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小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

2018年5月17日 炎の各省調整(下) 反省白書の評価−経済白書ができるまで(8)

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日本経済研究センター研究顧問 小峰隆夫
前回までのあらすじ

 93年の経済白書は、第2の山場である各省調整のプロセスに入っていた。バブルの背景に金融政策の誤りがあったことを指摘した原案に対して、大蔵省(現財務省)は激しく反発。交渉は行き詰まったかに見えた。この時、大蔵省からある修正案が示された。これを見た私は、瞬時にこの案を呑むことを決断したのだが、同時に今回の白書の成功を予感したのだった。大蔵省の修正案の狙いは何だったのか、そして、それを見た私はなぜ成功を予感したのか。

大蔵省修正案の意味

 復習しておこう。我々が書いた白書の原案は次のようになっていた。「バブル発生の過程では、一般物価が落ち着いていたこともあって89年5月まで公定歩合は史上最低の2.5%のまま据え置かれていた。バブル発生の責任の一端が金融政策にもあることは否定できない」

 これに対する大蔵省の修正案は「政府は86年9月に総合経済対策を、87年5月に緊急経済対策を決定するなど財政刺激策を実行した。また、日本銀行は、86年から87年にかけて5次にわたり公定歩合の引き下げを実施し、89年5月まで金融緩和策を継続した。こうした経済運営が、バブル発生の一つの素地となったことは否定できない」 

 この修正案を見て、瞬時に大蔵省の意図を察知した私は「なるほど。敵も考えたね」と言った。大蔵省との折衝を担当した土田氏も「まったくですね」と言って苦笑いしている。彼もすぐに大蔵省の意図を察知したに違いない。それはこういうことである。

 この白書を書いていた93年の夏という時期は、バブル崩壊後の景気後退が次第に誰の目にも明らかとなっていった時期であった。経済政策をめぐる議論の様子も変わってきて、「景気が後退しているのだから、景気刺激策が必要だ」という意見が強まってきた。すると当然、金融政策面では金融の緩和を、財政政策面では財政支出の拡大を求める声が強まる。しかし、大蔵省は歳出の拡大は避けたい。

 ここでもう一度白書の記述を考えてみよう。白書の原案では「金融政策がバブルをもたらした」となっていた。これを「財政政策と金融政策がバブルをもたらした」と修正するとどうなるか。原案では「行き過ぎた金融緩和がバブルをもたらした」という主張だったのが、修正案では「行き過ぎた財政拡大と金融緩和がバブルをもたらした」という主張となる。
 
 つまり、大蔵省は「80年代前半に財政政策で景気を刺激しようとしたこともバブルの一因だった。だから現時点での財政出動も慎重に考えるべきだ」と主張しようと考えたわけだ。さすがに頭のいい人たちだ。大蔵省の修正案は、大蔵省にとっても経済企画庁にとっても損のない内容になっていたのだ。

 私は即座に「これで行こう」とゴーサインを出した。大蔵省の意図を知りつつも、これに乗るのが賢明な選択だと判断したからである。それに、80年代には、日米摩擦が強まる中で、内需の拡大がしきりに要請され、そのため公共投資計画を作り直して財政出動を行ったりしたのだから、財政政策もまた反省すべきだということは決して間違いではない。

 さらにこの修正案を採用することが白書の成功につながるだろうと考えたのは、これが白書の「目玉(売り)」になると考えたからだ。

記者レクから社説へ

 各省調整が終わると白書は次の山場である「対外説明」のプロセスに入る。ここで重要なのが新聞記者への説明である。これは次のようなプロセスとなる。まず、白書が発表となる2週間くらい前に、白書を新聞記者に配布して、私がその概要を説明する(記者レク)。この白書のプリントにはエンバーゴ(解禁日まで報道不可という制限)が付いているから、新聞記者はその内容を、発表日の夕刊までは報道することはできない。続いて社説を書くことになる論説委員を集めて同じように白書の内容を私から説明する。この席には局長も出席して論説委員に敬意を表する。

