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齋藤潤の経済バーズアイ

2018年8月14日 数量割当モデルから見た日本経済

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日本経済研究センター研究顧問 齋藤潤

【需給調整機能を果たしてない物価と賃金】

 物価安定目標として2%を決定し、それに向けて強力な金融緩和を実施しているにも関わらず、物価はなかなか上昇してきません。その背景には、賃金の低迷があると考えられます。完全失業率が完全雇用水準と考えられてきた3%を下回ったにもかかわらず、一人当たり賃金も上昇してきません。

 このような日本経済の現状を見ると、あたかも物価や賃金のような「価格」が需給調整機能を果たしていないように見えます。しかし、もし物価や賃金などの「価格」に期待されている需給調整機能が失われているとしたら、市場はクリアしない(需給が一致しない)状態が続くことになります。その場合、経済はどのような姿になるのでしょうか。

【数量割当モデルから見た4つのレジーム】

 この問題に取り組もうとしたのが、1970年代にかけて発達した(しかしその後、顧みられなくなってしまった)「不均衡マクロ経済学」(disequilibrium macroeconomics)です。それは、需給が調整されないために起こる「数量割当」(quantity rationing)に着目し、その結果、どのような「マクロ経済の均衡」がもたらされるのかを解明しようとしました。その意味では、「不均衡」マクロ経済学という命名は不正確であるように思えます。そこで、以下では、これを「数量割当モデル」と呼ぶことにします。

 「数量割当モデル」について、もう少し具体的に説明しましょう。ここでは、財市場と労働市場について考えるとします。もしこれらの市場で価格が需給調整機能を果たさないとしたら、偶然でもない限り需要と供給はクリアしない(一致しない)ことになります。そうした場合には、需要と供給のうち少ない方に合わせて取引が行われ、多い方は数量割当が行われることになります。しかし、その結果、需要ないしは供給の一部に、必ず満たされない部分が出現することになります。このことは、数量割当の対象となった主体が他の市場で示す需要や供給に影響を及ぼすことになるはずです。

 以上を前提に考えると、財市場と労働市場のそれぞれにおいて需要と供給のどちらが数量割当の対象になるかによって、次のように、4つのレジームに分類することができることになります(第1図)。(以下は、Muellbauer and Portes (1979)に依っています。)

第1図 数量割当モデルから見た4つのレジーム



 ここで、「古典的失業」とは、労働市場において、家計の労働供給が企業の労働需要を上回っているために家計が割当の対象になっている(失業が生じている)とともに、財市場でも家計の財需要が企業の財供給を上回っており、同じく家計が割当の対象となっているような状況です(企業はどちらの市場でも割当の対象にはなっていません)。このような状況は、例えば、実質賃金が高過ぎるために、企業は雇用を増やせず、したがって、家計の需要を満たすほど財を供給することもできないような場合に出現します。

 また、「ケインジアン的失業」とは、労働市場において、家計の労働供給が企業の労働需要を上回っているために家計が割当の対象になっている(失業が生じている)一方、財市場では企業の財供給が家計の財需要を上回っており、こちらでは企業が割当の対象となっているような状況です。このような状況は、企業の労働需要が家計の労働供給を下回っているため失業が発生し、家計の財需要が制約されているような場合に出現します。

 さらに、「過少消費」とは、労働市場において、企業の労働需要が家計の労働供給を上回っているために企業が割当の対象になっている(人手不足になっている)だけでなく、財市場でも企業の財供給が家計の財需要を上回っており、同じく企業が割当の対象となっているような状況です(家計はどちらの市場でも割当の対象にはなっていません)。このような状況は、例えば、実質賃金が低過ぎるために家計は労働を供給しない一方、家計は低賃金であるために財の需要も増やせないでいるような場合に出現します。

 最後に、「抑圧されたインフレーション」とは、労働市場において、企業の労働需要が家計の労働供給を上回っているために企業が割当の対象になっている(人手不足になっている)一方、財市場では家計の財需要が企業の財供給を上回っており、家計が割当の対象となっている(もの不足に陥っている)ような状況です。このような状況は、例えば、家計が財市場において希望するだけ財を購入できないために、労働市場において労働供給を減少させてしまうような場合に出現します。

【日本経済の現状はどのレジームに対応しているか】

 現在の日本経済は、このうちのどのレジームに対応しているでしょうか。

 労働市場における最近の人手不足状況を見ると、労働市場では超過需要が発生しており、企業の労働需要に対して数量割当が行われていると考えられます。したがって、「過少消費」か、「抑圧されたインフレーション」かにあたる、と考えるのが自然です。

 では、このうちのどちらでしょうか。

 財市場においては、GDPギャップがプラスに転じていることからすると、超過需要が発生していると考えることが可能のように思えます。その限りでは、「抑圧されたインフレーション」ということになります。しかし、家計が、財市場において超過需要状態にあり、財を購入できない状況にあるかと言えば、そうではなさそうです。むしろ、企業が、財市場において超過供給状態にあり、企業は家計にもっと財を購入してほしいと希望しているのではないでしょうか。そうであれば、「過少消費」の状況にあると考えるべきであるように思えます。

 この判断は、現在の景気拡大の要因が、消費ではなく、輸出であることを考えると首肯できます。GDPと民間消費、輸出の推移を比較すると、民間消費の伸びは他に比較して低いものにとどまっています(第2図)。GDPギャップがプラスになっているのは、消費のためではなく、消費以外の要因によるところが大きいことがうかがわれます。

第2図 GDP、民間消費、輸出の推移



 そうだとすると、マクロ的に見ると財市場で超過需要があるように見えても、実は家計部門としてみると、財市場では超過供給に直面していると考えることができるように思います。

【「過少消費」の政策的インプリケーション】

 仮に「過少消費」の状況にあるとした場合、政策的にはどのようなインプリケーションが引き出せるのでしょうか。

 第1に、実質賃金を引き上げることが最も重要だということが言えます。

 前述のように、「過少消費」は、実質賃金が低過ぎるようなときに出現します。したがって、実質賃金を引き上げれば、労働供給が増加し、労働需要が減少するので、労働市場の超過需要を解消できることになります。それと同時に、実質賃金を引き上げれば、財需要も増加するはずなので、財市場の超過供給も解消できることになります。このためには、実質賃金の引き上げの制約となることを取り除くための構造政策等を実施することが必要になってきます。

 第2に、拡張的なマクロ経済政策については、注意して利用しなければならないということが言えます。

 拡張的なマクロ経済政策は、実質賃金の引き上げを促すものとしては重要です。それは上述の構造政策とセットになったとき、最も威力を発揮すると思われます。しかし、構造政策を伴っていないと、単に労働市場における超過需要を増幅させるだけのことになりかねません。重要な資源を投下しながら、経済を望ましい均衡に移行させることには役立たないかもしれないのです。

【むすび】

 物価や賃金は、数量割当モデルで想定するように、全く外生的に決まるとは考えられません。それらは、いずれ市場の需給を反映して変動し、需給調整機能を果たすはずです。しかし、もし価格に需給が反映するのに時間がかかるとすれば、経済の状況は数量割当モデルによって近似できることになります。

 そうであれば、現状のような状況においては、数量割当モデルを参考に、経済の現状や政策的インプリケーションについての理解を深めることは、極めて重要なことではないでしょうか。

(2018年8月14日)


(日本経済研究センター研究顧問)


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