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大竹文雄の経済脳を鍛える

2012年11月20日 大学(生)が多すぎる?

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日本経済研究センター研究顧問 大竹文雄
新設大学の不認可問題

 大学に対する世間の風当たりが強くなっている。文部科学省は2012年6月に「激しく変化する社会における大学の機能の再構築」と「大学のガバナンスの充実・強化」を目指した「大学改革実行プラン」 を発表した。既存の大学は社会の要求に十分答えていないのではないか、という疑念が社会に広くあることを反映しているのだろう。

 そのような社会の大学に対する疑念を象徴的に示したのが、田中真紀子文部科学大臣による新設大学の不認可騒動である。田中大臣は、2012年11月2日「大学が全国で約800校ある中、大学教育の質がかなり低下しており、就職ができないことにもつながる」として、2013年の新設を認めると大学設置・学校法人審議会が答申していた3つの大学の設立申請を不認可とした。

 また、11月6日の会見では「かねがね、大学を設置する仕組みに問題があると思っていた。文科省は事前規制から事後チェックにかじを切った結果、いろいろな大学が新設された。少子化の中で経営難で立ち行かなくなっている大学がたくさんできている。大学の乱立に歯止めをかけて、教育の質を向上させたい。これが私の真意だ」と述べている。今までの慣例と異なった対応を受けた新設予定の3大学の関係者にとっては大変な事態になったが、最終的には、3大学の新設を認可した上で、大学設置審議会のあり方を検討するということで落着した。

 大学が社会の期待に十分に応えていないのではないか、という疑念には、大学関係者としては十分に反省したい。しかし、大学や大学生が多すぎるのではないか、という疑念については、労働経済学者として違和感がある。この違和感について、本稿で議論してみたい。

大学数と大学進学率の推移

 まず、大学数や大学進学率に関する事実関係を整理しておこう。大学数は、戦後200校程度からスタートしたが現在では800校近くに増加し続けてきた(図1)。そして、90年代半ばから大学数の増加スピードが上がったこともわかる。日本の大学進学率の変化は、3つの時期に分けられる。

※図表をクリックしていただくと、拡大してご覧いただけます。



 90年代を通じて大学数は増加してきたが、第二次ベビーブーム世代が18歳になった1992年以降、日本の18歳人口は減少を続けている。ところが、大学入学者数は1985年以降増加を続けている(図2)。
大学進学率の最初の変化は、第一次ベビーブーム世代が18歳になった後、18歳人口が減少していく状況で進学率の上昇が発生した1966年から1975年である。

その後、18歳以上人口は第二次ベビーブーム世代が18歳になる時期まで増加を続けた。大学定員の増加の効果よりも18歳以上人口の増加の影響が大きかったために、1975年から1991年までは、大学進学率はゆっくりと低下トレンドにあった(図3)。

1991年以降は18歳以上人口の減少が続いている効果が大きいため、大学進学率が上昇を続け、2010年には大学進学率は、50%を超える水準に達している。人口全体に占める高学歴者の比率は増加を続けているが、生年別にみると、進学率が継続的に上昇してきたわけではないことには注意すべきである。





大学進学率の国際比較

 日本の大学進学率は50%を超えていて、歴史的にも高い水準になっている。これが、「大学が多すぎる」という議論の根拠になっていると思われる。では、大学進学率の高さは国際水準で比較するとどうなるだろうか。図4で示したOECDの国際比較によれば、大学進学率のOECD平均は、62%であり、日本の大学進学率はOECD平均よりも10%ポイントも低い。米国では74%であり、北欧諸国は概して高い。韓国も71%と日本より20%ポイントも高い。日本の進学率が90年代に上昇してきたことは事実であるが、そのレベルが先進国の中では低い方であるということは広く知られるべきであろう。


OECD (2012) “Education at a Glance 2012,”


労働経済学者はどう考えてきたか

 高学歴者が過剰か否かについての労働経済学者の判断は、主に二つのことを基準にして行う。第一は、学歴間賃金格差の大きさはどの程度か、ということである。大学を卒業することのリターンが、その費用に比べて大きいのか、つまり、大卒と高卒の賃金格差が、大学進学の費用に比べて大きいのかどうか、ということである。第二は、学歴間賃金格差が拡大しているのか縮小しているのかを基準に使う。大卒者が過剰になってきたのであれば、学歴間賃金格差は縮小するはずである。

 1980年代から米国や英国などのアングロサクソン諸国では、学歴間格差の拡大が観察された。この理由としては、先進国では高学歴者に対する労働需要を相対的に増加させるような技術革新やグローバル化が進展したためだというのが労働経済学者の標準的な理解である。コンピューターを中心とする技術革新は、定型的な仕事を減らし、コンピューターが苦手とするコミュニケーション能力やビジネスアイデアを考える力をもった人材に労働需要をシフトさせた。こうした能力は、一般的に高学歴者の方が高い。グローバル化も似たような影響を与えた。未熟練労働で製造が可能な財は、新興国で生産されるようになり、先進国における未熟練労働に対する需要が低下した。