 内国調査課では、この記者レク、論説レクのために特別の資料を準備する。それは、白書の概要と主な図表を整理したもので、分厚い本文を読まなくても、その年の白書には何が書かれているのかが分かるようになっている。新聞へのサービスであり、これには相当力を注ぐ。新聞に分かりやすく説明できるかどうかが、新聞の白書の紹介ぶりとその評価に影響するからだ。

 この時、慣れない説明者は、白書の内容を過不足なく、均等に紹介しようとする。しかし、白書作成のプロである私は、そういう説明ではだめだということが分かっていた。白書の説明では「要するに何が言いたいのか」「分析の目玉は何か」「大きな特徴は何か」を強調すべきなのだ。理由は明らかだ。聞く側の新聞記者は、白書を紹介する記事を書くときに、何がポイントかを書くことになるのだし、論説委員は白書の中心的な主張に論評を加えることになる。したがって誰もが「自分は、これからこの分厚い白書を読んで、ポイントをつかまなければ」と思っている。そんなところで、白書の執筆者本人が「ここがポイントです」と説明してくれればこんなありがたいことはないと思うだろう。

 私はこうした説明の際に、93年白書の大きなポイントは、政府自らが経済政策運営の誤りを認め、反省の意を表したことだと強調したのである。そこで登場するのが前述の大蔵省と合意した文章だ。私は「政府が自らの政策運営の誤りを認めることは大変まれなことであり、白書の歴史上でも例がない」と強調した。

 この作戦は大成功であった。93年白書は、7月29日に公表されたのだが、当日の夕刊の紹介記事、翌日の朝刊の社説は、この「政府が自ら反省した」というポイントのオンパレードとなった。それは好意的に扱われ、白書全体の評価を大きく高めることになった。

 手元に当時の新聞の切抜きがあるので、具体的に紹介しよう。まず、当日の夕刊の見出しを見ると、「バブル発生 政策の失敗」「負の遺産を教訓に」(共に日経)、「政策誤りバブル招く 政府、公式に認める」「バブルに政府の責任 金融緩和などが素地」(共に朝日)、「経済白書 バブルを全面的に反省 政府責任認める」(毎日)、「経済白書 政策の誤り認める」「バブル 金融緩和も一因」(共に東京)、「バブル発生自己批判」(サンケイ)という具合だ。

 社説も紹介しよう。「政界でも産業界でも物事のけじめをつけることは難しいものだが、今年の経済白書はこれまでの日本経済の見方の誤りを認め、ひとつのけじめをつけた」(日経)、「政府の財政・金融政策の非を認めた。いささか遅きに失したとの感は否めないとしても、自己批判に立つバブル総括は当然だろう」(読売)、「私たちは、昨年、一昨年とも、経済白書の分析について『見方がやや甘いのではないか』と注文をつけた。その意味で、今年の白書がバブル期の経済政策運営への反省を打ち出した努力は認めてよい」(毎日)といった具合だ。白書の反省姿勢がかなり好意的に受け取られていることが分かる。

 逆に言えば、もし大蔵省との折衝がうまく行かず、政策の反省部分を削ってしまっていたら白書はどんなに批判されたことだろうと、改めて胸をなでおろす。

 大先輩の吉冨勝氏(当時、長銀総研副理事長)は、週刊東洋経済への寄稿(「経済白書批評の非論理性を突く」93年9月18日号)の中で、「『バブルを全面的に反省』。これが今年度の経済白書に対する多くの新聞の見出しだった。‥『バブル懺悔』という白書の態度(よく日本人は内容より態度を重んじる)は好感をもって受け取られたようだ」と書いている。

 私もかねてから、日本の経済論議は論理性に欠け、情緒的に過ぎると感じてきた。しかし、自分が書いた白書の評価を高めるためなら、仮に非論理的と言われようとも、情緒に訴える作戦が必要だったのである。

(2018年5月17日)


(日本経済研究センター 研究顧問)


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