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小島明のGlobal Watch

2016年5月23日 “シルクロードの日本人伝説”に根差す親日ウズベクと出遅れる日本−−ウズベキスタンでの「環境技術」シンポジウムの報告

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日本経済研究センター参与 小島明
 経済の発展段階や自然環境などが日本と大きく異なるウズベキスタンで2016年5月半ばに開かれた環境・資源問題と技術開発をテーマとしたシンポジウムで、環境・資源問題への取り組み、政策姿勢において驚くほどの両国に共通認識があることを実感した。農業での太陽光発電の活用など再生可能エネルギーの開発、導入では、むしろウズベキスタンの方が日本より積極的だと思われる面もあった。

 首都タシケントでの今回のシンポジウムは日本の公益財団法人本田財団とウズベキスタン政府科学技術開発調整委員会(CCSTD)の共催による。正式なテーマは「エコテクノロジー:科学・技術、経済発展と人間・自然環境との調和による持続可能性へのイノベーション」。「エコテクノロジー(ecotechnology)」はecology(生態系)とtechnology(科学技術)を合わせた造語で、同財団が1980年に創設した国際褒章「本田賞」はこの分野で顕著な業績をあげた個人・団体を対象としている。

 日本からの参加者は石田寛人同財団理事長、川口順子元外務/環境相、大垣眞一郎水道技術研究センター理事長、内田裕久東海大学工学部教授、後藤晃東京大学名誉教授、薬師寺泰蔵世界平和研究所特任研究顧問ら。日本側参加者は日本の環境政策、環境改善技術、1960年代、70年代の環境汚染、公害問題の状況とそれを克服した経験、環境改善・エネルギー効率向上のための技術開発、政策、法制度、社会的認識の変化などを報告した。ウズベキスタン側は、政府主導で進めている太陽光、バイオマスなど再生可能エネルギーの開発政策、その応用状況、環境保全戦略などを報告した。ウズベキスタン側の報告で印象的だったのは、工業化の初期段階で都市部の大気汚染などまだあまり顕在化していない状況で極めて真剣で具体的な環境政策、再生可能エネルギー開発に取り組んでいることだった。太陽光発電の農業への導入・活用実験にも積極的である。
 
緑豊かな首都タシケント
 ウズベキスタンは中央アジアの真ん中にある乾燥した内陸国。国土面積は約44.7万平方キロで、日本の1.2倍。1年のうち320日が晴天で、年間降雨量は100〜200ミリしかない。いわゆる「二重内陸国」で、海へ出るには国境を2つ以上越えなければならない。そうした二重内陸国はほかには、リヒテンシュタインしかない。海につながる国内河川もない。
 
 人口は中央アジア5カ国(カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、キルギスタンとウズベキスタン、「スタン」はペルシャ語で「国」の意)の中で最大の3,100万人。5カ国とも1991年のソ連崩壊後に独立国として誕生。ウズベキスタンは他の4カ国のすべてと国境を接する唯一の国。さらに南のアフガニスタンとも接しており、6つの「スタン」のまさに真ん中にある。

 そうした状況から「砂漠の国」をイメージしながら到着した首都タシケントは緑いっぱいで、木々や花々が輝いていた。会議場も緑につつまれ、敷地内には豊かに水をたたえた太い川も走っていた。
 
 会議の翌日、夜行便に乗るまでの時間に、かつて27カ国を統一する一大帝国の首都だったサマルカンドまで足をのばした。同市も緑豊かであり、列車は牧草地の中を走った。それは延々と続くオアシスだった。
 
 ウズベキスタンはシルクロードの真ん中に位置する。タシケントから西のローマまで4,600キロ、東の長安(西安)まで3,540キロ。東西から人々がこの真ん中のオアシスに集まり、文物が交流。多様な文化、宗教がこの地で交わり、寛容な社会と多彩な文化がこの地に生まれた。イスラム教の国だが、宗教は個人の判断を尊重し、飲酒も豚肉も問題にしない。女性たちは年齢に関係なく鮮やかな色彩の衣服をまとっている。

 ただ、タシケントなどは緑豊かだが、国土全体からみると90%以上が広大な砂漠(キジルクム砂漠)と険しい山々である。アラル海は、かつては地球上で4番目に大きい湖で、周辺地域の湿度を保ち、農業を支えてきたが、1960年代以降の10年間でアラル海の水の過剰利用が行われ、面積は半減し水量は3分の1にまで低下してしまったという。ウズベキスタンは降雨量が少なく、綿花の栽培には不向きだが、農地の大半が綿花栽培に使われている。ソ連時代に計画経済のもと、同国に綿花栽培の役割が割り当てられた経緯がある。そのため近年になり鉱物資源開発が進むまで綿花のモノカルチャー経済に近い状況だった。その綿花栽培には大量の水が必要であり、その灌漑水の元であるアラル海が縮小し、また塩害も生じており、これが重大な問題となっている。これも環境劣化の象徴であり、ウズベキスタンにおいて環境問題への認識を高める要因となっているようだ。
  
