日本経済研究センター JCER

小峰隆夫の私が見てきた日本経済史

2017年2月24日 貿易収支をめぐる議論― トランプ大統領の貿易政策を考える(2)

日本経済研究センター研究顧問 小峰隆夫
 前回は、トランプ氏の貿易観は、少なくとも30年以上前から批判されてきたものであることを指摘し、それがなぜ誤りかを詳しく説明した。こうした議論をもう一度繰り返すような時代が来るとは、私は夢にも思っていなかった。前回は、これでひとまず貿易収支の議論は終わりにして、次のテーマに進もうと考えていたのだが、世の中はそう甘くなかった。トランプ大統領は更なる問題発言を繰り出してきたからだ。米国の貿易収支の最新の数字が発表され、これも大きく取り上げられたのだが、こうした記事中にも理解不足の面が散見される。こうした問題は、私が昔散々議論してきたことだ。その議論は、『経済摩擦―国際化と日本の選択』(日本経済新聞社、1986年)、『日本経済・国際経済の常識と誤解』(中央経済社、1997年)という2冊の本にまとめられている。そこで、今回も前回に引き続き、私が30年前に繰り広げてきた議論も参照しながら、貿易収支をめぐる議論を再点検してみたい。

日米の車貿易は不公正か

 トランプ大統領は、1月23日の米経営者らとの会談の際に、日本との自動車貿易が「不公正」だと発言した。原文に当たってみると、次のようになっている。
“If, as an example, we sell a car into Japan and they do things to us that make it impossible to sell cars in Japan ... we have to all talk about that. It‘s not fair.”
(例えば、我々が日本に自動車を売ろうとすると、彼らはそれを不可能にするような措置を取ってくる。我々はこの問題を話し合うべきだ。これは不公正なことだ。)

 この発言には2つの問題がある。1つは、相互のマーケットシェアを公正性の物差しとしていることだ。大統領の発言の裏には「日本車は米国で良く売れているのに、米国車は日本で全く売れていない」という不満があるようだ。これに類した議論は80年代にもあったのだが、良く考えてみると(良く考えないでも)全くおかしい議論である。米国の消費者は、米国車と日本車を比較して、日本車の方がいいと思う消費者がたくさんいるから、米国で日本車が売れるのだ。米国の消費者でさえ日本車を好むのだから、日本の消費者が米国車より日本車を好むのは当たり前だ。

 これは、話を逆にすれば分かりやすい。例えば、「日本の映画市場には米国映画が大いに浸透しているが、米国の映画市場には日本映画はあまり浸透していない。これは不公正だ」という議論が成立するのかということだ。

 もう1つは、米国の自動車が日本で売れないのは、日本サイドが妨害しているからだという理屈だ。これが誤りであることも明らかだ。関税という点では、日本は輸入車に関税をかけていないが、米国は日本車に2.5%の関税をかけている。米国車が日本で売れないのは一重に日本の消費者が買いたくないと思っているからだ。

 このように、自分の国の製品が日本で売れないのは、何か自分たちと違うアンフェアな点があるのではないかという考えはかつてもしばしば現われてきた。私が書いた『経済摩擦―国際化と日本の選択』(1986年)という本では、ヘンリー・キッシンジャーの次のような言葉が紹介されている(144ページ)。

 「(米国の市場が対外的にオープンで政府の介入が少ないことを述べた後)、この正反対が日本だ。日本の対外経済政策が自由な市場の力に委ねられているというのは見せかけに過ぎない。日本は貿易を国家目標のためのテコに利用している。政府の各省庁は、産業の優先目標を設定し、輸出業者のために有利な条件を交渉し、輸出に有利なように円を操作している。日本は既存の経済理論に背く行動をとって広く批判されている。」(Henry Kissinger, “International Trade: Its time to Change the Rules” Washington Post、1984年10月22日)

 有識者キッシンジャーでさえこんな認識だったのである。現在はこれほどではないだろうが、トランプ大統領の言動を見ていると、大して変わらない認識を持っているようにも見える。

米国の貿易収支を報じる記事から

 米国の商務省は、2月7日に2016年の米国の貿易収支の数字を発表した。ちょうどトランプ大統領が対日赤字を問題視する発言をした直後だったので、日本の新聞、テレビなどでも大きく報道された。

 その内容を私なりにまとめると次のようになっている。
 @2016年の米国の貿易赤字(モノだけを取り上げたもの)は、7343億ドルとなった。
 A最大の貿易赤字相手国は中国で、3470億ドルと全体の47%を占めた。
 B日本との赤字は689億ドルで、中国に次ぐ大きさであり、全体の9%を占めた。
 C自動車関連の対日赤字は526億ドルとなった。10日の日米首脳会談では、貿易不均衡をめぐって議論になりそうだ。

 こうした内容はもちろん間違いではないのだが、ミスリーディングな面がある。

 第1に、前回も指摘したように、政策的に貿易収支に着目する意味はほとんどない。貿易収支が赤字だからといって国民福祉が損なわれるわけではないからだ。

 第2に、これも前回述べたことだが、全体としての貿易収支にあまり意味がないのだから、ましてや2国間の貿易収支にはもっと意味がない。2国間が意味がないのだから、2国間の品目別(例えば自動車)の赤字はもっともっと意味がない。それを取り上げて、日本側が「貿易不均衡が首脳会談での議論になりそうだ」などと言うことはない(現実には議論にならなかったようだし)。

 第3に、貿易赤字の国別シェアを見るのも意味がない。この点については、私が書いた『日本経済・国際経済の常識と誤解』(1997年)という本で「地域別シェア論の無意味性」として次のように述べている(235ページ)。

 「『地域別シェア』というのは、一国全体の貿易収支を地域間の収支に分割してそのシェアを見ることをさしている。この議論も実例は豊富である。数値前までは、誰もが日米の貿易収支に言及するとき、『米国の対日赤字は660億ドルとなった。これは米国の赤字全体の6割も占める」と述べていた。『これはどうもいびつな状態と言わざるを得ない』という人も多かった。米国以外でもタイの首相が「タイの対日赤字は、タイ全体の貿易赤字の80%を占めている。これは異常な数字だ」と述べたという(94年8月の例)。

 こうした計算そのものは間違いではないのだが、このシェアには経済的な意味はない。なぜなら、このシェアの計算の分母になっている貿易収支、分子になっている地域別貿易収支がともにプラスにもマイナスにもなりうる数値だからである。したがって、分母がゼロに近づくと、このシェアは限りなく大きくなり、数百%、数千%になってもおかしくないものであるし、シェアを足し上げていくと途中で百を上回ってしまうという代物なのである。」

 この本では続いて実際の95年の日本の貿易収支に当てはめてこの議論を説明している。米国よりも日本の例の方がシェア論の無意味さが際立つからである。同じ考えで、ここでは、最新の2016年の数値で説明してみる。

 通関統計によると、2016年の日本の貿易収支は4.1兆円の黒字であった。これを国別に分けてみると、最大の黒字国は米国で6.8兆円である。シェアは166%になってしまった。こんなことになるのは、2国間では赤字になっている地域があるからだ。例えば、中東からは石油を輸入しているので3.9兆円の赤字である。シェアというのは足して100になるから意味がある。ところが貿易収支を2国間で見ていくと、いわば「マイナスのシェア」が出現してしまい、黒字国のシェアが100を上回るのである。

 私もまさかこんな形で、昔の本で書いたことが再び表面化するとは思わなかった。

(2017年2月24日)


(日本経済研究センター 研究顧問)


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