 しかし、日本では80年代から90年代にかけて、学歴間賃金格差は比較的安定的に推移した。なぜ、技術革新やグルーバル化が他の先進国と同様に進展した日本で学歴間賃金格差が拡大しなかったのだろうか。それは、日本では高学歴者に対する需要が増えたタイミングと一致して、高学歴者の供給が増えていったからである。高学歴者に対する需要も供給も増えたので、高学歴者の相対賃金が上昇しなかったのだ。

 世界各国で高学歴化が進展しているのは、高学歴者に対する需要が増えていることを反映している。実際、日本でも高学歴者の失業率と低学歴者の失業率を比較すると、高学歴者の失業率の方が低い。たとえば、OECD(2012)は、「より高い学歴を達成するほど、就業率は上昇し、失業率は低下する傾向にある。日本において、 後期中等教育が最終学歴である男性の就業率が 85.7%、失業率が 6.4%であるのに対し、大学型高等教育または大学院のプログラムを修了した場合、就業率は 92%に上昇し、失業率は 3.4%に低下 する。女性については、後期中等教育から大学型高等教育へと学歴か上がることにより、就業率 は 61.2%から 68.4%へ上昇し、失業率は 5%から 3.2%へ低下する」と指摘している。

 2011年の『賃金構造基本統計調査』(厚生労働省)を用いて、学歴別の生涯賃金を計算しても男性の場合、大卒の方が高卒よりも約7300万円高い(表1)。生涯賃金が、将来の賃金を現在の値に換算するための割引率によって異なる。それでも、割引率が7%以下であれば、標準的な4年制大学の授業料を上回る。この計算には、将来の年齢別学歴間格差が現在と変わらないという前提が必要であるが、過去のデータをみても日本の学歴間賃金格差はかなり安定している。

 要するに、労働経済学者は、最近は高学歴者に対する需要が増えているので、高学歴者の供給を増やさないと、学歴間賃金格差がもっと拡大してしまうと考えている。日本の学歴間賃金格差が安定している理由は、大学進学率が上昇してきた結果であり、それは格差縮小という点で望ましいことだったといえる。



大学(生)が多すぎるという批判はなぜ生じるのか

 大学や大学生が多すぎるという議論には、いくつかのものがある。5つのタイプに整理してみたい。

(1)大学教育のシグナル機能弱体化
大学教育は人的資本を引き上げているのではなく、人的資本のシグナルとしてしか機能していないので、大学進学率が高くなるのはシグナルの機能を弱めるだけであるので、進学率上昇は望ましくないというものである。

(2)大学教育の教育内容に対する不満
 大学教育によって人的資本の引き上げがなされることは認めた上で、引き上げられている人的資本の内容が現在必要とされているものと対応していないと批判する立場、あるいは、現在の大学教育が人的資本を引き上げるような教育内容になっていない。

(3)既存大卒者の既得権確保
 大学教育は人的資本を引き上げることに貢献するが、大学教育卒業者が増えると供給が増えることによって大学収益率を引き下げるので既存大学卒業者の便益を引き下げるため、既存大卒者が大学進学率上昇に反対するという立場である。

(4)大学教育の質の低下
 かつて大学生が少なかった頃の大学の教育内容と現在の大学の教育内容が大きく異なっていることについて、大学教育の質が低下したと考え、現在の大学教育が本来の大学教育ではないと批判する立場である。

(5)大学の現状に対する間違った理解
 大学進学率が低かった頃、大学によっては学生の自主的な学習に任せている面が多く、大学が提供する教育カリキュラムが充実していない大学もあったため、その時代の大学卒業者が現在の大学教育の現場を知らない上で、大学教育そのものに疑念をもつ。

 大学批判の多くは、以上の5つのタイプが混在していると考えられる。第一のシグナル理論については、大学教育の人的資本育成効果を否定し、人的資本の選別機能だけを重視するものである。しかし、進学率が上昇してきたにも関わらず、学歴間賃金格差が存在し、失業率格差も存在していることは、大学教育がシグナルとしてだけ機能しているわけではないことを示唆している。大学の教育内容が現在必要とされる能力育成に十分に対応していないという批判については、応えるべきである。しかし、この議論からは、大学生が多すぎるとか、大学の数が多すぎるという話にはならない、教育問題は、多くの人が個人的な経験について議論することが多い。客観的な情報に基づいて、長期的な政策を考慮しないと、将来の日本の人的資本が豊かにならない可能性がある。

(2012年11月20日)


(日本経済研究センター 研究顧問)

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