親日の背景にある“オペラハウスと日本人伝説”
 タシケントには世界有数のオペラハウス、ナボイ劇場がある。ビザンチン風3階建て(地下1階)、1,400席を持つ壮麗な建物で、ウズベキスタンの誇りである。旧ソ連時代には、モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)、キエフのオペラハウスと並び称せられる4大劇場の1つとされていた。ソ連にある約80の劇場のなかで最高の「ボリショイ劇場」の称号を持つ7つのうちの1つだった。

 実は、このナボイ劇場は、第2次世界大戦後にソ連によって満州から連れてこられた457人の日本人捕虜たちが中心となって建てたものである。1945年秋から約2年間にわたって工事に動員されたこれらの捕虜たちは旧陸軍航空部隊の工兵だった。建てる以上は歴史に残るような立派なものを建て、日本人の誇りとして後世に伝えたいとの思いから、捕虜たちは懸命に働いた。

 劇場側面の芸術的な飾り彫刻も日本兵の手による。劇場の周りに日本兵が植えた木々は見事な大木となり、いまなおタシケント市民に憩いの場を提供している。
 
 捕虜たちの働き方が市民に感動を与え、工事に加わったウズベキスタンの人たちは日本兵との協働に誇りを感じたという。
 
 そうした高い評価を決定的にしたのが、1966年4月に発生したタシケント市中央を震源とする直下型大地震だった。タシケントの街はほとんど壊滅状態になった。ほとんどの建物が倒壊した。ところが、このナボイ劇場だけは、悠然と建ち続けていた。レンガも崩れず、美しいナボイ劇場は堂々と輝いていた。

 それはウズベキスタンの人々に感動を与え、たちまち同国だけでなく他のスタン国にも伝わる日本人伝説となった。
 
 今回のシンポジウムに参加したジャーナリストの嶌信彦氏は日本ウズベキスタン協会の会長であり、2015年9月に『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』を著し、詳細な取材をもとにこの日本人伝説を活写している。
 
 ナボイ劇場裏手の外壁には記念プレートが埋め込まれている。以前は、ウズベク語とロシア語、英語で「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていたが、独立とともに就任したカリモフ大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と言い、「捕虜」という言葉はふさわしくないとして1996年にプレートを作り変えさせた。新しいプレートにはこう記されている。
  
 「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日 本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」

 日本の技術、製品の高い質にウズベキスタンの人々は憧れを持つ。政府も経済発展戦略において日本をモデルとしようとしている。

出遅れた日本企業
 在ウズベキスタンの加藤文彦大使が、こんな数字(2014年)を見せてくれた。
 
     貿易(輸出入計)   進出企業数   在留人数
 中国    約47億ドル     約580社   約1,500人
 韓国     20億ドル       410社     2,000人
 日本      2億ドル       10社      110人
   
 ウズベキスタンの国内総生産(GDP)は約610億ドル(2015年)。一人当たりでは2,000ドル弱。低所得国だが、近年、着実な経済成長を続けている。2007年から8年連続で年8%以上の成長率を示す。鉱物資源も豊富で、金は世界第4位の埋蔵量を有し、毎年約80トンの金を採掘する。石炭埋蔵量は世界10位、ウランは12位。国営ガス会社、ウズベクネフテガスは世界第11位の天然ガス生産量を誇っている。3年前から中国にもガスパイプラインを敷設している。
 
 さらに、人口が若く、増加を続けている。総人口の34%前後が14歳以下。30歳以下の若者が過半を占める。家庭はみな教育熱心である。

 そうしたウズベキスタンに中国、韓国は関心を高めている。日本企業は上記の比較数字が物語るように、依然、消極的である。空港でも町中でもサムスンの広告はよく見かけたが、日本企業の広告はほとんど見かけなかった。

2017年アスタナ(カザフスタン)万博のテーマは「未来のエネルギー」
 2017年6〜9月にカザフスタンの首都アスタナで開くミニ万博(認定博覧会)のテーマは「未来のエネルギー」である。同国は自国のパビリオンでエネルギーの低炭素化や気候変動問題などを取り上げるほか、太陽光・地熱・風力・水力発電などの再生可能エネルギーに対するあり方、それらエネルギーの省エネルギー、エネルギー効率利用の在り方を追求する。2014年における同国の再生可能エネルギーによる発電能力は総発電の0.6%でしかないが、政府はこの比率を2030年に10%に、2050年には50%にまで引き上げたいとし、野心的な挑戦を始めているようだ。それにより、環境保全を目指すだけでなく、経済全体を脱資源依存にし、鉱物資源依存型から高度技術依存の経済への転換を果たしたい考えである。

 ウズベキスタンといい、カザフスタンといい、中央アジアに大きな変化がみられる。日本も、そうした変化を直視したらいい。遅ればせにではあるが。それを、今回のウズベキスタン訪問で直観した。

(2016年5月23日)


(日本経済研究センター参与)


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