを目標に、厳しい財政引き締めに踏み切っている。日本の長期金利は低水準に留まり、政府に対する信頼も維持されてはいるものの、信用の限界は近づいている。国民が政治家にだまされ続けた自らの浅はかさに気づき目覚めるときには、政府に対する信頼も同時に失われるだろう。そうなれば、国債の市場金利が大幅に上昇し、政府の利払い負担の急増を招く。これは財政赤字をさらに拡大させ、政府に対する信頼を低下させるという、信用崩壊が始まることになるだろう。
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(日本経済研究センター 研究顧問)
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