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齋藤潤の経済バーズアイ

2013年3月13日 自律的回復に寄与する賃金上昇とは

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日本経済研究センター研究顧問 齋藤潤
【自律的回復の起点としての賃金上昇】

 景気の自律的回復にとって賃金上昇が必要であることは言うまでもありません。賃金上昇によって個人消費が増加すれば、それによって企業の売り上げが伸び、収益も高まり、さらに賃金が上昇するという「所得と支出の好循環」が生み出されるからです。その意味では、春闘を控えて賃金引き上げの機運が高まりつつあることは、これまであまり見られなかった新しい動向として注目されるところです。

【ミクロではなくマクロで】

 ただし、現在の賃金を取り巻く環境は複雑で、景気との関係において賃金を評価するときには、いくつかの点に注意しなければなりません。

 第1に、景気との関係でいうと、賃金上昇は、ミクロではなくマクロでみる必要があるということです。例えば、毎年、厚生労働省が公表する「春季賃上げ状況」のデータがあります。第1次石油危機時の1974年には32.9%を記録した賃上げ率は、徐々に低下しており、バブルが崩壊した直後の1990年代初めに5%台を切り、2000年代初め以降は2%も下回って推移しています(図参照)。それでも1%台の上昇となっているわけですが、それは個々の(平均的な)従業員にとってのことで、マクロの人件費総額でみると、状況は大きく異なっています。マクロの人件費総額の代表的な指標として、国民経済計算の雇用者報酬の伸び率(前年度比)をみると、常に春闘賃上げ率を下回っているばかりでなく、しばしばマイナスにもなっているのです。

※図表をクリックしていただくと、拡大してご覧いただけます。




【春闘賃上げ率と雇用者報酬の伸び率の乖離の原因】

 どうしてこのような違いが生じるのでしょうか。

 まず、春闘賃上げ率は基本給を対象にしているのに対して、雇用者報酬は、基本給の他に、残業手当やボーナスを含むので、その違いがあります。しかし、基本給に限っても、違いをもたらすいくつかの要因があります。

 @春闘賃上げ率は定期昇給分を含みますが、この部分は、仮に従業員の年齢構成が一定ならば人件費総額には影響を及ぼさないので、人件費総額への影響をみるには、いわゆるベースアップ分だけを取り出す必要があります(定期昇給分は、通常2%程度と言われているので、この部分を除くと、2000年代以降は基本的にベースアップがなかったということになります)。

 A仮にベースアップだけ取り出すにしても、従業員数が増加するか減少するかによって人件費総額は大きく変わってきます。仮に従業員数が増加していれば、ベースアップがなかったとしても、人件費総額は増加することになります。

 Bしかし、仮に従業員数が増加していても、従業員の内訳が、正規雇用から非正規雇用にシフトしていると(現在の非正規雇用の全雇用者に占める割合は3分の1を超えています)、非正規の賃金水準は正規の賃金水準より低いので、人件費総額の伸びはそれだけ小さいものになります。

 Cもっとも、その抑制の程度は、非正規雇用でも賃金単価の引上げがあるのであれば、それだけ緩和されることになります。

 Dなお、以上は、大企業に限定された話です。上記の厚生労働省の統計も、その集計対象(平成16年以降)は、「資本金10億円以上かつ従業員1000人以上の労働組合がある企業」となっています。中小企業の景況が大企業より悪ければ、当然雇用者報酬はそれだけ抑制されることになります。

 以上のことから考えると、マクロの人件費総額の増加には、正規雇用者のベースアップの他に、雇用者数の増加、非正規雇用比率の安定化(あるいは反転)、非正規雇用者の賃金単価上昇や中小企業雇用者のベースアップが必要だということになります。

【一時的ではなく持続的に】

 景気との関係で賃金をみるときの注意点の第2は、賃金上昇は、一時的ではなく、持続的である必要があるということです。この意味でも、ベースアップの持つ意味は大きいわけです。他方、賃金には残業手当が含まれ、この部分は景気動向に敏感に反応します。また、我が国の賃金上昇は、ボーナスに依存するところも小さくありません(約2割)。残業手当やボーナスが持続的に期待できるときには、これをあてに個人消費も増加すると考えられます。これが恒常所得仮説の教えるところです。しかし、最近のように残業手当やボーナスの変動が大きくなると、それらの増加を持続的な収入増加と認識せず、したがって個人消費の増加効果も小さくなっている可能性があります。

 一時的な収入増加の消費増加効果を計測した最近の分析としては、例えば定額給付金に関するものがあります。これによりますと、ある程度の期間をとったとしても、消費増加効果は収入増加の25%程度に止まるとの結果となっています。


【高齢化の影響】

 以上の2つのいずれにも関連する注意点の第3は、高齢化の影響を加味する必要があるということです。第1の注意点では、@のところで「仮に従業員の年齢構成が一定ならば」としましたが、実際には高齢化が進んでいるので、より高い賃金の恩恵を受ける従業員の数が多くなり、それだけ人件費総額も増加することになります。

 また、本年4月から、「改正高年齢者雇用安定法」が施行になり、65歳までの高齢者の雇用が義務化されると、新たに雇用されることになる高齢者の分だけ人件費総額が増加することになります。ただし、高齢者雇用に伴う人件費総額の増加分については、給与体系を見直し、高齢者以外の年齢層の賃金調整によってその原資を捻出する動きもあります。そうなりますと、結果的に高齢者雇用の増加は人件費総額にニュートラルになるという可能性もでてきます。

【成長戦略がカギ】

 以上のように考えると、現在の賃金引き上げの動きは変化の兆しである可能性もありますが、それが景気の自律的な回復をもたらす確かな動きとなっていくためには、様々な動きがさらに続いてくる必要があります。

 企業がそうした次の手を打っていけるようにするためには、そのための環境を整えることが重要です。その意味でも、日本経済の将来に期待を持たせるようなクレディブルな(信頼の持てる)成長戦略の策定、これが必要不可欠だと思います。

(2013年3月13日)


(日本経済研究センター研究顧問)

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